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『不思議な時計の話』 時計職人の話から。 [考えさせられた話]

ある朝‥‥。

 金魚のせり市の声で目が覚めた。ここはマンションの7階。そんなバカな、と寝ぼけ眼で起きたら、昨夜からつけっ放しのテレビに、江戸川の金魚せり市の風景が映し出されていた。懐かしかった。

 昔、金魚に狂って、700匹以上飼っていたことがある。もちろん部屋もベランダも水槽だらけ。病高じて、いつも買っていた金魚屋のオヤジさんに無理やり頼みこみ、江戸川の、プロしか入れない金魚のせり市まで連れて行ってもらったこともある。

 通り過ぎた日々は、こうした思いがけないスィッチでも入らない限り、記憶の底に埋もれて出てこない。

 オムニバス形式の俳句番組。「昔あった風景」というタイトルに惹かれ、そのまま見ていると、画面は下町の時計修理職人の仕事場に切り替わった。

 老職人の語る、少々気になる話。

『長く修理をやっていると、ときどき不思議なことに出会います。

 修理しても、修理しても、とまってしまう時計がありましてね。こちらの勝手な妄想かもしれませんが、時計が持ち主を嫌っている、としか思えてならなかった。昔ながらの、手作りの時計なんかに、よくあります。

 そういえば何年か前に電波時計、というのが出て、これは、送られてくる標準時刻を光学的に受けて、一秒たりとも狂わない。正確無比なハイテク時計なんですが‥‥。

 どの時計も、秒針まで、まったく同じ進み方をするんです。こうなるともう、私たち職人が手を出せるのは、部品の交換か、製造元のメーカーに修理を依頼するしかありません。

 しかし毎日、同じ時刻に、全部の電波時計が、いっせいに時報を鳴らすのを見ていると、これでいいのかな、という気分になるんです。

 時計はもちろん正確にこしたことは無いんでしょうが、私はときどき、時計なんて、およその時刻がわかればいいんじゃないか、なんて、思ってしまうんですよ。

 持ち主を嫌って、年中駄々をこねている時計があってもいいんじゃないか、なんて。

 時計職人らしからぬ考えですけれどね。

 でも最近の正確すぎる、時間だけしか刻まない時計を見ていると、人間にとって時間というのは何なんだろうって、考えてしまいますね。 

  個人的には、時計はいつも少し狂っているぐらいがちょうどいい、と思っているんですがね 』

 我が家には、いまどき珍しい、手巻きのボンボン時計がある。定期的にエサをやらないと動かなくなる。その、どこか生き物っぽいところが好きで、20 年ほど前、あちこち探し回ってやっと手に入れたのに。

 かの時計職人の方の話を参考にすると、私はどうも、この安物の柱時計に、嫌われているらしい。

 6 日もたたないのに止まるかと思えば、忙しさにかまけて一週間以上ネジ巻きを忘れていても、平気で動いていたりもする。

 一日に5分遅れることがあれば、逆に5分以上進むときもある。だから朝、テレビの時刻を見て、時計の、本日のご機嫌を知るための計算をせっせとしなくてはいけない。

 天気のいいとき、悪いとき、暑いとき、寒いとき、好き勝手に進んだり遅れたりするから、私はいつのまにか、ひとつの時刻ではなく、前後30分ぐらいの時間の幅の中で、用事を考えるくせがついた。

 時間を、一点ではなく、ひとつの流れで見るとき、時計は、およその時刻がわかれば十分だ。これも時計職人の方の話に納得させられる。

 うちの時計が、何で私を嫌っているのか原因はわからないが、柱の高いところから一日中私を観察しているうち、日々の暮らしぶりのあまりのいい加減さにあきれ果て、こんなやつに正確な時間なんか必要ない、と思われたのかもしれない。そこはお互いさま、と言いたいんだけどね。

 まあ私は、電波時計のように正確無比な生活なんてとてもできないから、 我が家の時計は私に似て、少し狂っているぐらいがちょうどいいのです。 

 これが私を嫌っているらしい、我が家のボンボン時計。ちょっと明かりが足りなくて、写メールが不鮮明なのは許してください。

 ウチに出入りの若い衆 曰く、「一時間置きにボンボン鳴るだけじゃなく、30分おきにも鳴るんでしょ。うるさくない ? 」

 なーにをおっしゃいますやら。そこがボンボン時計のいいとこなんじゃない。目をつぶっていても時間がわかるのよ。家中、どこに居てもね。

 まあコイツは言わば我が家の生活のリズムを刻むメトロノーム。指揮者でもあります。春眠をむさぼりながら、あったかい布団の中で目をつぶったまま、『時間を聞く』というのも、なかなかオツなものですよ。

 

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あの移動映画館はいまも北海道を走っていますか? [考えさせられた話]

