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『灰色の瞳』― 物書きの独り言 17 [エッセイ]

           『灰色の瞳』

この話は、mixiブログで展開している「物書きの独り言」と称するシリーズ読み物の中のエッセイ5連作の最終話です。1967年辺りから1970年代前半にかけ、20歳になったばかりの一美大生であった私が、文化人たちがたむろすることで有名だった新宿ゴールデン街片隅にあったバラック酒場「もんきゅ」でアルバイトをしていたころ見聞きした、さまざまな人々のさまざまな人生模様。この最終回では、夢を追ってアメリカに飛び出していったある女の子の話と、私をゴールデン街という不可思議な街に引きずり込んだ「もんきゅ」のマスター・シュンさんが、最後に堕ちていった地獄の恋のお話。人が、生きていたそれまでの人生を全て捨ててまで追う夢や恋とは、いったい何なのでしょう。このエッセイを書くことで、世間知らずの小娘だった私の胸に、今も残るあの人々の人生ドラマが蘇ってきました。そしてこのシリーズ・エッセイを締めくくる唄のプレゼントは、椎名林檎と長谷川きよしのデュエットで贈るフォルクローレ。ペルーはアンデスの山々にこだまするあの”コンドルは飛んでいく”を作った”ウナ・ラモス”の作詞・作曲による『灰色の瞳』です。読後、あなたの感想をいただけると筆者は喜びます。

         

『昔々、新宿ゴールデン街に、「もんきゅ」という小さな酒場があった・・・・・。
フランス語で“可愛いお尻”という名前のこの酒場は、八番街と呼ばれる通りの中ほどに位置し、人一人やっと上れるくらい狭く、垂直に近い危険な階段を昇った2階にある、3坪あるかなしかの小さな店だった・・・・・・』
こういう書き出しから始まった物書きの独り言13。
その「新宿ゴールデン街物語」も今回で最終話。
最終回には、やはりマスター、シュンさんのことを、と思ったけれどその前に、この店に出入りしていたある女の子のことを、どうしても書き留めておきたい。


■アッコと呼ばれた女の子

アッコさんは私と同い年・・・・だったと思う。
真っ黒な艶々した髪をおかっぱに切り下げ、大きな、まつ毛の長いパッチリした眼を、しっかりと相手に見据えて話す、超美人の女子大生。

そんな彼女が、宮城の東北大学で「異常性心理学」を専攻している、と聞いたときは、ほんとに驚いた。


当時の私は、国立大学にそんな学問を学ぶ場所がある、というだけで目を瞠ってしまうほど世間知らずな、タダの美大生だったから。
彼女と私は、そんなに深い付き合いはなかった。
店に来ればなんとなく話をし、その内容も、今はほとんど覚えていないくらい、ごくごく普通の、同世代の他愛ない会話。
彼女にとって私は、さほど興味を引く相手ではなかったのだろう。


シュンさんのポリシーは「本人が話さないことは聞くな」
だから私は、彼女にあれこれ聞くこともなかったし。


彼女が“もんきゅ”に顔を出すのは、大学が休みのときだけ。だから、なんて気まぐれで神出鬼没な女の子だ、ぐらいに思っていた。
記憶に少ない「彼女が話した話」を思い出してみると・・・・・。
「ジュウシンがね、遊びに出て来い、ってシツッコク言うからさ」

 

彼女がジュウシン、と呼び捨てにしていたその人の名前は故・佐藤重臣(しげおみ)。
それは、実はトンでもない人で。
アヴァンギャルド、アングラ、カルト、インディーズ映画を紹介・評価し続け、1926年から75年まで50年の歴史を持つ「映画評論」の編集長を十年間勤め、また「黙壷子(もっこす)フィルムアーカイブ」という上映会で『ピンク・フラミンゴ』や『フリークス』等のカルト作の上映活動を行ったりしていた、当時、最前衛の映画評論家。

        映画評論

http://homepage3.nifty.com/ccp/eigabon/eigabon184.html

「現代日本映画論体系」という大著や、さまざまな映画評論の著作をモノし、『佐藤重臣は、映画を面白がることの名人だった。敢然と独自の評価を打ち出し、映画の中に隠れた宝物を探し出す評論家』と評されるような人物。


