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男の子とお父さんの切ない約束の物語『父さんのフェニックス』 [童話]

                      

          『父さんの フェニックス』

 父さんは眠っている。もう、五年も眠っている。病院の白い、かたいベッドの上で、子どもみたいに、すやすや、眠っている。

 父さんのことを、ぼくはよく知らない。とても働き者で、がんばり屋で、男らしい、いい人だったんだよって母さんは言うけど、父さんが起きていたころ、ぼくはまだ幼稚園の年長組だったし、毎日、父さんとすれ違ってばかりいたから、よくわからない。

 朝起きると、父さんは、もう家を出ていた。夜は、ぼくが眠ったころ帰ってきた。日曜日は、お昼近くまで寝坊していたし、その後は本を読んだり、テレビを見たり、昼寝したり。家の中で一日中ゴロゴロしていることが多かった。だからぼくは、父さんに遊んでもらった記憶があんまりない。ただ、覚えてないだけのことかもしれないけど。

 父さんは、今日も眠っている。ビニールの管を鼻の穴に入れて、注射針を右の腕に刺して。黄色い薬が、大きなガラスびんからポタリ、ポタリ、と落ちる。薬は、透き通ったビニール管をつたって、父さんの右腕の中に入ってゆく。僕は、ギイギイ鳴る、スチールパイプの椅子にすわって、それを、じいっと見つめている。

 父さんが " じこ " にあったのは、ぼくが一年生になった日の朝だった。僕の入学式を見るために、仕事をほんの少し抜け出そうとして、建築現場の高い足場から落ちたんだ。

 母さんは、それを聞くとすぐに、ぼくをつれて、病院にかけつけた。だからぼくは、入学式をしていない。

 ぼくは学校が終わると、たいていまっすぐ病院に行く。一年生のときから、ずうっと続いている、ぼくの日課だ。

 三年生ごろからは、ときどき近所のユウジくんやアツオくんと遊ぶこともあるけど、それでも、夕方までには病院に行く。父さんと話をするために。

 ぼくは父さんに話す。今日あったいろんなできごとを。父さんは何も言わず、ぼくの話を聞いているだけだけど、それでもかまわず、ぼくは話す。テストも見せる。成績表も、ちゃんと見せる。

 父さんは黙っている。でもぼくは知っている。父さんには、ちゃんと聞こえているってことを。だって、母さんがそう言ったもの。

「お父さんはね、しゃべれないけど、ちゃんと聞こえているのよ。お医者さまが、耳は何ともありませんよって、言ってたもの。

 頭の中をケガしちゃったから、起きられないし、目も開けられないけど、それでもちゃんと生きてるわ。お父さんが、いつか目を覚ましたとき、マモルのことやお母さんのこと、なんにもわからなくなってるなんて、かわいそうじゃない。お父さんには聞こえてる。ちゃんと聞いてるわよ、ぜったい」

 ぼくも、そう思うから。

 きのう「父の日」の宿題が出た。ぼくはちょっと困った。だって『お父さんのことを、作文に書いてきてください』っていうんだもの。

 ぼくは一生けんめい考えた。そしたら、ひとつだけ思い出したんだ。小学校に入るちょっと前、父さんと近所の川へ " つり " をしに行ったときのことを。

「うーむ、釣れんなあ。今日は魚のヤツも日曜日をきめこんでるかな」

 父さんはすっかり退屈して、草の上にゴロリと横になった。タバコを取り出し、空にぷうっと、白いケムリをはきながらぼくに聞いた。

「マモルは、大きくなったら、なんになりたいんだ ? 」

「えーっと、よくわかんない」

「なんだ、なんかないのか。たとえば新幹線の運転士さんとか、おまわりさんとか、総理大臣とか、飛行機の設計士とかさ」

「ヒコーキのセッケイシ ? 」

 ぼくがきょとんとして聞いたら、父さんはきゅうに大声で笑いだした。

「父さん、むかし、なりたかったんだ」

「へえ、どうしてならなかったの ? 」

「う~ん、学生時代、ちょっとなまけちまったからかな」

「なまけなかったら、なれたの」

「そうだな、なれたかもしれんなぁ」

 父さんは空を見上げて、まぶしそうに目を細めた。青い空の真ん中には、白く、細い尾をひいた飛行機雲が浮かんでいた。

その日は、とてもいい天気だった。

 

