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mama-witchブログのダイジェストガイドです。 [ダイジェスト・ガイド]

                   mama-witch

                              

実は一年ちょっとso-netをお休みさせていただいておりました。その間、このダイジェストガイドの記事一本に2500人も訪問していただいて、本当に驚き、感激しております。また、全部でたった30本あまりしかない記事にも、85000人もの方が訪問していただいたこと、心より御礼申し上げます。現在連載中のエッセイが終了しましたら、mixiブログで連載していた、シナリオライター時代のあれこれを、so-netにも掲載しようかと考えております。ご訪問の皆様、宜しければ、NICE&コメントを。お調子者の筆者はとても喜び、張り切ります。

では、ブログ再開、またよろしくお付き合いのほど、お願い申し上げます。

            初めまして。ようこそ WITCH-VILLへ。      

 とりあえず自己紹介を、と思いましたが、なかなかひと口では語れませんので、これまでの職歴や仕事の内容、そして「書く」仕事をするきっかけになったエピソードなどを、なるべく短的に述べてみます。でも、まあプライベートな話ですので、興味の無い方はどうぞ飛ばして‥(笑)他の記事には全てリンクを張ってありますので、どこへでも一足飛びできます。お楽しみください。

『私が作家になったわけ・・・・・』 →自伝的エッセイ

  以下に、それぞれの記事のタイトルと内容をダイジェスト紹介してあります。    童話、エッセイ、短編小説、写真詩、近辺雑感、映画の話、爆笑話、等々、それぞれリンクを使って、ご探検ください。                                                                

[追伸]

最近、mixiに参加しました。そちらでは、『太陽にほえろ』や『ルパン三世Ⅱ』などを書いていた、シナリオライター時代のあれこれなど、書いています。mixiに参加されていて、野次馬的興味のある方、どうぞご訪問を。

オマージュ①「太陽にほえろ」 ― 『物書きの独り言』 9
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=597438335&owner_id=14340455
オマージュ②前編「ルパン三世」 ― 物書きの独り言10
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=602698822&owner_id=14340455

オマージュ②後篇「ルパン三世Ⅱ」 ― 物書きの独り言11                       http://mixi.jp/view_diary.pl?id=608836494&owner_id=14340455

  NEW                                                              連作 エッセイ 物書きの独り言                                                    第一話 『夜が明けたら』                                                                                 

 この作品は、1967年ごろから70年代前半にかけ、文人・文化人たちが夜な夜な徘徊していた”新宿ゴールデン街”の小さなバラック酒場で、一アルバイト美大生として過ごした20代の私の目を通して綴るエッセイ5連作の中の第一話です。
登場する人物たちは仮名にした方も居ますが、ほとんどは実在した人々。
彼らと共に過ごした私の青春時代の不思議な時間のあれこれを、できるだけ忠実に再現しつつ、それぞれの話に当時の大ヒット曲を添えてお贈りします。
初回の今夜は、私がアルバイトをしていたバー”もんきゅ”のプロフィールと、店主シュンさんとの出会いのあれこれ、ベトナム戦争による戦争景気で、高度成長期に突入し始めた日本。大学闘争も紛糾を重ねていた時代の風を見詰めながら、語っていきます。寺山修司に見出された、浅川マキという歌手が歌った「かもめ」という不思議な歌も、一緒にお楽しみください。

 第二話 『薔薇のトミィ』                                                                              

新宿ゴールデン街に実在した名物酔っ払い記者。                 彼はみんなに薔薇のトミィと呼ばれ、小さな体で激動の日本を精力的に取材した週刊誌のルポライターだったが、誰も知らないその裏の顔は、結婚もせず、全生涯かけて病弱な母親の面倒を見続けた、気骨ある日本男児だった。そんな薔薇のトミィに、花の女子大生だった筆者は、ほんのわずかな間だけ、赤い薔薇に込められた、精一杯の愛を、いただいたことがあったのです・・・・・・。この話では、盲目の天才歌手・長谷川きよしが歌って大ヒットした「別れのサンバ」という唄をお楽しみください。