足立正生や唐十郎さんたちと「メケ分化とマニエリスム――胎内回帰から俯瞰願望まで、ホモ・セクシアルから両性具有の世界をまさぐる!」とか、作家・野坂昭如さんと「焼跡の中のセックスから」とかいう対談をしょっ中していて。
澁澤龍彦さんや、暗黒舞踏家の土方巽さんたちとの交友が深いことでも知られていた。

     澁澤龍彦

そういう人を、ジュウシン、と呼び捨てにし、彼に呼ばれて宮城県から東京に遊びに来る。
しかも、憧れの澁澤龍彦さんからも、ひどく可愛がられていた女子大生、アッコさんって、いったい何者!
でもシュンさんは「本人が話さないことは何も聞くな」と緘口令を敷くので。
アッコさんに聞きたいあれこれは、全て我慢せざるを得なかった。

 

よく考えてみれば、最初の項で書いたように“もんきゅ”は、店主のシュンさんの、趣味・嗜好が色濃く打ち出されている店。
それは店の装飾ばかりでなく、出入りする客に対しても「シュン好み」は反映されていて。
ごく自然に、性愛のあれこれへの差別意識など持たない、知的文化人たちが多く出入りするようになっていた。

そんなある晩、アッコさんが私に、突然こんなことを言った。
「私ね、家を捨てようと思うの」
えーっ、どど、どういうことよ、それ!
「アメリカに行く」
いっ、いっ、いつっ!
「近いうち」
でっでででも、何も家を捨てなくても・・・・・。
「理解してもらえるわけ無いもん」


彼女がぽつり、と話してくれたのは、彼女の家は実は大変な旧家で。
厳格な家柄に育った彼女は、身動き取れないほどの、親や親戚の支配の中で、ほとんど窒息しかけているという話。
確かに、そういう時代ではあったけれど。
「私の人生だもしさ」
そ、それは、そうだけど・・・・・。
         ニューヨークの夜景       

まだ20代前半の女子大生が、自分の持っているもの全てを捨てて、単身アメリカに向かう、というのは、まだまだ経済後進国だった当事の日本の世相から言って、大変な決心だった。
何しろ、1ドルの交換レートが360円という、大円安の時代。
アメリカに関する情報も少なく、どんな社会で、どんな暮らし方をしている国なのか大まかなイメージしか沸かないほど、まだはるかに遠い国だったから。
家を捨てる、つまりは親も家族も捨てる、という彼女の決心は、両親との確執にあえぎながら、自立する決心もつかないまま悩んでいた私には、眩しいほどの生き方に見えた。
そして、その決心をさせた何か、を見つけた彼女に、強い羨望感を抱いたものだ。
いったい何が、自分と同年代の彼女の心を、こんなにも強く衝き動かしているのだろう・・・・・。

彼女からこんな話を聞いてまもなく、私のほうにも事件が起きた。
物書きの独り言14『薔薇のトミィ』で書いたように、新宿ゴールデン街という、もと青線でのアルバイトに、両親が激怒したのだ。
そして、さんざんなやり取りの末、私は家を出る決心を固めた。

「だったら、私が出たあとの部屋に入ればいいよ」
アッコさんはさらりと言ってのけた。
東京に出てきたときのために借りていた、一軒家の四畳半の一部屋。
シュンさんの住む部屋の隣り。
生まれて初めての一人暮らしへの決心には、アッコさんの生き方からの影響が、多大にあったと思う。
アッコさんの決心に比べれば、アリンコのようにちっぽけな冒険だったけれど。
「その代わり」
アッコさんは言った。
「敷金、礼金は払わなくて済むように、大家さんには私の従妹だと言っとくから。私の親のこと、頼まれてね」
えっ、何の話?
「親には黙って行っちゃうから、きっと私を訪ねてくる」
ンなな、なにっ!
「こう言ってくれればいいのよ。もう、日本には居ません、って」
えぇっ・・・・・・・・・!?
「後の祭り、ってやつ」
!!!!!!