      

     (2005年3月13日(日)のノートから) 

            その人は78歳。

        名前は、西崎春吉さんという。

あまり娯楽設備のない北海道の遠隔地で暮らしている人や

            子どもたちのために

           函館のアパートを拠点に

       32年間も移動映画を映し続けている。

    総重量600kgもの映写機械をライトバンに積み、

        冬は極寒となる北海道のあちこちを、

     車内に寝泊りしながら、今はたったひとりで‥‥。

 

<パートナーを亡くして>

 西崎さんは3年前、最大の協力者であり、最良のパートナーでもあった奥さんを亡くした。それまでずっと二人三脚でやってきたのに。

 すっかり気落ちした西崎さんは古希を越えた自分の体のことを考えた。

 映写機械は総重量が600キロもある。奥さんと云う協力者もなく、ひとりで続けていくことは難しい。

 西崎さんは、ついに、この重労働に終止符を打つことにした。

 しかし暫くして、生活の中から何かがすっぽり抜け落ちてしまったような感覚に襲われた。それは、生き甲斐を無くしたような、やりきれない寂しさだった。

 ひとり庭を眺めながら、西崎さんは思った。自分を待っていてくれた人たちのこと、何より子どもたちのあの喜びの笑顔を。

 体が本当に動かなくなるまで、続けてみよう。

 西崎さんは立ち上がった。そして再び、古いライトバンに乗り込んだ。重い重い映写機械を、ひとりで積み込んで。

 西崎さんのライトバンが走り出す。沢山の人たちが待つ、北海道の村や町に向かって。

 

<たった2人の子どものために>

 映写場所は、訪れた街の公民館や、公共施設。本来、映画を見せるような場所ではない。そのため映写機械の設置やスクリーン張りなど、西崎さんの労苦は大きい。

 それでも、映画に触れるチャンスの少ない、地方の小さな村や、離島に住む子どもたちのために、西崎さんは出かけていく。ライトバンに寝泊りしながら。

 真冬、極寒の北海道では、ほとんど客が来ないときがある。来ないというより、来られないのだ。大吹雪のときなどは。

 でも西崎さんは、凍える手に息を吹きかけ、吹きかけ、全ての準備を整えて客を待つ。決して中止にすることはない。

 「一度休むと、次からの信用を失う。特に子どもたちの。雨が降っても、吹雪いても、必ず映画を見せてくれる、そう思ってもらうために、たとえ観客が一人でも、ぼくはやります」

 事実あるとき、もう誰も来ないのかと思っていたら、開演間際、子どもが二人、兄弟でいそいそとやってきたことがあるという。

 「子どもたちがね、映画に見入って、一時間も二時間も、微動もせずにスクリーンを見つめています。それを見ていると、本当に感動するんです」

 西崎さんは、その喜びと感動のために映画を映し続けているのだ、と笑う。

 

<吹雪の奥尻島へ>

 その日、港は吹雪いて、船は欠航した。

 ライトバンの中で二日間待って、西崎さんは奥尻島に渡った。

 移動映画の上映予定日は二日間遅れた。

 島の中を、新しい上映日を知らせながら、西崎さんのライトバンが走る。

 車の上部に取り付けた、手作りのポスター看板と小さなスピーカー。それがこの移動映画館のPR方法の全てだった。

 島を走りまわったあと、西崎さんは映写の準備を全て整え、じっと島民がやってくるのを待った。11年前、初めてこの町に来たときのように。

 6時30分。まず子どもたちがやって来た。

 映画を、テレビやビデオ以外で見たことのない子どもたちが。

  あの大地震で壊滅した奥尻の町に建った、新しい、立派な市民センター。その座席が、子どもたちの笑顔で次々に埋まってゆく。

 そして‥‥、

 「私も子どものころ、このおじさんが映してくれた映画を見たんです。なつかしいなぁ」

 大人になり、子どもの父親になった男性や女性が、そのころの自分と同じくらいの年頃になった子どもたちを連れて、眼を輝かせながら座席にすわる。

 凍てつく奥尻の町が、西崎さんの映す映画の熱気に包まれていく。

 

<観客は西崎さんと同い年‥‥>

 ある日、老人センターの要請を受けて、西崎さんは出かけた。観客は、西崎さんとそれほど年の違わない人々。

  西崎さんが選んだのは、戦争をテーマとした、昔の日本のコメディ映画。

 見終わった一人の老人が、笑いながらこう言った。

 「戦争はあんなもんだよ。弾に当たらないように戦うんだ」

 上映が終わった後、西崎さんは観客に向かって語りかけた。

 「ぼくも、皆さんと同じ年なんです。でも、おかげさまで今もこうやって働いています。皆さんも、がんばってください」

 どんな介護より、どんな治療より人の心を癒す、西崎さんのハート・ケアだ。

 

