アイルランドで日本語を ?『 2002年のノート』から。 [考えさせられた話]
私の手元に、古びて端のめくれ上がったものから順に、12冊ばかりの大学ノートがあります。俗に言う゜制作MEMO」ってやつ。
ノートの中には、童話や小説のアイデアやら、TV番組からのメモ、新聞・雑誌からの切り抜き、人の悪口、自分への反省文、映画や展覧会のパンフレットに、自己流の書評、辛口のエッセイ 爆笑問題 等々、ありとあらゆる心の引っ掛かりが、テンコ盛りにメモってあります。
一冊が、大体一年分。
その中の一冊 、2002年度版を見ていたら、こんなことが書いてありました。これは多分、TVニュースからの走り書きでしょう。ちょっと面白いので、書いてみます。
『アイルランドでは、今年から、全国300ヶ所の小・中学校で、新しい言語を学ぶ対象として、「日本語」を取り上げることになった。
これは、欧州や米国とはまったく異なる言語であることが取り上げる理由で、こうした、自分たちが日常的に使う言語とは、基本的にまったく異なる言語を学ぶことで、逆に、母国語を強く意識させ、言葉を正確に理解することの大切さを、実感させることが目的である。
他国語を学ぶときもっとも重要なのは、母国語を正確に理解することで、母国語を正確に使いこなすことのできない者は、他国語をも理解できない』
というもの。
そういえば2002年は、1月1日から、ヨーロッパ共通通貨のユーロが使用され始めた年。
通貨の垣根が取れれば、各国の人々はそれまでよりもっと自由に行き来するようになり、文化もまた自由に行き来し始める。そうなれば、国家の個性というものが希薄化することは、十分に考えられる。
日本が開国してから、洋風文化がなだれ込み、100年以上たった今では、その風潮はますます進んで、今や日本の文化や歴史さえ、ろくに知らない若者が増え続けている‥‥。
特に言語。
若者言葉も流行語も、英語も決して、悪くはないけれど、それと同等に、美しい日本語、というものも大切にしてほしい、と思いません ?
こんなことがありました。
ある日我が家の電話が鳴り、出てみると、若い女性の声で、英会話スクールの勧誘。
国際化社会を迎え、今インターナショナルな言語を学ばなければ、社会の変化についていけなくなりますよ、と脅迫めいた口調です。
少々カチンときた私は、こんな質問をぶつけてみました。
「ねえ、あなたは英語、できるの ? 」
「ええ、もちろん。いまお奨めのこの英会話スクールで、私も学んでいますから」
「そう、ではね、あなた、その素敵な英語力を使って、外国の方と、どんな会話をなさるの ? 」
「えっ、そりゃもちろん‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」
「外国の方に、歌舞伎や能や、日本の伝統工芸について聞かれたら、あなた英語で、どんな風にお答えするの ? 日本の歴史や政治・経済、いえ、日本のあれこれに限らず、世界の情勢や、あなた自身の未来について、あなた自身の考えを聞かれたら、どんな風に答えるのかしら」
電話は、いきなり切れました。失礼な !
日本人が、日本語を使って質問しているのに、ろくな答えも返せない人が、英語学んでどうすんだ ! と、しばらくプリプリしていましたっけ。
アイルランドの方たちは、きっと、こういうことを考えたのでしょうね。
まずは母国語を意識させ、どんなに外国語を学んでも、その内容、つまりちゃんとした会話ができなければ意味がないと。
だからアイルランドの人たちは、日ごろ接する機会や情報も少ない、遠い遠い日本の言葉を、小・中学生たちに学ばせながら、この国の人たちとどんな会話をすべきなのかを、強く意識させ、母国の大切な文化や歴史を、興味と目的を持って学べるように、母国語で、ちゃんと教育しているのではないのかしらん。
高校時代、学校で行った歌舞伎見学で、担任の国語の先生が、大きな口を開けて居眠りしているのを見て、がっかりしたことがある。
ウチの子どもが小学校に入った直後のPTAで、何かご希望は ? と聞かれたので立ち上がり、子どもが単語だけで、たとえば「先生、おしっこ」とか言ったら、「お手洗いに行かせてください」と、ちゃんとした言葉に直して返し、人と会話する基本を教えてください、と言ったら、あの親はうるさい、とブラックリストに載せられた。
別の機会のPTAで、「ウチの子は漫画ばっかり読んで、ぜんぜん本を読まないんです。どうしたら本を読むようになるんでしょう」という質問が出たので、またまた立ち上がり、「それはやっぱり、まず親が読まなくては。子どもは親の真似をして育つものですから、あなたがたくさん本を読めば、お子さんはきっと真似をして本を読むようになると思いますよ。家庭にまずたくさん本が増えるでしょうし」
他の方が、「ウチの子はまるで勉強しないんです。どうしたら‥‥‥」「そりゃやっぱり、まず親が子どもの前で、勉強している姿を見せなくては。子どもは何で自分だけ‥と、言うこと聞かなくなると思いますけど」
これでPTAの方たちからも、仲間はずれにされてしまった。なんで ?
