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『薔薇のトミィ』 ― 物書きの独り言14 [エッセイ]

          『薔薇のトミィ』

この話はmixiブログで展開している「物書きの独り言」と称するシリーズ読み物の中のエッセイ5連作の第二話です。1967年辺りから1970年代前半にかけ、20歳になったばかりの一美大生であった私が、文化人たちがたむろすることで有名だった新宿ゴールデン街片隅にあったバラック酒場「もんきゅ」でアルバイトをしていたころ見聞きした、さまざまな人々のさまざまな人生模様。登場する週刊誌のルポライターだった「薔薇のトミィ」は既に故人となりました。彼が好きだった長谷川きよしという盲目の歌手が歌った「別れのサンバ」という、当時の大ヒット曲をご紹介してありますので、そちらもお楽しみください。お読みになったあなたの感想を聞かせていただけると幸いです。

                           

 夜のゴールデン街  今は無きゴールデン街名物 Bar『まえだ』       

物書きの独り言12 に出てきた、薔薇のトミィについて。                  http://mixi.jp/view_diary.pl?id=612140606&owner_id=14340455

彼はある有名週間誌の記者。                                          160㌢ち ょっとの私の、肩ぐらいまでしかない、かなり小柄な男性。 

トミィという仇名の由来は、姓が冨田何某、というだけのことで。もちろんイケメンなどではないし、お洒落な人でもなかったけれど、夜のゴールデン街では誰知らぬものが無い、名物酔っ払いだった・・・・・。                                                “薔薇の・・・”という辺りについては、諸説紛々。                                「彼女ができると必ず薔薇の花束を贈るんだ」とか、「赤い薔薇一本贈られて女に振られたんだ」なんて、みんな無責任に噂し合っていたけど。                                     私としては、「浅川マキの“かもめ”に出てくる、港町のあばずれに惚れた男に、自分をなぞらえてるのさ」という説に、一番シビれた。                                      

 「トミィさんって幾つ?」                                                  「さぁ、たしか30代半ばだと思うけど・・・・」                                      「ふうん、もっとうんと年上かと思ってた」                                  「・・・・・・」 

 BAR”もんきゅ”のマスター、シュンさんはとっても無口な人。                                  お客の噂話なんかする人じゃない。                                              それは“もんきゅ”に限らず、ゴールデン街のどの店でも。                               ママもマスターも、お客さんたちも、お互いの身の上話なんか、決してしなかった。

だから、誰かが急に来なくなっても・・・・・。                                           「どうしたのかしらねぇ」                                                  「死んだんじゃない」                                                         で、片付けられてしまう。

 この街はさすらい人の集まる街。                                               流れては去っていく塵芥の行方を心配してもどうにかなるもんじゃない。

でもそれは関心が無いんじゃなくて。                                       関心というなら、お互いあり過ぎるほどあって。                                      だから優しさもまた溢れるほどあって。                                            誰もそれを口に出しはしないだけ。                                              ここには、“本人が言わないことは誰も聞かない”とか、“飲んだくれの話は誰もが聞き流す”、みたいな不文律がある。                                                       だからみんな、安心して醜態をさらけ出せた。

今考えると、ゴールデン街を漂流している人たちはみんな、“言っても仕方がない何か”を、山盛り背中に背負っていたような気がする。                                             薔薇のトミィもそんなひとり。                                               そしてトミィと私との間には、今も忘れられない、ちょっとした事件があった。

今日はそのことも含めて、この街のあれこれを書いてみようと思う。

 ■十ヶ月だけの約束で・・・・・。                                              シュンさんには、ものすごく美人の奥さんが居た。                                      もと日航のスチュワーデス。                                               スタイル抜群、英語はペラペラ、お客さんへの応対も見事、ほんとに文句のつけようが無いほどの才女。                                                               この奥さんと、ロシアの小熊みたいなシュンさんが、どこでどうやって知り合って結婚したのか、もちろんみんな知らなかったし、誰も聞こうともしなかった。                                その奥さんに赤ちゃんが出来た。