<本当に好きなことをして生きるのは‥‥>

 西崎さんは移動映画の旅に出ると、何ヶ月も家には帰れない。

 久々に帰ってきたとき、奥さんの仏壇に向かいながら、西崎さんは云う。

 「お前、俺をまだ迎えに来るなよ。あと10年は迎えに来るなよ。まだやりたいことがあるからな」

 西崎さんは少年のような目をして、こう云う。

 「映画は夢を見させてくれる。もちろん現実は、映画みたいにはうまくいかない。でも、本当に好きなことをして生きるのは、人生として最高だと思うよ」

 お元気ならば西崎さんは今年78歳。

 西崎さんが、命の続く限り、といったこの小さな移動映画館は、北海道のどこかの小さな村や町を、今も走っているのだろうか。

 あの暖かな命の映画館は‥‥。

 

(追伸)

 このブログをたててから、西崎春吉さんのことがweb上でたくさん取り上げられていることを、『ドン亀日記』のドン亀さんが知らせてくださいました。さっそく”西崎春吉”さんで検索したところ、本当に沢山の方々が、彼と彼の移動映画館について書かれていらっしゃいました。

 西崎さんは、いまも元気で張り切って移動映画を続けていらっしゃるようです。本当によかった。いつまでもお元気で、がんばってくださることを、心から応援したいと思います。西崎さん、がんばって! 

            

 

ゆうばり国際ファンタスティック映画祭2004 (第15回) 
相澤さん 「中田鉄治さんの夢を引き継いで<鉄っちゃんシネマ大賞>」
第1回受賞者
 西崎春吉さん(函館市)
■道南を中心に、29年間、映画館の無いまちで公民館などを使った「移動映画館」を開設し、映画上映を続けている。
昨年死去した妻の芳子さんと、夫婦2人3脚で行ってきたが、芳子さんに
先立たれてからはたった独りでまちを回る。
公民館などの会場予約からチラシ配り、もぎりまで
全部自前。機材一式をワゴン車に積み込み、旅先では車中泊しながらの上映を行う。
「人からは
『もうからないのに、ばかでないか』と言われるが、やっぱりみんなの喜ぶ顔が見たくて」と話す。
中田鉄治前実行委員長とは10年程前に1度会い、映画の話で盛り上がった。
中田さんも「あん
たも映画好きだなあ」と感心して言ったという。
■今年1月23日放映のNHK総合テレビ「北海道スペシャル」で奮闘ぶりが取り上げられ、お茶 の間に太きな感動を届けた。
■「いつまでも『映画のおじさんと呼ばれたいので、年齢は公表しません』というところは、いか にも夢を運ぷ映画人らしい一面だ。
■「ゆうばり映画祭なんて、自分には縁が無いと思っでいたのに、こんな風に認めてくれて、本当 にうれしい。
カが湧いてきた。死ぬまで上映をやります」と感激している

※西崎さんについての上記の文はゆうばり国際ファンタスティック映画祭2004公式カタログより 夕張映画祭は2月19日~23日に行われました。

(以上の写真と文章は 『ゆうばり国際映画祭2004鉄っちゃんシネマ大賞』よりお借りしました)    

 (トピックス)

 北海道で実際に、西崎さんの移動映画を体験されたという、フクフク丸さんから、この記事に関するコメントをいただきました。(コメント欄をご覧になってください。) かつて自分も観たという移動映画に、お子さんを連れて、20年ぶりに出かけられたというフクフク丸さんの、感動にあふれたブログを、皆さんにもぜひご覧になっていただきたく、彼のコメントの下の「フクフク丸のあずましいblog:移動映画。」のURL からお入りになることをお奨めいたします。

(本記事内にURL を移動しようとしたのですが、フクフク丸さんのブログへの移動が何故かうまくいきませんので、とりあえず彼のコメントの下に紹介されているURLからお入りください。)

 

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ホタルの木 です。『2000年のノート』から。 [考えさせられた話]

   写メール、不鮮明でごめんなさ い。

 6年前。古い話です。記憶も定かではありません。でも、ノートにはこう書いてある。尾川正二( マサツグ)著 『極限の中の日本人』という本の中に、"蛍の木"というのがある、と。

 2000年5月10日(水) NHK 『地球に乾杯 「黄金の樹を見た~ホタル1万匹の大発光」』が放映されたようです。

 確かに見た記憶はあります。でも6年も前のこと。記憶はおぼろ。だから、ノートに貼ってあるTVガイドの切り抜き(写メール参照)を、丸写ししてみました。

『パプアニューギニアの熱帯雨林の中、闇夜に神秘的な光に包まれる不思議な樹がある。この光の正体は、エフルゲンスという固有種のホタル。

 大集団で同時に点滅したり、滝のように流れたり、渦を巻いたりして、不思議に光るホタルを、人々は、森の精霊の使いとして、崇めてきた。

 なぜ一本の樹に集まり、一斉に輝くのか?