クリスマス・イヴの夜、“もんきゅ”は大入り満員になった。
ちっぽけな店中が、人だらけ。
かなりの人が立ち飲みしている間をかいくぐって、水割りやロック、ハイボールなどを配って歩く。
そこへ・・・・・。
「おーっ、アッコッ、久しぶりだなーっ」
私とアッコさんの間の打ち合わせはほぼ終わり、2、3日中には、とりあえず私の荷物を運び込む、という手はずが整っていた。
知っているのは、私とアッコさんと、シュンさんとシュンさんの奥さんだけ。
アッコさんは、私に、ちょっとウィンクし、何も言わなかった。

夜が更け、店にはますます人が増えていく。
私はカウンターの中で、懸命にお客さんのオーダーに応えていた。
「おい、アッコ、大丈夫か」
見ると、かなりの酒豪のはずのアッコさんが、上体をふらつかせている。
「だ、大丈夫?」
「だーい、じょー、ぶよー」
ロレツも怪しくなっている。
「すす、座って、座ってっ、アッコさんっ」
「出ておいでよォ、ドガちゃぁん、ちょっとだけサァ」
シュンさんが目配せを送ってきた。
私はあわててカウンターを飛び出し、壁際で上体を揺らしているアッコさんの体を支えた。
「ドーガーちゃぁん」
アッコさんは私にしがみつき、いきなり・・・・・・。

      

私は、生まれて初めて、女性にキスされた。
それは、なんとも不可思議な感覚だった。
男性のそれとは、全く違う、柔らかな唇。
性愛の感覚とは全く違う、なんだか安らぐ、同性とのキス・・・・・。

私とアッコさんは、かなり長い間、唇を合わせていた。
周りの人々は、まるで気にしていない。
ワイワイ騒ぎ、ぐいぐい飲んで、私たちをチラリとも見ない。
私のほうも、周りの反応など、気にもしていなかった。
私は、気づいていたのだ。
アッコさんが泣いていることに・・・・・。
体中が、震えていることに・・・・・。

私はアッコさんを強く、強く抱きしめ、誰の眼も気にせず、長い長いキスを続け、アッコさんもそれを、じっと受け止めてくれていた。

それから2日後、アッコさんは行ってしまった。
みんなの話では、誰にも言わず、ジュゥシンさんにも、渋沢さんにも別れを告げず、たった一人で、当時国際空港だった羽田から、飛び立っていったという。

「アッコらしい」
シュンさんがポツリと呟いた。
私も、そう思った。

でもあの夜、大騒ぎのクリスマス・イヴ。
私の腕の中で、体中を震わせて泣いていたアッコさんを、私は知っていた。
アッコさんは多分、悲しくて泣いたのではないと思う。
抱きつく相手も、きっと私でなくともよかったのだと思う。
彼女はただ、別れを告げたかったのだ、何かに。

未知な何かに挑戦するというのは、本当に怖い。
何の予測もつかず、成功なんて思いもよらない。
それでも、そうせずには居られない何かに気づいたとき。
そうするのだと自分に決めたとき。
人は震えながら、その一歩を踏み出す。
私も、それから何度も、そういう経験をして。
人生には、そうせずには居られないときがあるということを知った。

それはきっと、誰にもわかってはもらえないもの。
自分ひとりで闘ってでも、と思わせる何か。
それをすれば成功するとか、それをすれば何かがうまくいくとか、そういうものではない何か。
ただ、そうせずには生きられないのだと、確信してしまう何か。

そういうものにぶつかるたび私は、私の腕の中で泣いていたアッコさんを思い出した。
敢然と、ひとりで旅立っていったアッコさんを。

あの夜から40年という月日が流れ、アッコさんの消息は全くわからない。
折節の風の噂は、ニューヨークのフィフス・アベニューで画廊のオーナーになったとか、トルコ人だかアラブ人だかのTVプロデューサーと結婚して、離婚して、今は豪邸に住んでいるだとか、確かめようも無い消息を伝えてくるけれど。
何があろうとアッコさんは、今も敢然と、自分の生き方を貫いているに違いない。


■シュンさんの恋

シュンさんの隣の部屋に住み始めてから、時間のあるときは近所の喫茶店にお茶を飲みにいき、奥さんと三人で、取りとめの無いおしゃべりをすることがよくあった。
でも考えてみればそれもまた、本当にどうでもいい雑談ばかりで。
「猫を飼ってたことがあってね。真っ白なペルシャ猫。シュンの恋人」
シュンさんが苦笑いしてる。
「私たちが小鯵かなんかのおかずでご飯食べるときでも、ブランには赤身の牛肉。それも最高級のよ」
ブラン・・・やっぱりフランス語なんだ、普通にシロって呼べばいいのに。

          