                     ( photo by baldhead ) 

「むかし、古い映画を見たんだ。タイトルは、ええと、たしか『飛べ フェニックス』だったな。うん、たしかそうだった」

「どんな映画だったの ? 」

「砂漠の真ん中に、小さなプロペラ飛行機が不時着するんだ。5人、いや6人だったかな、人を乗せて」

「だれも死ななかったの ? 」

「死ななかったさ。だけど水も食べ物もない砂漠の真ん中だろ、みんな困ってな、なんとかして脱出しようとするんだけど、うまくいかない。すると、いちばん若い男がこう言うんだ、この、こわれた飛行機を修理して、もう一度飛べるようにしよう、ってな」

「その人がヒコーキのセッケイシだったんだ ! 」

「いいや、そいつは模型飛行機をつくってるやつだったんだ」

「模型飛行機って、プラモデルの ? 」

「うんまあ、むかしはプラモデルなんてなかったから‥‥そうだ、ラジコン飛行機だよ、ほら、無線操縦で飛ぶやつ」

「へーえ」

「そしたらみんなガッカリしてな、いくらなんでも模型飛行機つくってるやつに、本物の飛行機が直せるはずがないってな。だけどほかに方法もないから、結局そいつのいうとおりに、みんなで協力しあうんだ」

「それで、どうなったの ! 」

「飛んだのさ、ヨタヨタと、だったけどね」

「うわぁ、すごい ! 」 

「つぎはぎだらけのオンボロ飛行機が、広い広い砂漠の上を、5人の命を乗せて飛んでゆく。父さんうれしくて、うれしくて、涙がボロボロこぼれたよ」

 

「だから飛行機の設計士かあ ! 」

「まあ、ビルの設計をするのも、飛行機の設計をするのも、似たようなもんだけどな」

「ちがうよォ、ビルと飛行機じゃあ、ぜんぜんちがうじゃないかァ」

「そうか、ちがうか。アーッ、ハッ、ハッ、ハッ」

 ぼくは、そのときの父さんとの話を作文に書いた。フェニックスというのは、エジプトの神話に出てくる不死鳥で、火の中から何度も生き返る死なない鳥のことだということを、先生が教えてくれた。

 ぼくの作文は、父の日の作文コンクールの2位に入賞した。ぼくは、病院にとんでいった。

 大きな額縁に入った賞状と、オルゴールの鳴る賞品の時計とを、父さんのまくら元にそっと置く。父さんは、いつものようにすうすう寝息をたてて、やっぱり眠っている。ぼくはかまわず、大きく息を吸い込んで、いつもより大きな声で、父の日の作文を読みはじめた。

『‥‥‥‥‥父さんは大ごえでわらったあと、ちょっとまじめなかおで、ぼくにいいました。

「おまえ、ほんもののひこうきをつくってみたくないか ? 」

「つくりたいっ ! 」

ぼくのへんじがあんまりはやくて、あんまり大きなこえだったので、お父さんはびっくりし、でも、とてもうれしそうに、「そうか、うん、そうか、やっぱりおまえはおれのむすこだ。うん、そうかそうか」と、うれしそうになんどもうなずき、ぼくのあたまをなんども、なんども、なでてくれました。

 その日、さかなはとうとういっぴきもつれなかったけれど、お父さんもぼくも、なんだかとてもまんぞくして、いえにかえりました。母さんは、ぼくらのカラッポのビクをのぞきこんで、「まる一日かけて、あなたたちなにやってたのよ」と、ケラケラわらいました。でも、お父さんはぼくに、大きくりょうてをひろげてみせ、ぼくにはそれがひこうきだということが、すぐにわかり、それがとてもうれしかったのをおぼえています。