 人々が大切に守るホタルの樹のナゾに迫る。』

 おお! 自分で自分のノートに刺激を受けてしまった。さっそく「ホタルの木」探訪を開始しよう。

 

<インターネットって‥‥> 

 まずは、ホタルの名前 「エフルゲンス」 の検索から。

 出てきたページの中から選んだのは、当然、「地球・ふしぎ大自然」のホームページ。ありました。私のメモよりはるかに詳しく、「ホタルの樹」について。

 だからその内容ををくだくだしく書くより、ダイジェストをほんの少しのほうが。

「撮影場所は日本から南へ五千キロ、赤道直下の島国・パプアニューギニアの中のニューアイルランド島にあるラムスムス村。

 新月の夜、この村のジャングルの中に建てられた古い教会の傍のマンガスの樹に、1万匹を超えるホタル(学術名はプテロプティック・エフルゲンス)が集まり、壮大な点滅を繰り返す。その様子はまるでクリスマスツリー‥‥」

(もっと詳しく知りたい方は、NHKのホームページをどうぞ。)

 バカな私はさっそく画面を写メール。いつものように不鮮明ですが、こんな画像を載せてみました。そしてついでに、昨年新宿高島屋の前で撮ったクリスマス・イルミネーションの写メールを、添えたりして。

   

 左側がホタルの樹。右側が新宿高島屋前のクリスマス・イルミネーションです。なるほど。でも、こんなに簡単に「知る」って、なんだかつまらない‥‥そう思ってしまったのは私のワガママでしょうか。

 こういう事実を知る前、私は心の中にとてつもない妄想を広げ、行ったことのない南国の未知の夜空の下、光り輝く「ホタルの樹」に、無限のファンタジーを感じていました。

 6年前心惹かれ、古いノートのこのページを開くたび、それこそ胸躍らせていたのに。胸躍らせていたものの実体を、妙に正確に、きちんと、知ってしまったいま、私の中から「不思議」の種がひとつ消えてしまったような、ひどく寂しいこの感覚はなんでしょう。

 知らなきゃよかったとは決して思いません。

 でも私は多分、いまでも月にウサギはいる、と思っていたいタイプなんです。シビアな現実より、夢と空想の余地を残した”不思議”のほうが好き。

 お話作りを生業とする私は、インターネットの素晴らしさの裏にある、なにか怖いものを見てしまったようで、落ち着かない気分です。

 

<「ホタルの木」に惹かれる人との出会い>

 知りたいことをアッというまに知ってしまったので、さて帰ろうとホームページを閉じたとき、もとの検索ページに、こんな言葉を見つけました。

だから僕はもう少しここにいることにするよ」 

 え ?  どうしてホタルのページに ?

 ためしに入ってみました。出てきた記事のタイトルは「ホタルの木」。

 おお 、ここにも! 

 読み進むと、NHKの情報とはまた違った角度から書かれた記事。私と同じ、個人的な思いから生まれた興味と関心があふれていて、とても面白い。

 でも、ホタルに続く記事の後には、彼の静かな日々を語る、静かな言葉が並んでいたのです。

 ブログの主は、もと花屋だったMakoteeさん。30代の男性。読み進むうち、「one  pice」というタイトル記事の中に、こんな記述が‥。

「本屋さんで、つい最近発売されたDVDを買った。「胸心術」という心臓手術の一部始終を収めた映像だ。自分の受けた手術がどんなものだったのかを知りたいとずっと思っていて、ちょうど大動脈弁への人工弁の装着過程が見られると知って買いに走った。

 映像を見ていると、かなり衝撃的でもあり、自分の心臓の辺りがズキズキ痛むような気がしたが、実際ちょっと痛かったが、それでも見ずにはいられなかった。人工血管を使う場面以外、ほぼ自分が受けた手術内容と同じ内容だった。病院で手術を受ける直前まで、いくら調べても、何度説明を受けても、不安と恐怖で活きた心地がしなかったから、事前にこういうものがあったら少しは気も楽だったかなと思った」

  彼には、10才年上の電波さんという友だちがいて、ときどき電話をかけてくるのだそうです。その電波さんが最近、13年も連れ添った愛犬を亡くし、ずいぶん元気を失くされている‥‥。

 彼自身、友人に「なんで別れなくちゃならなかったの?」と聞かれる、パートナーとの別離を経験していて、そのことを「長い鎖のようにいつまでも続くと思われた苦しい日々は、知らぬ間にいつか終わった。哀しみは湖の底に沈んで、手を触れることも出来ないほど遠ざかっていった。」と述懐されています。