「シュンはもうもうベタ甘で。何でも、いくらでも許しちゃうの」
贅沢三昧させた結果・・・・・もの凄い巨大猫に育ってしまったらしい。
「それがね、あるときどうしても用事があって、二人とも出かけなきゃいけなくなってね」
シュンさんは、何故かそっぽを向いた。
「家中に鍵かけたんだけど。シュンが、窓だけは開けといてやりたい、って言うもんだから」
窓の張り出し部分に座って、外を眺めるのが好きな猫だったらしい。
「そんなに長くは出ていなかったんだけど」
あっ、シュンさんどこ行くの?シュンさんっ、シュンさんってば!
「まだ引きずってるのよあの人。脆いとこあるし、自虐的だし」
うそォ!だってシュンさん、女を裸にして縛りあげる伊藤晴雨とか、ゴムスーツの女の人ムチでシバきあげる団鬼六とか好きなんじゃん。
シュンさんもやるの?って聞いたら、「やる」って即答だったし。
「何考えてるの、ドガちゃん?」
えっ、ああ、いや、なーんにも。
「帰ってきて真っ先にブランを呼んだんだけど、どこにも居なくて」
窓から、逃げ出したんじゃ・・・・・。
「ううん、シュンが長い紐を首輪につけといたから。でも、つけなきゃ良かったのよね」
なんで?
「首、吊ってたの・・・・・張り出しの鉄柵からブラ下がってた・・・・・」
えーっ、可哀想に。
「それ以来猫の話はウチではタブー。シュンは相当ショックだったらしくて未だに抜け出せないの。いい年して子供みたいなとこがあるから」

シュンさんはもの凄くモテた。
いろんな女の人が、それこそ入れ替わり立ち代りアタックしてきて。
でも、そういう女の人たちとヘンな関係になったことは一度もなかった。
 少なくとも、私が見ていた限りでは。
「チャラついた女は嫌いだ」
やっぱねぇ、奥さんみたいなシャキッとした女の人がいいんだ。 
「シュンは私なんか愛していないのよ。芝居以外は要らない人だから。私なんか、いつ捨てられるか・・・・」
まさか! 子供まで生まれたっていうのに。
「私が強引に作ったようなものなのよ。シュンはしぶしぶ」
あははは、と笑った奥さんの目は・・・・・でも笑っていなかった。
奥さんの話では、奥さんのほうが、舞台に出ていたシュンさんに一目惚れしてしまったんだそうで。
私、押しかけ女房なのよ、って話に、またびっくり!
私から見たら、シュンさんのほうが奥さんに惚れてるように見えるのに、ほんと、夫婦って、わかんないもんだなぁ。
それが初めて、そしてたった一度だけ聞いた、シュンさんの裏話。

最終回だから何とかシュンさんについて書こうとしたのに、いくら思い出そうとしても、こんな話しか出てこない。
一年ちょっと彼の店で働き、 一年ちょっと隣の部屋で暮らして。
どこの生まれで何をしていたか、親兄弟はいるのか居ないのか、どうしてそんなにお芝居に夢中なのか、ほんとはいろいろ聞きたかったのに。
シュンさんはいつも、霧のカーテンの向こうで笑っていた。
シュンさんが私に何か聞く、なんてこともほとんど無かったな。
「本人が話さないことは何も聞くな」
頑固なくらい言行一致の人、自分にも、他人にも・・・・・。
小娘だった当時はそれを、なんて変わり者、ぐらいに思っていたが。
それからの私の人生で、大人の代表、的位置に座り続けた人だった。
40歳を過ぎた辺りから、あの人は何故ああだったんだろう、と考えるようになり、50歳を過ぎると、人には言えないことや言わないことが実に沢山あると納得させられ、物を書くようになって「寡黙」と「沈黙」の微妙な違いに拘るようになったのは、シュンさんの存在が大きい。

新宿ゴールデン街のバラック酒場“もんきゅ”で一年ちょっとアルバイトをしていた世間知らずの小娘は、やがて大学を卒業し、某経済専門誌の編集部でしばらく働き、できちゃった結婚をして子供を二人産み、たちまち離婚してシングルマザーになり、社会の荒波と戦いながら子育てをし、いつの間にか物書きになって、かれこれ40年の月日が流れた。
その途中で一度だけ、人生が壊れかけたことがある。