 で、ある晩の事。                                                  店が終わった夜中の3時過ぎ、いつものように最後まで居残って、片付けなんかを手伝っていた私を、二人が食事に誘ってくれた。                                                 そこでシュンさんが切り出したのは・・・・・。                                        「ドガ (と呼ばれていた)、ウチのヤツが子どもを産むまでの十ヶ月だけ、店を手伝ってくれないか?」

びっくりした。                                                        だって私はまるっきりの下戸。                                                薄い薄い水割り一杯を、一晩中ちびちび舐めてるような女の子だったから。                                    お客さんにおごらせて店の売り上げに貢献する、なんて芸当はとても出来ないし。                               新聞記者やら作家やら、百戦錬磨の大人の男たちをさりげなくあしらう、奥さんのように上手な応対も、とても出来はしない。

 「いいんだ。そういうのは俺がやるから。ドガは居てくれるだけでいい。ちょっとしたおつまみを作ったり、洗い物を手伝ってくれるだけで」 

考え込んだ。                                                          その頃の私はまだ美大の大学生。                                            学校の合間を縫って、ある出版社で編集のアルバイトを始めたばかり。

駆け出しだったから、夜8時ぐらいに仕事は終わる。                                 だから毎晩のように“もんきゅ”に入り浸り、大人気分を味わっていられたんだけど。

奥さんは、そんな私を、凄く可愛がってくれていた。                                     「ドガちゃん、お願い」                                                     その奥さんに頭を下げられると、                                         「じ、十ヶ月だけなら・・・・・」

断れなかった・・・・・・というより、好奇心に負けた、というのが本音。                        夜の酒場には、世間知らずの小娘を惹きつける、摩訶不思議な魅力があったのだ。

特に、当時のゴールデン街には・・・・・。

 ■事件だらけのバラック酒場                                                 お客として遊んでいた時と比べ、働く、となったら、酒場はなかなかきつい職場だった。                              編集部の仕事というのは、与えられたノルマをきちんとこなせば、出退勤はけっこう自由で。                          〆切間際の数日を別にすれば、昼頃出て4時には姿を消しても、誰にも文句は言われなかった。

“もんきゅ”の仕事を引き受けたお陰で、私の仕事能力は飛躍的にパワーアップしていったように思う。

“もんきゅ”は7時開店。                                                      それまでには、仕込みを全部終えていなければならない。                           編集部の仕事をとっとと終えると、5時か5時半には店に駆けつける。                                      昨晩洗い残したコップやお皿を片付け、買出しに行っておつまみや突出しを作り、ざっと掃除をして、シュンさんが来るのを待つ。                                                 実家が料亭だったせいで、突き出しやおつまみ作りはお手のもの。                          最初はもたもたしていたが、慣れるに従ってだんだん楽しくなってきた。

だってこの街には毎晩、突拍子もない“サプライズ”が起きるんだから・・・・・。

 「ちょっとーっ、ウチの”コミ”、そっちに行ってるでしょっ」                                 働き始めてまもなく、突然の電話。                                           「ばー まえだ」のママからだ。                                                  「行ったら、掴まえといてっ!」                                                返事を返すヒマも無く、電話は一方的に・・・・・切れた・・・・・!                                「ばー まえだ」というのは、今も語り草になっているゴールデン街伝説の文人バー。

                           「まえだ」

 ここには五木寛之や野坂昭如、村上龍、中上健次、唐十郎、中山あい子、半村良、佐木隆三、立花隆、田中小実昌、色川武大、夏文彦といった一流作家たちが集い、それを取り巻く編集者や記者、ジャーナリストといった人たちが、夜な夜なたむろしていた。

 詩人の谷川俊太郎や、大島渚、深作欣次、高橋伴明、伊丹十三、山本晋也、大林宣彦、今村昌平、山田洋次、鈴木清順といった映画監督さんたちも、頻繁に顔を出す。

 また、田中裕子、吉行和子、渡辺えり子、高田順次、原田芳雄、松田優作、西田敏之、菅原文太、山崎努、中尾彬といった、錚々たる顔ぶれの役者さんたちが、夜の街を気ままに闊歩していた。