 「ホタルの木」の記述に続く、電波さんと彼とのやり取りは暖かく、ほんとうに胸を打たれました。

 彼の部屋を出て、今度こそ自分のブログに帰ろうとしたとき、ふともうひとつの「ホタル」に気づきました。タイトルは「ホタル裏日記

 ついでに、と入ってみると、これが例のNHK「地球・ふしぎ大自然」のディレクター氏によって書かれた、取材裏話。

 2004年2月23日に再び放映されたらしい「ホタルの木」の取材を担当したディレクター氏の話は、別の意味で、と胸を吐かれる思いでした。

 実際に現場を調査してまわった彼の話は、画面には決して現れない、いわばボツ話。でも、マラリア蚊やダニと闘い、鼻をつままれても解らない闇の中、ドロにまみれながら光の精の子どもたちを探し回るカメラマンの姿や、「ホタルの木」と共に生きているからこその村人や子どもたちのエピソードは、気楽な観光客気分で、世にも珍しい「ホタルの木」に興味を寄せていた私の頭がガツンとやられるのに十分な、意味と内容にあふれていました。

その中のひとつ‥‥‥

<消えていく ホタルの木>

 この話は全文紹介させていただきたいと思います。

『条件さえよければ、ほぼ一年中見ることができるホタルの木ですが、いま急速にその数を減らしています。

 (横須賀市 自然博物館の)大場信義さんは、これまでに何度もパプアニューギニアで調査をしていますが、訪れるたびに観察できる場所が減ってしまっているそうです。

 大きな原因は、木材輸出のための伐採です。

 ホタルは、森の中でも高く目立つ木に集まります。当然そんな大きな木は、一番に目をつけられて、伐られてしまいます。一度木が無くなってしまうと、ホタルたちの出会いの場がなくなるため、そのあたりのホタル自体がいなくなってしまうのです。

 筆者注 : 2000年の私のノートには、こうメモってあります。

☆日本の木材会社が森の伐採権を買い、一年に50万本もの木々を伐り倒している。ホタルの集まるマンガスの木は利用価値が高いため、真っ先に伐り倒され、ラムスムス村ではもう、村の古い教会のそばの一本だけしか残っていない。

 ところが最近、ホタルの木に対する、もっと深刻な脅威があることがわかってきました。それはなんと「光」です。

 自分以外の光に非常に敏感なホタルたちは、周囲が明るいと、光るのを辞めてしまいます。つまりオスとメスは出会えず、子孫も残せなくなります。

 脅威は意外な盲点でした。普通は田舎道に街頭がつくぐらいのことで、自然が破壊されるとは思いませんよね。

 今回の撮影で、夜というのは「闇」の世界なのだ、と改めて気づかされました。パプアニューギニアも、最近では大きな町にはかなり電気が通うようになっています。それでも東京の夜とは比べ物にならないほど暗いのですが、周辺の予想外に広範な土地で、その光の影響を受けていたのです。

 もちろん、電気のせいだけではありません。

 私たちが訪れた村にも、大場さんが以前調査をした大きなホタルの木があったのですが、今回はまったくホタルが集まらなくなっていました。なぜかというと近所の家の一軒が「ランプ」を買ったからでした。

 村では、ランプを持っているというのはステータスなのか、毎晩軒先に吊るしたようで(ホタルが消えたのは)その影響だったのです。

 夜でも明るく便利な暮らし。現地の人たちが今後そういった豊かさを手に入れたいと思うのは無理のないことで、それをとどめることはもうできないでしょう。

 しかしいつかパプアニューギニアにくまなく電気が通ったら、ホタルの木は地球上から消えてしまうかもしれません。』

 たったひとつのランプの灯りに対応できず、消えていくホタルたち。

 この事実は、『夜』という言葉の意味を見つめ直す機会を、私に与えてくれました。このディレクター氏も言っているように、夜とは『闇』なのです。どんな明かりもない、自然の、真の闇の中でこそ、ホタルたちはお互いのかすかな光を見つけ合うことができる‥‥。

 いつだったか、大接近した彗星群を見にいったことがありました。私が住んでいるのは原宿。ネオンこそありませんが、いつも、星などひとつも見えないほどの空の明るさ。到底ムリだろうと思いつつ、流星雨と言われるほど大量の流れ星見たさに、駄目を承知で近所の代々木公園へと出かけたら‥。

 原宿駅までは、星などひとつも見えません。でも駅を離れ、代々木公園、つまり街灯を頼りの都会の暗闇に近づくにつれ、星が姿を現し始めたのです。

 公園の中は、真っ暗ではもちろんありませんが、竹下通りや原宿駅前とは比べ物にならない暗さ。見上げれば、都会にもこんなに星があったのか、と驚くぐらい、星が輝いていました。流星よりも、そちらのほうの驚きが強かった‥。