 それからしばらくして、ぼくはこの日のことを、すっかりわすれてしまいました。ぼくがとても小さかったからだとおもいます。でも、父の日のさくぶんをかこうとおもったとき、ぼくはとつぜん、この日のことをおもいだしました。だからぼくは、ためていたおこづかいで 『とべ、フェニックス』のビデオを、かりにいきました。

  えいがは、お父さんのいったとおりでした。ガタガタのおんぼろひこうきが、ひろいサバクのうえを、いっしょうけんめい、とんでゆきます。それをみたとき、ぼくも、お父さんとおんなじように、なみだがボロボロこぼれて、とまりませんでした。

 父さん、あのときぼくに「おまえ、なんになりたい」ってきいたよね。「ひこうき、つくってみたくないか」って、きいたよね。

 ぼく、なるよ。なまけないで、うんとべんきょうして、ひこうきのせっけいしに、きっとなる。そして、はじめてつくったひこうきに『フェニックス』ってなまえをつけて、父さんをのせて、サバクの上をとぶんだ。父さん、そのときまで、げんきで、がんばっててください』

 ぼくが作文を読み終えたとき、父さんがニヤリ、と笑ったような気がした。病室の外は、いつのまにか、きれいな夕焼け空に変わっていた。

                              (photo by baldhead)            

 父さんは、目を覚まさないまま、ぼくの卒業式の翌日に逝ってしまった。ぼくは小さな模型飛行機を、こっそり父さんの棺に入れた。父さんは、その飛行機に乗って、遠い空に、飛んでいってしまった。

 父さんと、僕との約束は、これからだ。

                               (photo by baldhead)

 

 (あとがき)

 3つめの贈り物です。これも童話賞をいただいた旧作ですが、皆さんのご意見をお伺いしたくて、ブログに公開させていただきました。何かご意見がいただけたらと、楽しみにしております。

 4つめの贈り物は、お話にちょっと不思議な仕掛けをしてありまして、まあ、推理童話とでも思ってください。お話の結末がどうなるか、それを楽しんで読んでいただければ、と思っています。

 では、4つめの贈り物の終わりに、またお会いしましょう。

 

 

  


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コメント 10

liv-mucha

同じ年頃の子どもをもつ親としては、
年齢設定が不自然な感じがします。
年長の時に話した内容にしては少し複雑。
お話に、夢を持つこと、少年の自立心、
父と子のつながり、病気、死、など、
要素てんこ盛りでいまいちしっくりきませんでした。
by liv-mucha (2006-03-09 15:34) 

pp48

お父さんの思い出がマモルの成長の役に立っているんですね。
お父さんが死んだ事で、マモルが自分を責めなければいいなぁ と、思いました。
by pp48 (2006-03-11 20:58) 

mama-witch

★ありすさんへ。
 童話に全て眼を通してくださってありがとう。
 私はどうも身辺から取材して物語を作ることが多いタイプのモノ書きのようで  す。この物語も、実はかなり実話に近いもの。私が小学6年生の時、クラスに いたある男の子のお父さんが、実際に植物人間になってしまって。それがど ういう病気だったのか当時の私にはよく解らなかったのですが、彼が父の日 の宿題の作文を、教室で読み上げたときの強い印象が心に残り、私なりのア レンジを加えて、こういう物語が出来上がったのです。
 その印象の中でもっとも強かったのが、彼が急激に大人びて、自分たちとは まったく別種の人間になってしまったような、驚きでした。
 なお「飛べ フェニックス」という映画は、旧い映画ですが、私がいまでもとて  も好きな映画です。でもあまりにも旧い映画なので、ビデオショップに置いて  あるかどうかはわかりませんけれども(笑)

★cheesさん、nice!&コメント、どうもありがとう。
 私は少年の純粋さ、というのを、心のどこかで強く信じているようです。
 それは多分、小学校のとき、同級生の中にとても強い、まっすぐな少年が居 て、その子のことが大好きだったからだと思います。大人になってからも、あ  れほど素敵な男性には出会っていません。いない、と言ったほうが正しいの  かな(笑)だから私の童話にしろ、小説にしろ、少年もしくは少年のような男性
 が登場することが多いのです。原稿用紙でほぼ10枚。辛抱強く読んでくださ って、ありがとう。
by mama-witch (2006-03-20 07:18) 