クリエイターでは、横尾忠則や黒田征太郎、漫画家のはら・たいら、まだ大学生だった黒鉄ヒロシ、赤塚不二夫、松本零士・・・・・。

音楽関係ではミッキー・カーチス、内田裕也、小室等、森田童子、松崎茂、野球選手では、掛布、江夏、田淵、江本、山本浩二等が集まる店もそこここに散在していた。

 そして・・・・・「ばー まえだ」のママが怒りも露わに探していたのは、直木賞作家の田中小実昌、通称コミさん。                                                                    まえだのママとコミさんがどういう関係にあったのか、そのときの私は知らなかったけれど、いつもクールなシュンさんが慌てだした。                                                   「かかっ、片付けてっ、そこらにある、投げやすいもの、ゼンブッ!」                             言われるまま、そこらに出ていたものを片っ端から片付けていったが。                                      時すでに遅し、で・・・・・。                                               何も知らないコミさんが、まーるい顔にトレードマークの毛糸の帽子を被り、すっかり酔っ払って、ニコニコ姿を現したのとほとんど同時に、ダダダダダッと急階段を駆け上ってくる足音がして・・・・・・バンッと“もんきゅ”の扉が開いた!                                                       「コミーッ!」                                                             「うわァッ」                                                              ママはいきなり、コミさんに向かって投げつけた!                                     うっかり片付け忘れた、ブ厚くて大きなクリスタルの灰皿を!                              「ひゃぁぁぁぁぁっ!」                                                  灰皿は当たらず、壁に当たって砕け散ったけれど、ママはそのまま、コミさんに武者ぶりついて、叩くわ、蹴飛ばすわ、引っ掻くわ!                                                   私は生まれてこの方、中年をはるかに過ぎた男と女の、あんなにもの凄い痴話?ゲンカ、というのは見たことがない!                                                        周りの客はもちろん総立ち!ママを羽交い絞めにする人、手や足を押さえる人、コミさんを何とか逃がそうとする人・・・。                                                    客が10人も入れば立ち飲みするしかない、という、猫の額より狭い店の中は、それこそ上を下への大騒動になった。                                                     でも小柄なコミさんは、うまく隙をつき、修羅場からスッ飛んで逃げ出した。                                         ダダダダダダーッ!                                                         よくあの急階段から転げ落ちなかったと、今でも思うくらいの素早さだった。                                      「はーっ、はっはっ離せーっ!」                                           それを見届けた客が、バタバタ暴れるママを羽交い絞めにしていた手を離す。                                   間髪を入れず、バタンッ、ダダダダダーッ!                                   ママの素早さもコミさん以上だった。                                        さすがバラック酒場の主、と感心するヒマもない、その間、わずか数分の出来事。                                  そして店内は、まるで何事も無かったかのように、元に戻って。                       「マスター、ジン・ロックお替り」                                          「オレ、ビール」

「だだだ、大丈夫なんですか、あのまま放っといて!」                                          焦っているのは私ひとり。                                                      「いい、いい、いつものことだから」                                                   シュンさんも、お客さんたちも、誰も何にも気にしていない。                                       そして、ホントにいつものことだったのだ、こんなことは・・・・・。

 垂直に近い急階段から、酔っ払って転げ落ちる人なんてしょっ中だったし。                                          あるときなんか、真夜中に、ズダダダダーッともの凄い音がして。                                閉店間近で客も帰り、ぼんやり留守番をしていた私は、何事かと階段を覗きに行こうとしたら。                             いきなりドアが開いて、顔中血塗れの男がぬうっと入ってきた!                                  ぎゃっ、と叫んで後ずさった私なんかに目もくれず、その男の人はカウンターのスツールに平然と腰を下ろし、「水割り・・・・」                                                                壁際にヘバりつく私。                                                            「あっあっあのぉ、かか顔が、血だらけ、ですよ・・・・」                                          「ん、途中で落ちた」                                                             「そそそそそれにもう、へ、閉店なんですけどっ」                                           「あぁ、そう・・・・・」そのまま、ふらふらと立ち上がり、外へ出て行ってしまった。                                        帰ってきたシュンさんに、青くなって報告すると、                                           「顔とか頭とか、かなり出血するから。それに酔っ払いは痛くないから、ほっとけ」                                        「でででも・・・・・」                                                                 「歩けるぐらいなら、たいしたこたぁない。ほっとけ」                                        「・・・・・・・!!!」                                                               近所でも事件は多発。                                                           ゲイバーのホステス(?)さんが、お客を取り合って、路上で取っ組み合いの大喧嘩、なんて、珍しくも無かったし。                                                                   180㌢をゆうに越すゲイバーのママさんが、日本髪の鬘をつけて、芸者姿のまま、薄暗い路地で立ちション・・・・なんていうのも見慣れてしまった。                                                                                            ヘンなクセのある客が来たこともあって。