 ホタルの光がランプの灯りに負ける、わかるような気がします。

 <お願い、私が行くまで消えないで>

 「ホタルの木」というファンタスティックなキーワードに惹かれ、いそいそとインターネット観光に出かけた私。でもそこには、求めていた情報よりはるかに多くの”驚き”や”夢”や”現実”が隠れていて、私を考え込ませてくれました。

 日本の源氏ボタルより二まわりも小さいという”プテロプティックス・エフルゲンス”(下図が、NHH『地球 ふしぎ大自然』からお借りしてきたエフルゲンスの写真です)。彼らが作り出す「ホタルの木」が、どうか地球上から消えてしまわないようにと、祈るばかりです。

                  

 

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アイルランドで日本語を ?『 2002年のノート』から。 [考えさせられた話]

私の手元に、古びて端のめくれ上がったものから順に、12冊ばかりの大学ノートがあります。俗に言う゜制作MEMO」ってやつ。

 ノートの中には、童話や小説のアイデアやら、TV番組からのメモ、新聞・雑誌からの切り抜き、人の悪口、自分への反省文、映画や展覧会のパンフレットに、自己流の書評、辛口のエッセイ 爆笑問題 等々、ありとあらゆる心の引っ掛かりが、テンコ盛りにメモってあります。

           

 一冊が、大体一年分。

 その中の一冊 、2002年度版を見ていたら、こんなことが書いてありました。これは多分、TVニュースからの走り書きでしょう。ちょっと面白いので、書いてみます。

『アイルランドでは、今年から、全国300ヶ所の小・中学校で、新しい言語を学ぶ対象として、「日本語」を取り上げることになった。

 これは、欧州や米国とはまったく異なる言語であることが取り上げる理由で、こうした、自分たちが日常的に使う言語とは、基本的にまったく異なる言語を学ぶことで、逆に、母国語を強く意識させ、言葉を正確に理解することの大切さを、実感させることが目的である。

 他国語を学ぶときもっとも重要なのは、母国語を正確に理解することで、母国語を正確に使いこなすことのできない者は、他国語をも理解できない』

 というもの。

 そういえば2002年は、1月1日から、ヨーロッパ共通通貨のユーロが使用され始めた年。

 通貨の垣根が取れれば、各国の人々はそれまでよりもっと自由に行き来するようになり、文化もまた自由に行き来し始める。そうなれば、国家の個性というものが希薄化することは、十分に考えられる。

 日本が開国してから、洋風文化がなだれ込み、100年以上たった今では、その風潮はますます進んで、今や日本の文化や歴史さえ、ろくに知らない若者が増え続けている‥‥。

 特に言語。

 若者言葉も流行語も、英語も決して、悪くはないけれど、それと同等に、美しい日本語、というものも大切にしてほしい、と思いません ?

 こんなことがありました。

 ある日我が家の電話が鳴り、出てみると、若い女性の声で、英会話スクールの勧誘。

 国際化社会を迎え、今インターナショナルな言語を学ばなければ、社会の変化についていけなくなりますよ、と脅迫めいた口調です。

 少々カチンときた私は、こんな質問をぶつけてみました。

「ねえ、あなたは英語、できるの ? 」

「ええ、もちろん。いまお奨めのこの英会話スクールで、私も学んでいますから」

「そう、ではね、あなた、その素敵な英語力を使って、外国の方と、どんな会話をなさるの ? 」

「えっ、そりゃもちろん‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」

「外国の方に、歌舞伎や能や、日本の伝統工芸について聞かれたら、あなた英語で、どんな風にお答えするの ? 日本の歴史や政治・経済、いえ、日本のあれこれに限らず、世界の情勢や、あなた自身の未来について、あなた自身の考えを聞かれたら、どんな風に答えるのかしら」

 電話は、いきなり切れました。失礼な !

 日本人が、日本語を使って質問しているのに、ろくな答えも返せない人が、英語学んでどうすんだ ! と、しばらくプリプリしていましたっけ。

 アイルランドの方たちは、きっと、こういうことを考えたのでしょうね。

 まずは母国語を意識させ、どんなに外国語を学んでも、その内容、つまりちゃんとした会話ができなければ意味がないと。

 だからアイルランドの人たちは、日ごろ接する機会や情報も少ない、遠い遠い日本の言葉を、小・中学生たちに学ばせながら、この国の人たちとどんな会話をすべきなのかを、強く意識させ、母国の大切な文化や歴史を、興味と目的を持って学べるように、母国語で、ちゃんと教育しているのではないのかしらん。

