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江戸を書くのに不可欠な『江戸切絵図』作家の本棚②  [作家の本棚]

 今回はちょっと地味めのお話なので、まずは友人が、香川から送ってきてくれたにぎやかな張子の大トラの写真をお楽しみください。これ、ゴールデンレトリーバーなみの大きさなんだそうですよ。それにしても、派手なトラ‥‥。

             

 さて、ここから本題です。地味ッたって、結構面白い話なんですよ。

 まァ、江戸時代は嫌いだ!ッて方には、強制できませんけど。

 マンションの一室で、セコセコ時代小説を書いている人間を、ひょいっと江戸の町に連れて行ってくれる、ファンタジー・マップのお話なんです。

  全頁が江戸の町の   絵図面になってます。

 

 「江戸切絵図」っていうのは、一種の携帯用マップ。

 自分が住んでる町内、もしくは商売上の行動範囲内に必要な『部分』だけを買って、一応の目安にするわけです。

 なにしろこれがないと、どこかで事件が起きても、遠山の金さんも、銭形平次も、鬼平さんも、現場に駆けつけられませんから(笑)

見にくいですが江戸全図です

 

<江戸の町のナビゲーション>

 「江戸切絵図」というのは、江戸の町全体の地図から各地区を区分けし、そこに位置する大名屋敷、商家、個人の武家屋敷、奉行所、町割り、田畑などを細かく、詳細に描き出した携帯用の区分地図です。

  まあこんな風に 描かれているわけで、右上に見えるのが、かの井伊掃部頭(いいかもんのかみ)様のお屋敷です。 

 

 江戸の人々はこの切絵図をふところに、あちこちへ徒歩で出かけていくわけですが‥。

 当時は印刷機械なんてありませんから、切絵図も全て職人の手作り。浮世絵と同じ木版刷りです。

 つまり浮世絵の版元が、浮世絵や美人画を刷るかたわら、職人に江戸の町を歩き回らせて町々を取材し、これを絵師が地図に起こし、それを彫り師が桜の版木に彫り、それをまた刷り師が紙に刷る、とこういう工程を経て、やっと出来上がるのですね。

 これだけの手間がかかるのですから、そこらの町人が、ホイッと買えるほど安いものでは無かったはずです。しかも江戸は武士中心の町ですから、刷る地図も江戸の中心地帯だけ。

 江戸全域にわたる地図というのは、幕末になってやっと出来上がったような具合だったらしい。

 これについては「江戸切絵図」の編者・浜田義一郎先生が、面白いエピソードを書いていらっしゃるので、ご紹介してみましょう。

「切絵図発生のそもそものきっかけは、麹町十丁目で荒物屋を営んでいた近江屋五平という男が、自分が住んでいた麹町周辺の、番町の地図を作ったことから始まる。

 この番町というというのは、もともと江戸城の番方、つまり旗本の武官が住む、開府以来の古い町。したがって地形のままに無秩序・無計画にできた町並なので、同じような古びた屋敷が続いていて、わかりにくいのが定評になっており、「番町で 目あき 目くらに 道を聞き」と、川柳に歌われるほどであった。

 しかも請託政治盛行の時代だけに、幕府高官の屋敷に届ける進物の品を持って、目当ての屋敷を捜しまわる風景を、川柳子は、「番町で さかなのさがるほど尋ね」、つまり、屋敷を捜しまわっている間に、魚の鮮度が落ちてしまう、と諷している。しかしそれは外来者ばかりではなく、土地の住人もつねづね不便を痛感していて、それを解消するために、近江屋が、商売違いの絵図出版に乗り出したのであった。

 そして、「番町絵図」の書入れに、屋敷替えや代替わりの節は知らせてほしい、とあるのから察しられる通り、地図であるよりは住居表示に重点を置いたものであったらしい‥」 とのこと。

 つまりまぁ、こうした地図を買えない江戸の庶民たちは、土地カンだけで生活していた、ということなんですね。きっと、大人の迷子がたくさん出たことでしょう(笑)