最初は大人しく飲んでいるから、愛想よくしていると。                                       すっかり酔っ払っていいご機嫌になり、大きな声で歌を歌いながらトイレに入ったまま、なかなか出てこない。                                                                        ゼンゼン、出てこない。                                                         まるきり、出てこないーっ!                                                         「シュンさんっ・・・・」                                                             「ほっとけ」                                                                    それでも放っておけず、トイレのドアを叩いて。                                                   「お客さん・・・・・お客さんっ、大丈夫ですかっ」                                                  「だーいじょーぶーっ、あーっはっはっは」                                                   「・・・・・・・・・!」                                                                  そのまま30分・・・・・うそだろーっ!                                                        やっと出てきた、と思ったらっ!                                                               靴と靴下以外、全部脱いで、真っ裸!                                                         そのまま外へ出て行こうとするのを、だーれも止めようとしない!                                         「シッ、シッ、シュンさんっ」                                                           「ほっとけ」                                                                    お客はやんやの拍手喝采、大笑い・・・・・。                                                 慌ててトイレを覗いたら、脱いだ服がきれいに畳まれて置いてあった!                                         その人は結局そのまま帰ってこなくて。                                                      タクシーで帰ったのか、それとも警察に取ッ捕まってしまったのか。                                       翌日も、翌々日も、脱いだ服を取りにはこなかったし・・・・。                                           「恥ずかしいから取りに来ないのかなぁ」                                                           「なに、店を覚えてないのさ」                                                                      なるほど・・・・・。                                                               一応服とか財布とか、全部警察に届けたんだけど、あの結末がどうなったのか、今でも知りたい。

ちょっと飲みにきて、何時間か居て、そのまま帰っていたころとは違って、開店から閉店までカウンターの中に居ると、出入りする酔っ払いたちの、信じられないような光景を、目にすることになる。                   笑い上戸や泣き上戸、怒り上戸などは序の口で。                                                   ぼやき上戸や愚痴上戸、ウンチク上戸に相手かまわずのカラミ上戸・・・・。                                    酔うほどに女言葉に変ってしまう某放送局のディレクター。                                           「おシッコーッ」と立ち上がり、その場でチャックを下ろす役者!                                     カウンターの中に入り込んで、勝手にバーテンダーを勤めてくれる、某企業の重役サン。                                   いきなりストリップティーズを始める有名女優。                                                 年中女にフラれて泣いている、美男俳優・・・・・。                                                        ハシゴ酒とはどういうものかを思い知ったのも、ここでだった。                                            「おーっ、ドガちゃん、久しぶりーっ」                                                       (ふん、夕べも来たくせに・・・・)「いらっしゃーい」                                                     「ジン・ロックねっ、氷少なめでっ」                                                         (どーせ飲まないんだろっ)「はーい、どうぞー」                                                    「あーっ、シュンさーん、どうなのー最近、舞台の方はーっ」                                       「・・・・・・・・・・・・・」                                                                 「ドーガーちゃんっ、カレシできたっ?」                                                      (バカのひとつ覚えみたいに、夕べも聞いただろーがっ)「まーだーですぅ」                                          「そうかー、オレでどう?オレオレ」                                                        (だーれが、このヘッポコ記者めっ!)「ホントー、うれしいですぅ」                                             「あっ、いけねっ、オレ行くわ。ロックこのまま置いといてっ、すぐ帰ってくるからさっ」                                 (帰ってくるわきゃねーだろ、毎晩、毎晩、同じこと言いやがってっ。ラップして取っとくぞっ、明日のためにっ)                                                                                滞店時間は約10分。                                                                        コイツはこうやって一晩に数十軒の店を渡り歩く。                                                何が楽しいんだろ                                                                  。ま、コミさんも、トミィも、多かれ少なかれ、この街に来る人たちはみんなそう。                                    たった一度でも顔を見せた店には、律儀に全部顔を出して歩く。                                            ひと晩かけて、毎晩、毎晩。                                                                                                                                         まるで、親兄弟や親戚中に、挨拶回りしているみたいに。                                          だから、ひとつの場所に10分、なんてことになる。                                                 義理堅いのか、アホなのか。                                                          飲みたいのか、淋しいのか・・・・・。                                                         大人たちの、こんな酔っ払いぶりを毎晩見ていると、この世にまともな男や女はいないんじゃないか、と思えてくる。                                                                         それでも慣れとは恐ろしいもので。                                                              たいていの事には驚かなくなり、 “もんきゅ”の仕事にもすっかり慣れたころ。                                     私の身の上に、ちょっとした変化が起きた。