40代後半、飲めない足でふらふらと、ゴールデン街を彷徨い歩いた。
酒場街の面影はさほど変っておらず、あの場所に“もんきゅ”の看板を見つけたときは、胸震わせて階段を駆け登ったのだが。
店の内装は大きく変り、店主もまた見知らぬ人。
代替わりの激しい酒場街のこと、シュンさんが居たことも知らない人々の賑わいから、逃げるようにまた外に出て。
ふと見ると、どこか見覚えのある名前の看板が・・・・。
BAR「NOV」という、その看板を頼りに店に入ったら。
「うわぁーっ、ドガちゃんっ?」
“もんきゅ”に、毎晩のように飲みに来ていたノブちゃんの店だった。
「いつからやってるの?」
「う~ん、かれこれ10年ちょっとかなぁ」
「そんなに! 知らなかった・・・・・」
「少しは飲めるようになった?」
「相変わらず下戸だけど、まあ、あの頃よりはほんの少し、ね」
取りとめのない世間話をした後で。
「シュンさん、いまどうしてるか、知ってる?」
「ああ、シュンさんねぇ・・・・・」
ノブちゃんはほんの少し沈黙し、低い声でこんな話をしてくれた。
「奥さんと別れて子供も捨てて、ヘンな女とどこかに逃げちゃった」
えーっ!
・・・・・私だって、いつ捨てられるか・・・・。
「どうしようもない酒乱の、ヒドイ女でサ、飲んでは客と大喧嘩。止めたら店中のものを手当たり次第ブッ壊すし。シュンさん、包丁で刺されたこともあったんだよ。そンときは、怪我ぐらいで済んだけど」
なっ、何でそんな女と!
「さァ、男と女だからねェ。シュンさん、どっぷり溺れこんでたねェ。一度なんか、店が終わって飲みにいったら・・・・・」
ノブちゃんは、なんとも言いようのない表情で黙り込んだ。
「な、何があったの?」
「・・・・・シュンさんがさァ、モップで店の床を拭いてンのよォ。そこら中、すンごい臭いで・・・・・」
 「・・・・・・!?」
「酔っ払って客の目の前でオシッコしたンだって。店の奥で大いびきかいて寝てたけどあの女。ありゃぁ手負いの山猫だね、男も女も、近寄るヤツはみんな、食い殺されちまう」
「手負いの・・・・・・」
突然、私の頭の中で、何かが、音をたてて弾けた。

見知らぬ家出少年を引き取り、その子に殴られ、顔中アザだらけになってた小紫のママ。
その後、みっちゃんから聞いたあの話・・・・。
「あのコ、親にかなりヒドイ目に合わされてきたらしくて。もう元に戻れないぐらいヒン曲がっちゃってるのヨ。誰も信じられないぐらいに」
ママが必死で面倒見ていた、人間不信の男の子。
自分への気持ちを確かめるため、ママを殴って殴って、反抗し続けた高校生・・・誰かを傷つけずにはいられない自分を、どうすることもできない彼のほうが、きっと誰より深く傷ついていたに違いない。
もしかしたら、その女も、どこかに深い深い傷を負ってて・・・・・。

自分にもわからない自分、自分でも驚くような自分、どうすることも出来ないほど凶暴な自分が、突然自分の中から飛び出してくる・・・・・。
それはそのまま、その当時の私自身の姿だった。
自分が起ち上げ、理想に燃えて築いた会社、人生の大きな夢。
何年もかけて集め、十分な話し合いを重ねて集めた仕事仲間。
一千万円を切る小さな売り上げから、バブル期の波に乗って一気に数十億の売り上げに伸びたとたん、心から信頼していたその仲間たちに乗っ取られ、身ひとつで追い出され・・・・・。
耐え切れないストレスを忘れるため、ギャンブル依存症に陥っていた。
誰にも会いたくない、誰とも話したくない、何も考えたくない・・・・。
轟音鳴り響くパチンコ店に終日閉じこもる、荒んだ生活の中で、凄まじい人間不信と絶望感にのた打ち回っていた。
なのに表面は平然と、こんな風に酒を飲む・・・・。
そうでもしなかったら、突っ張らなかったら、人生も子供も、自分の命も全て投げ出し、もっとラクな世界へと崩れ落ちていきそうだった。