おはなし村ゆめ

すごく、よかったです。
泣いてしまいました。
わかりやすくて、伝えたいことがぶれていなくて、
心に伝わってきました。
子供が正しい方向に成長していくための童話という意味が
すごくわかった気がしました。ありがとうございました。
by おはなし村ゆめ (2006-04-02 15:29) 

yukki-

私には小4の娘がいます
思わず重ねて読んでいました
子供って親の知らないところで
成長していたりとびっくりしたりします
「お母さん、将来は仕送りするからね」とか
面白いことも言ってくれたりするのですが(笑)
でも、このセリフを言わせてしまったのも
実は私だったりします
子供は親をちゃんと見ています
親が子供の頃にそばにいることは
とても大切ですが、残念ながら
それができなかった場合、彼のお父さんのように
短い時間の中に凝縮して子供に伝えた
そして彼はそれをちゃんとキャッチした
それが彼の急激な成長となったと思います
by yukki- (2006-04-24 22:36) 

mama-witch

★ゆめさん、ありがとう。
 童話と云うのは、どうしてもまず親が読んで、それから子どもに与えるという
 関門があります。だから書くとき、親である大人の中の、「子どもの心」にも響
 くテーマや題材を考えなくてはなりません。「この本を、この子に読ませたい」
 と、強く思っていただかなくては、子どもの手に届かない場合が多いのです。
 だから単なる思い付きや閃きといったものに惑わされないよう、心がけている
 のです。私自身が、どうしてもこの話を伝えたい、と思えるものでなければ、
 書いてはいけないと思っているのです。
 毎日、胸が切り裂かれるようなニュースがあふれている昨今、こんな世の中
 を歩いていかなければならない子どもたちに、どんなことを語ってやればいい
 のか、決してきれいごとや夢物語のようなものではいけないと、思い悩んでい
 ます。そんな中、あなたがくださった涙は、私の大きな支えになりました。とて
 も嬉しい。ありがとうございました。

★yukkiーさん、こんにちは。
 私の娘が小学4年生と5年生だったころ、私はTVのシナリオを書いていまし
 た。娘たちが大きくなって、『あの頃のお母ちゃまは、とっても怖かった。仕事
 をしているときは、声も掛けられなかったくらい。でも大人になってから、あれ
 が”真剣”と云うことなんだと分った。ああいうふうに生きなきゃいけないんだと
 思えるようになった』といわれたとき、当時シングル・マザーだった私は、子ど
 もたちを育てるために死に物狂いではあったとはいえ、成長期の娘をろくにか
 まってもやれなかったことを、ずっと気にかけていた心のどこかが、少しほっと
 したことを覚えています。そう、子どもたちは見ています。成長過程で出会う
 いろいろな人や、いろいろな出来事と親を、見比べながら。
 このお話は、まず最初に、私の娘たちに読んでほしかったのです。日常会話
 では伝えきれない、私の想いを、懸命に込めて書いたのです。そして、下の
 娘は、いまでもこのお話が好きで、何かを胸に抱いて、生きていてくれるよう
 なので、いまでも書いてよかったと思っています。
 「自分でも信じられる自分の想い」を書くことが、私の童話の創作理念です。
 読んでくださって、そして私の想いを受け止めてくださって、ありがとうござい
 ました。
by mama-witch (2006-04-25 01:42) 

感動しました。
読んでいて、涙が。。。
お母さんの台詞がとくに良かった。
「聞いてるわよ。ぜったい。」ここにこめられた思いを
考えると切ないです。
結局、助からなかったお父さんだけど
きっと男の子の思いは通じてますよね。
by (2006-05-10 23:37) 

mama-witch

書く者にとって、一番嬉しい言葉をくださってありがとう、シナモンロールさん。私もまた、シナモンロールさんの言葉に感動しています。きちんと読んでくださった方が、きちんと下さるコメントこそが、私の宝物です。どんなに苦しくても書き続けることが出来るのは、読んでくださった方々からいただく言葉に支えられてこそです。元気をくださってありがとう。
by mama-witch (2006-05-11 21:14) 