子どもたちを集めて、絵と作文を教えていた時期があった。私はまず子どもたちに、うんと面白い、楽しいことを体験させ、「さあ、いまのを描いてみよう。書いてみよう」とやった。
これは子どもたちに大ウケ。で、「先生、なんで日曜日、お休みにするの ? 」と、責められた。
一週間に2日間、という約束の教室は、毎日通ってくる子どもたちであふれ、日曜日もみんな遊びに来て、しまいには、まるで、遊園地か児童館状態。でもこの毎日は、私もほんとに楽しかったけど。
つまりは、話したいことがなければ、英語も日本語も意味がなく、描きたい何か、がなければ、クレヨンも鉛筆も、何の意味もない、と言いたかっただけですけどね。
そうそう、ノートの端っこに、こんなことがメモってありました。
「理解できたことは、たとえ身振り手振りでも、伝えられるし、表現できる。でも、知らない、解らないことは、いくつ言語を知っていても、宝の持ちぐされ」
青い文字の部分は、いまから4年ほど前、4月25日(木)のページからでした。
(その他の記事はこちら。リンクを貼ってありますのでクリックしてお入りください)
※これまでの公開記事のダイジェストガイドです。目次としてご覧ください。
★『写真+詩で季節を詩う』(ダイジェストガイド ①~21)
★『受賞童話作品』とダイジェストガイドをどうぞ。







こんにちは。mama-witchさんの武勇伝楽しいですね。
自国の文化を知り、大事にしなければ他国の人と対等に語り合うことなどできないと思います。僕らの親の世代(うちの親だけ?)は戦後復興の苦労の裏返しか、ライフスタイルや生活水準に対して欧米への憧れが強かったような気がする。「東京」や「海外(特にヨーロッパ)」の情報への偏重、地方(ほとんどの日本)への偏見、過剰な中流意識。若い頃の僕はそれらに反発して日本画、歌舞伎、能やアイヌ文化などにのめり込んでいたこともありました。
まあ、偉そうなことを言えるほどの知識は無いので、せめて自国の文化を大事にする心だけは持っていたいなと思っています。
すいません、何だか違う話になってしまったような気がします。ごめんなさい。
そうそう、たくさんのコメントありがとう。返事は頂いたコメントのところに書いておきました。
by (2006-03-11 11:54)
ヒント
この類の問題は、表を書かないとわかりません。
Eは、ACにやってない
Eは、BEにやっている
ACが本当のことをいっていると
Aは、Dもやったと言っているから
矛盾する
すると本当のことを言ったのは??
by thaler (2006-03-11 15:57)
なかなか子供は親の思うようにならないものや、親が考える以上のことをやってのけてくれるものやら、いろいろあっておもしろいものですよ。
いずれにしろ、子供といえども播いた種を刈るのは本人意外にいないわけですから^^
by Baldhead1010 (2006-03-11 16:54)
mama-witchさんとは気が合いそうですね。。。
私なら喜んでお友達になるのに。
そしていろいろ教えてもらうの(^.^)♪
ところで記事について、私も同感です。。。
結局、どこの国のどの言語を使おうと、、、
大切なのは何を話すかだ。
と夫も以前言ってました。
日本語で(ちょっと古いけど)
「ちょべりば」とか言ってる人は
結局、英語でもそういう会話しかしないのだろう。。。
by シナモンロール (2006-05-12 19:09)
シナモンロールさん、喜んで。
教える、なんてことはおこがましいけど、ブログ訪問はどんどんさせていただきます。ただ、今まさにその最中なんですが、制作に取り掛かると、完全に閉じこもり状態になってしまうのです。そのあたりの我儘を許してくださるなら、もともとお友だち大好き人間ですから。これから、よろしくお願いします。
by mama-witch (2006-05-12 20:11)
こちらこそ、よろしくお願いします☆
お仕事、がんばってください(^_-)-☆
by シナモンロール (2006-05-12 20:39)
外国語を話す、理解する、口では言えても大変難しいことです。特に通訳の場合、タダ、話せる、理解するだでは勤まらないでしょう。内容について理解していないと、意味が通じる通訳が出来ないと思います。小学校の英語教育是非論がありますが、 英語アレルギーがなくなり、日本誤教育の重要性を再認識するなら、いいことだと考えています。
by Silvermac (2006-05-21 06:19)
★いつもありがとうございます、SilverMacさん。
人間は、言葉で考えて行動する生き物です。だから行動基本となる言葉が、きちんと構築されていないと、行動もおかしくなってくると思うのです。
正座して喧嘩が出来ないように、アグラをかいて敬語が使えないように、子ども達にはまず、正しい言葉を、教えるのではなく、『使う』訓練がいると思います。教科書で言葉は学べませんので。言葉は使って、初めて体の中に「技化」されるもの。そのためには、お手本となる大人たちの協力が不可欠です。
その意味で、いま絶対に必要だと思うのは、子どもたちの良きお手本となるための「大人教育」です。子どもたちは、大人を見て、大人から学んで、成長していくもの。子どもが成長していく周辺に、親と先生しか居ないわけではないことを、親も、社会も、国も、意識すべきではないでしょうか。
私は、自分の子ども達が成長していく過程で、最も気をつけたのは、結果的に自分が引き合わせることになる大人のお手本たち、つまり私の友人達です。 礼儀正しく、誠実で、正直で、優しい大人たちと付き合うよう、また自分もそうあるよう、心がけたし、その付き合う姿を子ども達に見せてきました。
今娘たちは、少なくとも、人といい付き合いをする大人になってくれたように思います。私には、それだけで十分です。学歴や技術やお金では、幸せは手に入らないと思いますので。私は子ども達に、社会的な成功より、沢山の良き人たちに愛される良き人間になって、幸せに生きて欲しいと願っているのです。
大人たちは、子ども達を、口や教科書で育てるのではなく、自分自身の生き方を、彼らのお手本に差し出せるように生きることを、心がけるべきだと思います。それだけで、子どもの数に倍する、良き大人たちが増えると思いますので・・・。
by mama-witch (2006-05-21 11:11)