 当然ですがこの時代、車も電車もチャリもありませんから、たいていの人は自分が歩いて行ける距離で生活していたわけで。

 そんな中で、渋谷村の住人が、ちょいと日本橋の芝居小屋で芝居見物、なんて計画をたてたら、もうそりゃ一日がかり。だって、歩いていって、歩いて帰ってくるんですから。

 だからおいそれと登場人物たちを芝居見物になんぞ、行かせられないわけです。

 それではちょっと、江戸の警官・同心たちが固まって住む、八丁堀界隈を覗いてみましょうか。

 これが文久二年の  八丁堀細見絵図です。

 右上に見えるお屋敷が「松平伊豆の守」様のお屋敷ですね。

で、これが八丁堀の全体像です。

 八丁堀は日本橋の南、茅場町あたりに位置していて、同心たちの組屋敷が集まっています。

 当番の日はここから歩いて出勤するわけで、南町奉行所(現在の有楽町マリオンのそば)までなら歩いて一時間くらいでしょうか。

 北町奉行所は今の東京駅八重州口あたり。いやあ、いつの時代でもお勤めは大変、です。

 私も一度、江戸の広さと時間を知るため、東京駅から日本橋・京橋を通って銀座、昔のいわゆる大川、つまり隅田川を渡って富が岡八幡宮まで歩いてみたことがありますが、いやあ、お江戸は広い。足が棒になりました。

 そこらで事件が起きたって、目明しが現場に、文字通り駆けつけるのには、相当な時間がかかるってことだし、まして、それ火事だッ、たって消防車も無いんですからね。

 事件はなかなか解決しません。

 便利な現代の、それもマンションの中で、お江戸の暮らしと事件をリアルに書くってのは、ほんと大変なんですよ~。

 というわけで、こうした歴史資料は不可欠だということです。もし、欲しい、という物好きな方がいらっしゃるなら、東京堂出版から¥5000円前後で出てますのでどうぞ。編者は浜田義一郎先生です。

 そうそう、池波正太郎さんの「江戸切絵図散歩」なんて本も、たしか新潮文庫から出てたような‥‥。

 まあ、そういうことで、今回は『江戸切絵図』という資料のご紹介でした。

 

 

 

 

 

 


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コメント 4

お久しぶりです☆
そうですか・・・
遠山の金さんも、銭形平次も、鬼平さんも
この切絵図を頼りにしていたんですね。。。(・_・;)
何気なく見ている時代劇も、書き手は大変な苦労をされていたんですね。。。
by (2006-05-10 22:40) 

mama-witch

★まあ、シナモンロールさん、こんな地味なブログに、良くまあいらしてくださいました。で、読んでくださって、お疲れ様でした(笑)。面白がっていただけたでしょうか。まあ、歩く、という時間感覚を持たないと、江戸は書けないですね。現代の乗り物での移動を、うっかり基準にしようものなら、お前、背中に羽でも生えてんのか!というような瞬間移動を、登場人物たちにさせかねないので。でも、たまにはゆっくり江戸人してみるのも悪くないですよ。私はママチャリ・ファンなんですが・・・・(笑)
by mama-witch (2006-05-11 10:32) 

fu-

歴史の散歩道の景観は、存続と消失の変貌ですね。
『浮世絵の版元が、---』とありますが、この「江戸切絵図」にも絵師が携っていたんですか。

歴史の人物や江戸の読み物に登場する人物たちが、手にしている様子が浮かびます。時代劇やドラマでも、その場面があるはずですね。テレビやお芝居をもっと楽しめそうです。
by fu- (2006-07-03 13:51) 

mama-witch

★fu-さん、ありがとう。
 いつの時代にも、無名の職人たちが居て、そういう人たちが「文化」の一端を握っていたんですね。歴史は庶民が作るもの。明治なんかも探っていくと、幕府が何で倒れたのかも知らないじいちゃんやばあちゃんや子どもたちが居て、面白いじゃありませんか。今の時代だって、私たち庶民が作っているんですよね。「消えていく 時の名残は 夢霞」mama-witchなんちゃって(笑)。 
by mama-witch (2006-07-05 14:51) 

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