 ■家出と・・・・・薔薇のトミィ                                                               別に隠していたわけではないけれど、朝出かけると明け方まで帰ってこない、という私の生活に、両親が不信感を持った。                                                              当然といえば当然なんだけど、別に後ろめたいことなんかなかったし、放っておいたのがいけなかった。

 私の家は赤坂の料亭で、アルバイトに飲み屋の仕事をしている、そのことについては、さほどの驚きは無かったようだ。                                                                         しかし、場所がいけなかった。                                                                  もと青線と呼ばれた売春地帯のゴールデン街。                                                    聞いたとたん、父親の顔色が変った。                                                           いくら、今はもう違うんだと説明しても、聞き入れようとはしない。                                            シュンさんの奥さんの妊娠中だけだと言っても、十ヶ月だけのお手伝いだと言っても、まるで聞く耳なんか持たない。                                                                         毎日のようにもめているうち、私はとうとう我慢が切れて、家を飛び出してしまった。

“もんきゅ”で知り合った女友達が渡米すると知り、その住居をそのまま借り受けることになったが、これがシュンさんの住処の隣り部屋。                                                                      一軒家の各部屋に、さまざまな人たちが住む、ヘンな住み方だったけれど、背に腹は変えられない。    身の回りのものを少しづつ運び出す形で、私は代々木・参宮橋で、生まれて初めての四畳半、ひとり暮らしを始めることになった。                                                              そして、あの夜が・・・・というほどのことではなかったけれど。                                        世間知らずの私の目がいっぺんに開く、こんなことが起きた。