 高校時代、学校で行った歌舞伎見学で、担任の国語の先生が、大きな口を開けて居眠りしているのを見て、がっかりしたことがある。

 ウチの子どもが小学校に入った直後のPTAで、何かご希望は ? と聞かれたので立ち上がり、子どもが単語だけで、たとえば「先生、おしっこ」とか言ったら、「お手洗いに行かせてください」と、ちゃんとした言葉に直して返し、人と会話する基本を教えてください、と言ったら、あの親はうるさい、とブラックリストに載せられた。

 別の機会のPTAで、「ウチの子は漫画ばっかり読んで、ぜんぜん本を読まないんです。どうしたら本を読むようになるんでしょう」という質問が出たので、またまた立ち上がり、「それはやっぱり、まず親が読まなくては。子どもは親の真似をして育つものですから、あなたがたくさん本を読めば、お子さんはきっと真似をして本を読むようになると思いますよ。家庭にまずたくさん本が増えるでしょうし」

 他の方が、「ウチの子はまるで勉強しないんです。どうしたら‥‥‥」「そりゃやっぱり、まず親が子どもの前で、勉強している姿を見せなくては。子どもは何で自分だけ‥と、言うこと聞かなくなると思いますけど」

 これでPTAの方たちからも、仲間はずれにされてしまった。なんで ?

 子どもたちを集めて、絵と作文を教えていた時期があった。私はまず子どもたちに、うんと面白い、楽しいことを体験させ、「さあ、いまのを描いてみよう。書いてみよう」とやった。

 これは子どもたちに大ウケ。で、「先生、なんで日曜日、お休みにするの ? 」と、責められた。

 一週間に2日間、という約束の教室は、毎日通ってくる子どもたちであふれ、日曜日もみんな遊びに来て、しまいには、まるで、遊園地か児童館状態。でもこの毎日は、私もほんとに楽しかったけど。

 つまりは、話したいことがなければ、英語も日本語も意味がなく、描きたい何か、がなければ、クレヨンも鉛筆も、何の意味もない、と言いたかっただけですけどね。

 そうそう、ノートの端っこに、こんなことがメモってありました。

「理解できたことは、たとえ身振り手振りでも、伝えられるし、表現できる。でも、知らない、解らないことは、いくつ言語を知っていても、宝の持ちぐされ」

 青い文字の部分は、いまから4年ほど前、4月25日(木)のページからでした。

   

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武士の子育て術『技化』を知ってる?  [考えさせられた話]

男の方には解らない話かも知れないけど

       女の初めての子育てというのは、ぶっつけ本番なんです
                  リハーサル無し!
       ある日突然、いきなり生まれたての人間の子どもを手渡され
                ハイこれあなたの子ども、
            がんばって育ててね、って言われる。
              がんばらなかったら殺人!です。
 
         誰だってパニくるし、誰だって途方にくれますよ。
 
         人間の子どもなんて、育てたこと無いんだから
                 
              だから悩んで、途方にくれて‥。
    
    育児書やら、○○博士の医学書みたいなのを山盛り買ってきて、
                 必死で読むんだけど 
      どっかの子どもの、似たようなケースのことは書いてあっても
 
                 こんにちただいまの
         わが子の問題について、なんてどこにも書いてない‥
   
     で、最後には、自分と自分の母親とのことを思い出すしかなくて。
 
             自分がどうやって育てられたか、
                 何を教えられたか、
             どんなとき、どんな風に叱られたか、
           母親、父親は自分に何をしてくれたか、と。
 
              子育てのお手本は自分の母親。
 
             そしてかつて子どもだった自分自身。
 
        そうして結局、自分にそっくりな人間を育ててしまうのよね。
            自分が、母親そっくりになってしまったみたいに。
 
        子どもが親からもらうものは、日々のエサばかりじゃない。
    
         親の知識、親の常識、親のお行儀、親の考え方‥‥。
 
          そして、親の無知、親の怠け方、親のいい加減さ、
            口の悪さ、ズル賢さ、短気、嘘のつき方‥‥
 
                  こっちが知らないうち
               向こうは勝手に吸収してしまう
            子供は、見て、覚えることが基本だから。
             
                   究極の子育てって
                     子どもを
          自分よりマシな人間に育てるってことかもしれない。
 
                    そこで、
 
   昔の日本人が子どもをどう育てていたかを書いてみることにしました。
 
                 あなたの子育ての
 
          役に立つかどうかはわかりませんけど(笑)
 
 
    『技化』という子育て法、知ってますか? 
 