シュンさんも芝居に命を賭けていた・・・・・本当に一途に、懸命に。
何があっても芝居を続けようと、毎晩明け方近くまで働き、芝居以外には目もくれなかった。
そうやって全てを賭けて飛び込んだ劇団、三島由紀夫が起ち上げた浪漫劇場が、三島の自決で崩壊してしまった。
壊れてしまった夢、もう若くない自分、妻も子供もいる。
何もかも投げ出したくても耐えるしかなくて、耐え続けるしかなくて。
そんなとき、自分よりボロボロの女に出会ったら・・・・。
シュンさんの中から、いったいどんな獣が飛び出してきたんだろう・・・。
「あの女のせいで客足が遠のいてサ。それでも飲んで暴れ続ける女と別れられなくって。結局追い詰められて、二人して居なくなっちゃった」
・・・・・「たーいしたことないわよォ、こんなことォ」・・・・・・ 
シュンさんも小紫のママさんも、逃げ込んだんだろうか。
自分よりもっと傷つき、もっとボロボロになっている人の中へ。
人は、本当に傷ついたとき、自分よりもっと傷ついているものしか信じられなくなるから・・・・・。
「シュンさん、いまどこに?」
「さァ、ねぇ。誰も知らないんじゃない」

会話らしい会話はほとんどなく、付き合いといえるほどの付き合いも、なかったけれど。
今も私の胸の奥深く、青春という名前の部屋に住み着いている人たちが居る。
その時代を振り返れば必ず顔を出し、その人たち抜きには語ることのできない、終わってしまった時間の共有者たち。
そのうちの何人かは既に長い旅に出て、そのうちの何人かは行方不明、そのうちの何人かは、今でも会うことができる。
でも誰も、もう二度と、あの時間の中に戻ることはできない。
「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例なし。」
高校時代に習った「方丈記」の一節が、あの頃にはわからなかった意味を伴って、胸に迫ってくる。

当初は、ふとした思い付きから、懐かしさを追って書き始めたこのエッセイだったが。
書き進み、書き終わろうとしている今、そう、第2話目辺りから、それぞれのエピソードが、当初の意図とは微妙に違う方向に動き始めていたことに気づいた。
私は、過去を書いていたのではなかった。
いまここに在る私の「今」の意味を問い直し、見詰めなおすために、かつて触れ合った人々を呼び出し、改めて話し合っていたのだ。
そして、気づかされた・・・・・私が向き合った人々と共有した時間は、実は相手にとっても人生の中のひとつの時間。
私がこうしてあの時間を懐かしむように、相手もまた、そのひと時を、どこかで懐かしんでいるかもしれないことに。
私がシュンさんを懐かしむように、シュンさんもまたどこかで、私を思い出してくれているに違いない。
このエッセイを読んでいるあなたのことを、いまどこかで誰かが懐かしんでくれているように。
 
互いの思いは、たぶんもう届かない。
昔のように熱く語り、触れ合うことはもう適わないけれど。
私がいたことを知っている誰か、あなたがいたことを知っている誰かの胸の中に、あなたも私もきっと、ずっと生き続けることだろう。

13話から17話まで、勝手なことをホザき続けた私のエッセイ。
それを読み続けてくださったあなたに。
これを読むためにあなたが私にくださった、あなたの人生の時間に。
深く感謝します。
そして最後に私からあなたへ。
こんな唄をプレゼントし、この長旅を終わらせていただくことにします。

         

『灰色の瞳』 1974年(長谷川きよし&椎名林檎)
http://jp.youtube.com/watch?v=Urk0QFgTc-I (←クリックを)
作詩:Mariano-Una-Ramos・Alberto Veliz
作曲:Mariano-Una-Ramos・Alberto Veliz

枯野に咲いた 小さな花のように
なんて淋しいこの夕暮れ
届かない想いを抱いて
なんて淋しいこの夕暮れ
届かない想いを抱いて

私の大事な この笛の歌う唄を
あなたは聞いているのだろか
どこかの小さな木の下で
あなたは聞いているのだろか
どこかの小さな木の下で

澄んだ音色で 響くこの笛
あなたは聞いているのだろか
泣きくたびれた笛の音を
あなたは聞いているのだろか
泣きくたびれた笛の音を

山は夕暮れ 夜の闇が忍び寄る
あなたは何処に居るのだろか
風の便りもいまは途絶え
あなたは何処に居るのだろか
風の便りもいまは途絶え

山の坂道 一人で歩いて行った
あなたは今も歌っている
彼方の空に声が聞こえ
あなたは今も歌っている
彼方の空に声が聞こえ

一人ぼっちで 陰を見詰める
あなたは何処に居るのだろか
風の便りもいまは途絶え
あなたは何処に居るのだろか
風の便りもいまは途絶え

ラララララ・・・・・・・・・・・


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