 酔っ払いだらけの“もんきゅ”の客の中でも、薔薇のトミィの酔っ払いぶりは、相当なものだった。                              カラんだり、ハダカになったり、なんていう妙な酒癖は無かったが、お酒の飲み方が半端じゃない。                               ビール、ウィスキー、日本酒、焼酎、ラムやらジンやらブランデー、テキーラからウォッカに至るまで、とにかくお酒なら何でもいい、という飲み方。                                                    “もんきゅ”には不定期にちょこっと姿を現すが、そのあとは、顔見知りの店に万遍なく顔を出しては飲み歩く。                                                                                                例のごとく、典型的なハシゴ酒。                                                                             それもほとんど毎日、明け方近くまであちらこちらの店を飲み歩いたあと、たまに最後に“もんきゅ”に帰ってくるのだが。                                                                            そのときはもう、たいてい、ぐでんぐでん。                                                              仕方が無いのでタクシー乗り場まで、私が肩を貸して連れて行く、というのが習慣のようになっていた。                          そしてある日、珍しく夕方、素面で姿を現したトミィは、滅多に着ないスーツ姿。                                        「明日は大事な取材があるんだ。今日はそんなに飲めないわ」                                  と、ビールを一杯飲んで、店を出て行ったのはいいのだが。                                             そこから結局またあちらこちらとハシゴして飲み歩いたらしく、夜中の3時過ぎ、再び店に現れたときは、ほとんど意識を失いかけていた。                                                              「どうすんだろ、こんなになっちゃって」                                                          「そっちの隅にでも寝かせとけ。いくらか酔いも醒めるだろ」                                         しかし、すっかり後片付けを終えても、トミィは目を覚まさない。                                          このままでは店を閉められないし・・・・・。                                                           「困ったな・・・・」                                                                     シュンさんは、口癖の”ほっとけ”を言わなかった。                                                                  「仕方ないから、ウチに連れて行く」                                                         「まあ、ドガがいいと言うんなら・・・・・」                                                      「その代わり、今夜は私をシュンさんの部屋に泊めてね」                                              「ああ」                                                                        シュンさんと二人で、正体を失ったトミィを担ぎあげ、タクシーで参宮橋の部屋に向かう。                                      トミィが小柄で、ホントによかった。                                                           とりあえずシュンさんの部屋に着いて・・・・・。                                                   「シュンさん、寝かせる準備するから、ちょっと待ってて」                                                   私の耳には、酔っ払う前に言っていたトミィの言葉が、引っかかっていた。                                           「明日は政治家に会うからな。一応きちんとしなきゃな・・・・」                                            他意はなかった。                                                                            ただ、その言葉が気になっていただけなのだ。                                                    私も一応編集部の端くれで、取材経験だってあったから。                                               私はシュンさんにトミィのスーツを脱がしてもらい、それを持って部屋に入った。                                       まずズボンを丁寧に伸ばし、布団の下に敷きこんで寝押しをし、そこにトミィを寝かせた。                                      それから、シュンさんの奥さんにアイロンを借り、よれよれになった上着のシワをできるだけ丁寧に取り、ハンガーに掛け、まくら元に水を入れた小さなヤカンとコップを載せたお盆を置いた。                           これだけ、だったのだが。                                                                              翌日、目覚ましをかけておいたためか、部屋はもぬけのカラ。                                               やれやれ遅刻はしなかったらしい、と胸を撫で下ろし、私も編集部へ。                                      そしてその夜・・・・・。

 いつものように店を開け、お客が立て込んできた8時ごろ、突然トミィが現れた。                                 真っ赤な薔薇を、両手一杯に抱きかかえて・・・・・・!                                                   昨晩のお礼?                                                                          いや、そうじゃなかった。

それから毎晩、真っ赤な薔薇の花束を抱えたトミィが!                                                    「シュンさん、どうしよう!」                                                                  「ほっとけ」                                                                          トミィは、別に何を言うわけでもなかった。                                                       毎晩、赤い薔薇の花束を持って現れ、カウンターの上にポイッと置くと、いつものように飲んだくれるだけ。                                                                                 でもあの日から、トミィが飲み始める最初の一軒目が”もんきゅ”になり、最後は必ず”もんきゅ”に帰ってくるようになっていた。                                                                     15歳以上も年上(多分・・・・)の男の人から、赤い薔薇の花束を、毎晩のように贈られるなんて、生まれて初めての経験だった。                                                                嬉しいよりも、とまどいと怖さが先に立った。

 “もんきゅ”の狭い店内はたちまち薔薇だらけになり、花瓶はもういっぱい。                                         トイレにも、洗面所にも、薔薇の香りがむせ返った。                                                 「シュンさん、ってば・・・・」                                                                   「ドライフラワーにしとけ」                                                                      「でも・・・・」                                                                       「気持ちに応えてやる気はないんだろ。だったら、ほっとけ」                                                 シュンさんは、怒ってなんかいなかった。                                                               ただ、なんとなく寂しそうで、少し哀しそうに見えた・・・・。

 トミィの薔薇がいつまで続いたのか、はるか昔のことで、もう記憶は定かではない。                                  ただずっと後になって、いつも来る常連さんから、こんな話を聞いたような気がする。                                     「トミィ、本気だったらしいぜ。あんな女が居たんだなぁって、えらく感激してたし。でもなぁ、15も年上だし、いろいろ事情も抱えてたらしいから、結局、何も言えなかったんだろうな」                                     いろいろな事情・・・・・・。                                                             その事情の意味を知ったのは、それから30年以上もたってから。

あるとき、何気なく買った文芸誌をパラパラめくっていると、目次に「薔薇のトミィ」というタイトルが!                       まさか・・・・とページをめくったら、作家の中山あい子さんがこんなことを書いておられた。