2003年3月8日(土)の私のノートにこんなことがメモってありました。 
 
昔、日本の教育は”読書”が中心だった。
 
 5~6歳の子どもに論語や四書五経などを「素読」させ、理解より覚え込ませることを主体とした教育をした。
 
 繰り返し読み、ついには暗記するまでいくと、人はそれを「言葉」として使えるようになる。これを『技化』と云う。
 
 『技化』されたものは、一生使える技術となって、その人を支える。
 
(注)これは例えば歌舞伎に於ける修行も同じで、6歳から、まず芝居の形を体に叩き込むことで、体の『技化』を行う。
『技化』しておけば、体は勝手に動くようになり、頭(→理解)が後から、その体に入ってくる。
 
 読書においてもっとも重要なのは「量」
 「量」読めば、言葉の質が上がってくる。また、言葉の量も増える。
 
 読んだものを覚えるには、読むそばから人に話すこと
 話せば、話した内容が、頭に入ってくる。3人に話せば、ほぼ完全に覚えることができる。
 人は、他人の言ったことなどほとんど覚えてはいないが、自分が言ったことは覚えているもの。だから、得た「知識」を「語る」ことで、「覚える」方法が一番合理的で、理にかなっているといえる。
                                         』 
 
 
 メモの内容はこれだけでしたが。
 
 確かに地味で時間はかかるけれど、まず体(カタチ)を作ってから、成長に従って、その意味(頭)を体に入れていくというこの方法は、とても合理的で、その子の一生の役に立つ力を育てる、確実ないい方法なんですね。
 
 日本人はもう一方で、写本や写経という、書いて覚える方法も取っていました。絵画でもまずは模写。書道でもまず写本。
 
 つまり日本人は見よう見まね、を学び方の基本と考えていたわけです。
   そして子どもたちはまず親を真似る‥みんなで気をつけましょう!
 
 私がむかし、企業の人材育成の仕事をしていたころ、強い実感に基づいて、この方法を実践していました。
 もちろん当時、『技化』という言葉は知りませんでしたけど。
 
 技化の基本は繰り返しです。
 だから相手が覚えこむまで、覚えるべき内容を繰り返します。
 
 子どもに正しい箸の使い方を教えるように、出来るようになるまで、徹底的に教えるのです。それがその人の中で日常化→技化するまで。
 
 つまりこの『技化』という方法は、大人になってから何かを学ぶときにも十分に通用する、人間育成の方法だということです。
 
 
 ウチにはいま、文章を習いに来る若い衆が、年中出入りしているんですが、彼らに私がいつも言うのは、『見ろ、読め、知れ、知ったら話せ』です。
 書くのはいちばん最後だと。
 
 文章は言葉。
 だから言葉を鍛えろ、というのが私の持論で、「話上手になれば書き上手になる」と言われて、ウチの若い衆は必死でおしゃべりしてます。
 その言葉の使い方は違う!もっと端的に話せ!と叱咤激励されながら。
 
 まずは話せ、正しく話せ、正しい言葉遣いで筋道立って話せるようになれば、文章もそうなる、だから出来るようになるまで繰り返し話せ、です。
 
 これは言うならば『言葉の技化』
 
 そして、言葉遣いが直ってくると、不思議に行動のカタチ、つまりは居ずまいが直ってきて、最近はみんな、なかなかお行儀が宜しくなりました。
 
 『子育ては、言葉育て』でもあると思います。
 言葉のカタチは、人のカタチ、生き方のカタチです。
  言葉が変だと、その言葉を使って生きるカタチ、つまり行動がおかしくなってくるのは当たり前です。
 
 親子のコミュニケーションを、友だち感覚でやるクセがつくと、子どもはいつか、親を親とは思わなくなります。思わなくなってしまってから、「親をナンだと思ってるんだ!」なんて、もう遅いのです。
 
 子どもは言葉と行動を一番身近な人、つまり親から学び、覚えます。
 
 その意味で、いま、ちゃんとした言葉遣いを学ぶべきは親のほうではないでしょうか。子どもたちの言葉や行動が乱れているのは、あながち世の中や社会のせいばかりでなく、乱雑な言葉を平気で使い、いい加減な生き方をしている、子どもたちに一番近い大人、すなわち親のせいではないのか、と感じます。
 
 どんなに世の中が乱れても、日常を過ごす家の中がちゃんとしていれば、子どもはきちんと育つものです。
 
 というわけで‥‥。
 
 日常の何でも無い、ごく普通の会話や挨拶、そして立ち居振る舞いを、まずは親がちゃんと行い、それを子どもに見せ、教えて、技化していく、それが最良の子育てだと、私は思っているわけです。 
 
 こんなこ難しい話に付き合ってくださってありがとう。これはほんのお礼です。ウチの近所の交差点に咲く満開の山桜ですが、そろそろ散り始めています。携帯写真なので、そんなにクリアには写せませんが、実際はもっと綺麗なんですよ~。
                                                 2006.4/4
 
  
 
 
 
 
 
 
 

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