 第三話 『エロスの酒場』  

世間知らずのアルバイト女子大生だった筆者の目を瞠らせた緊縛浮世絵師・伊藤晴雨やSM界の代表作家・団鬼六。しかしBar”もんきゅ”のマスターは、禁断の大人の性愛の世界ばかりを教えてくれたわけではなかった・・・・という記事紹介で多大な期待を持たれませんように。このエッセイはいたって健全で真面目。エロエロ、ドキドキはほとんどありません。申し訳ないです(笑)このお話には、やはり長谷川きよしの歌う、男と女の切ない宿命の歌「黒の舟唄」を添えてあります。

第四話『私は泣いています』

この話は、男なのに女、男なのに母親になったゲイBar『小紫』のママの、少し切ない愛情物語。シュンさんは、「人は外からはわからないもんさ」と、人生の機微を教えてくれました。ちょっとホロリとしてください。また、米軍兵士の父と生き別れ、母とも兄とも死別した天涯孤独の境遇から立ち上がり、17歳で歌手デビュー。そのハスキーな声で切々と歌い上げる「私は泣いています」という、当時100万枚の大ヒットとなった、彼女のデビュー曲を添えてありますので、こちらもお楽しみください。

第五話・最終回『灰色の瞳』

「物書きの独り言」最終回です。日本がまだまだ世界の後進国だった1960年代後半から1970年代前半。親も家族も捨てて、単身アメリカに飛び立っていった女の子が居ました。そして、シリーズ通してクールでダンディな横顔を見せたBar”もんきゅ”のマスター・シュンさんの凄絶な恋。人が、それまでの人生のほとんどを捨ててしまう夢や恋とは、いったい何なのでしょう。世間知らずの小娘だった私の胸に今も残る、切ない人間ドラマの欠片です。この最終回には、長谷川きよしと加藤登紀子がデュエットして大ヒットした「灰色の瞳」という、フォルクローレの名作を、椎名林檎と長谷川きよしのデュエットでご紹介してあります。私のエッセイを飛ばしてでも、この唄はぜひお聞きいただきたいものです。でも、このシリーズ・エッセイに対するあなたの感想をいただけると、筆者はいっそう喜びます。

(小説ガイド)

5/30 『遅すぎたラブレター』コラボレート写真小説 1

   この小さな物語は、写真詩でコラボレートしている「ドン亀」さんへの、ささやかなオマージュです。登山が好きで、自然が好きで、東京から信州の山形村に、奥さんと共に移住して12年になる、多分少し頑固者のブログ・メイト。まだ一度もお会いしたことは無いけれど、だからこの物語の主人公のモデルではないけれど、彼の発表したモノクロ写真から受けたイメージを紡いで創りあげた全くのフィクション・ストーリー。私の中にうっすらと浮かび上がるドン亀氏のイメージに向かって捧げる、心からの贈り物。彼の、筋の通った写真がなかったら、紡げなかった物語です。お読みくださる皆様の、率直な感想をいただければ幸いです。

 <トピックス > 

 コラボレート写真詩で新しい実験を初めました。長野の住人・ドン亀さんのブログ「ドン亀日記」のサイドバー、カレンダーの真下にその実験室はあります。「読む詩」ではなく「見る詩」です。詩を、フラッシュ・アニメで表現してありますので、どうぞ一度、体験してみてください。そして、どんなことをお感じになったか、ぜひご感想を。

  「ドン亀日記」  http://blog.so-net.ne.jp/trout/     

 (注)実験段階ですので、詩はいま4編しか載せていません。今後、順次増やしていく予定ですがweb制作作業に少々時間がかかりますので、どうかご了承ください。

↓<現在掲載中の詩のタイトル>

    1. 「ノスタルジー」

    2. 「桜散る路地」

    3. 「はるのこども」

    4. 「影」

  

 (エッセイ ガイド) 

4/10 公開 作家の本棚② 江戸の描写に不可欠 『江戸切絵図』 

 江戸の町というのは、水の都でした。船は徒歩で行くよりはラクで、早い。だからそれこそ縦横無尽に川が張り巡らされていたんです。だから江戸時代の生活を書くとき、こうした水上交通のことは無視できません。どの川がどの町に繋がっているか、当時の江戸ガイドブックである切絵図を片手に考えるわけです。今はそのほとんどが埋め立てられ、東京砂漠なんて歌まで出来る世の中になってしまいましたが。そんなことも踏まえ、しみじみと「江戸切絵図」を眺めてみるのも、なかなか乙なものです。 

 