 「新宿ゴールデン街に、薔薇のトミィと呼ばれた男が居た。                          トミィには、トミィを育てるために長い間苦労した病弱な母親が居て、その母親のために、彼は結局生涯、結婚というものをしなかった。                                          トミィは、病気で長い間寝たきりになった母親の面倒を見続け、その母親を養っていくため、全力あげて仕事をした。 ○○の取材記者として、体を張った突撃取材をし、書いて、書いて、書きまくり、必死で稼いでいたが、それでも足りないとぼやいていた。                                 本当は作家になりたかったんだと、一度だけ聞いたことがある。でも無理だよな、と笑っていた。トミィは自分のことは誰にも言わなかった。知っていたのは、本当に親しい、わずかな友達だけ。         トミィは何十年も母親のそばに付き添い、黙って懸命に世話をした。                     母を見送った後は、本当に溺れるほど飲んで、飲んで、飲みまくり、結局最後に体を壊し、病院で一人、死んでいった。まだ50代だったのに・・・・・」

今回、トミィのことを書こうと、取っておいたはずのその文芸誌を、懸命に探した。                                        しかし、どこにも見あたらず、だからここに書いた中山あい子さんの記事の内容は、おぼろな記憶の欠片である。                                                                          わずかな記憶の中の、確かな部分だけを書いたつもりではあるが、トミィは、実際にはもっと多くの、もっと大変な事情を抱えていたようだ。                                                       中山さんはそのことを、心込めて肌理細やかに書いていらしたように思う。                                       トミィの、長年の飲み仲間だった中山さんの、暖かな悲しみ。                                            誰にも、何も言わなかったトミィの、胸の奥の痛み。                                                 それを、彼が死んだ同じ年代になって初めて知って、胸が潰れ、涙がこぼれた。                                 いつかあの雑誌を見つけて、ここに書いた内容を、もっと丁寧に、きちんと加筆訂正したいと思っているのだが、今はこのまま、そっとしておくしかない。

人生には、ほんとうにいろんなことがある。かなう夢、かなわぬ夢。                                         乗り越えられることや、乗り越えられぬこと。                                                        すれ違う人の想いや、若さゆえの傲慢と過ち。                                                   ゴールデン街は、同じ場所にまだあるが、既に「まえだ」は無く、”もんきゅ”の看板も無くなってしまった。

あのころの私も、シュンさんも、薔薇のトミィも、もういない。                                                          だから私はここで、昔ある酔っ払いに貰った沢山の赤い薔薇の花束の話を、ちょっと書いててみたかっただけなのだ。

最後に、トミィが好きだったもうひとつの歌を見つけたので、あのときの赤い薔薇のお礼に、心をこめて彼に贈りたい。                                                                        言えなかった”別れの言葉”の替りに。                                                                      長谷川きよし、という盲目の歌手の歌う、『別れのサンバ』を。

http://jp.youtube.com/watch?v=wSFrDiURf0M (Y―TUBUより )                                『別れのサンバ』  長谷川きよし 作詞/作曲                                                        何にも 思わず涙も 流さず                                                             あなたの 残したグラスを みつめて一人                                                         みんなわかっていたはずなのに                                                            心の奥の淋しさを ああ                                                                わかって あげれば                                                                       別れも 知らずにすんだの                                                              きっと私を強く抱く時も                                                                  あなたは一人 淋しかったのね                                                            あなたの 愛した                                                                       この髪さえ 今は泣いてる                                                            今は泣いてる                                                                     今は泣いてる

 ※長谷川きよしさんは今も現役。以下に彼の公式サイトをご紹介しておきます。 http://www.kiyoshi-hasegawa.net/

 


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なるみ

08年に書かれているので、すでにご存じかも知れませんが、記事中に出てくる中山あい子さんの作品は、単行本『浅き夢 新宿「まえだ」物語』(講談社)に収録されている「薔薇のトミー」ではないでしょうか。私の手元には、古本で買った四六判があるだけなので、文庫になっているかも知れませんが、わかりません。老婆心、失礼しました。私は中山さんと田中小実昌さんのファンで、こちらにやって来ました。

by なるみ (2012-11-03 06:19) 

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