くーにゃん

フクフク丸さんとmama-witchさんをおつなげしました、北海道のくーにゃんです。私のブログへの訪問ありがとうございます。作家さんでいらっしゃたんですね。

このお話を読みながら、今もう3年にもなる寝たきりの父のことを思いました。もう物を食べることも、話すことも、起き上がることもできずに施設にいます。はじめは家族がいくと泣くことだけはできたのですが、お医者さんはこれはただの反応だとおっしゃいますが、私たちはきっとこちらが喋ることはわかると信じています。「聞いているわよ。ぜったい」です。

この男の子が学校から帰ってきて、いろんなことをお父さんは何の批判もせず、指示もせず、ただ「黙って」聞いてくれていること、これがどれほどの深い愛に通じることでしょうか。ただ、いてくれることをどれほどこの男の子を成長させてくれていることでしょうか、そんなことを感じながら読んでいました。

残念ながら、私はもう、父の前では元気だったこころに、あまりコミュニケーションをとらなかったのか、とるのが下手だったせいか、わかりませんがこの男の子のようには素直に話すのが照れくさくなっています。(まわりの目も気にしたりして)子供だからこそできることかな・・とも感じています。

こんどは病院へ行ったら(私は北海道、父は横浜)ちょっと話して心を開いてみようかな、なんて思ったりしました。

こんな長いコメントいきなりすみません。
これからも読ませていただきます。
by くーにゃん (2006-06-05 23:37) 

mama-witch

★くーにゃんさん、遠いところから、わざわざお運びいただき、ありがとうございました。大変な情況を抱えていらっしゃるのですね。よくわかります。
 私も実は昨年、認知症が進んだ母を、故郷・高知に連れて帰り、介護ホームに入れました。連れて行くまでは、なんとか共に生きようと、妹と二人、必死で介護しましたが、母と暮らしていた父が脳出血で倒れ、長期入院することになって、完全にお手上げ。
 60年連れ添った父の姿を見失った母の病状も一気に進み、徘徊に被害妄想、自己防衛のための暴力が加わり、娘の私や妹も認識できなくなるに及んで、私も妹も、肉体的、精神的に対応できなくなったのです。
 預けるならばせめて娘時代を過ごし、親戚・知人、二人の弟夫婦が住む故郷に連れ帰ることが母のためと考え、土佐に向かったのですが・・・。環境が激変したためか、ホームに慣れるまでの約2ヵ月は、これが母かと衝撃を受けるほどの大暴れ。止むを得ず、職業上最も自由が利く私がホームに泊り込み、それこそ24時間介護を続けました。それから10ヶ月あまり。どうにか環境に慣れたものの、東京と高知では、頻繁に顔を出すことも出来ず、心にかけながら、歯がゆい毎日です。会ったところで既に私を、娘と認識することも出来なくなってはいますが、やはり母は母。会いたさは募ります。
 しかし実は父にも脳出血性の認知症の傾向が表れつつあり、こちらは強い被害妄想からくる、手ひどいドメスティック・バイオレンスが発現。会えば意味も無く罵られ、怒鳴られで、親子とはいったい何なのだろうと悩む毎日です。
 それでも不思議なことに人は、そういう情況にすら、慣れていくのですね。それなりに仕事もし、笑い、楽しんで生きております(笑)。多分、そういう情況に居る私を、理解し、支えてくれる娘たちが居てくれるからだとは思いますが。
 お返事、長くなりました。団塊の世代が、来年いっせいに定年を迎え、5人に一人がシルバー世代となる日本。苦しいのは自分だけではないという思いに支えられながら、毎日を明るく生きております(笑)。
 くーにゃんさんも、お大変でしょうが、どうかご自身のお体に気をつけて、西崎春吉さんを見習いながら、お互いに頑張りましょうね。こちらこそ、またブログに遊びに行かせていただきます。お訪ねくださってありがとうございました。
by mama-witch (2006-06-06 03:11) 

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