4/8 公開 作家の本棚① 時代小説の参考書 『江戸幕府役職集成』

 時代小説を書くときどうしても無視できないのが「時代考証」です。ここに紹介したのは、そういうとき、モノ書きが参考にする本の一冊。一応専門資料ではありますが、これが読み物としても、まことに読みやすく、内容もなかなか面白い。時代小説ファンの方が読めば、同心や与力の生活や実態が解るし、太平の世の武士がまさに現代のサラリーマンだったという実態も見えて、小説がより楽しめるようになります。現代の日常生活には全く役に立ちませんが、たまにはこういう類の本を紐解くのも面白いかと、ご紹介した次第です。

 

4/5公開 移動映画館はいまも北海道を走っていますか→考えさせられた話

   この話は、実話です。

 テレビ朝日の朝6:30~7:00「夢・いきいきキラリ」というドキュメンタリー番組を見たとき、急いでメモしたことを覚えています。移動映画、相当のトシの方なら、子どもの頃経験された方があるかもしれませんが、平成の今、まだこういうカタチの移動映画館があったという驚きと、総重量600㌔という、大変な映写機械をライトバンに積んで、陸の孤島と云うような北海道の遠隔地に住む人たちや、まだ映画を見たことのない子どもたちのために、古希をはるかに越える方が、がんばっていらっしゃるその姿をみなさんにご紹介したい、と筆を執ったものです。

 

 3/31 公開 武士の子育て術『技化』を知ってる?→考えさせられた話 

 これは子育てのための話ではありません。子育てにも役立つ、という話です。

 私としてはむしろ『人育て』、または『自分育て』、の話のつもりで書いたので。その意味では、今ちょっと生き方に悩んでいる人や、新しい人生を模索している方の、役に立つかも知れません。でもあらかじめお断りしておきますが、この方法は決してお手軽なやり方ではありません。時間も手間もかかりすぎるほどかかる、まことにアナログな方法です。数十年生きても生き惑う、迷いの生物、人間の本質に沿って、「後から来る理解を待ちながら学ぶ」というこのユニークな方法は、江戸時代よりもむしろ、デジタル社会のスピードについていけなくなりつつある現代人に不可欠な考え方ではないでしょうか。なにしろ人間は、促成栽培なんて出来ない生き物なんですから。

 

3/28 公開 くすくす笑える、トリビア・ニュースです。→トリビアな話

 これは身辺で見つけた、どーでもいいバカバカしい話を集めたもの。

 基本的には何の役にも立たない 『B級 重大ニュース』ばかりでも「ねえねえ、こんな話知ってる?」とやればほぼみんなに笑ってもらえるネタにはなります。ま、その程度です(笑)。

 

『不思議な時計の話』時計職人の話から。考えさせられた話

 これはぜひ、とお奨めしたいお話です。ある朝目覚めたとき、昨夜からつけっ放しだったテレビから流れてきたのは、下町のある老時計職人の話。「持ち主を嫌っている、としか思えない時計があるんですよ‥‥」。いや、長くひとつの仕事をやり続けてきた人の話はほんとに面白いです。

 

 『春は原宿・表参道ヒルズの散歩道へ‥‥。見た話

 原宿・表参道ヒルズ。ごく近所に住む筆者の、私的かつ個人的なミニ・ガイドです。短いので、まあちょろりとヒマつぶしを‥‥。

 

 「金魚坂の『ピンポンパール』?」(エッセイ)→見た話

 「金魚坂」というのは、東京の本郷三丁目( 東大赤門のすぐそば )に実在の金魚屋さん兼喫茶店の名前。で、ここで出会ったピンポンパールという金魚と、かつて金魚狂いだった筆者の「金魚との出会い」を語った、ちょっと爆笑モードなエッセイです。

 

 アイルランドで日本語を?『2002年のノート』から。(エッセイ)→考えさせられた話

 私の手元にある旧い制作ノート。これはもうまるで作家と呼ばれる人たちの頭の中そのものみたいに、まったく脈絡のない、ありとあらゆる、どーでもいいことが書き散らかしてありまして。その中に見つけたエピソードのひとつ。

 ヨーロッパの共通通貨・ユーロがスタートを切ったこの年、アイルランド政府は、小・中学生たちに母国語をきちんと理解させるために、日本語という外国語を学ばせることにしたそうですがそれは何故‥‥という、当時のニュースとその裏事情について書いた、うなずきながら賢くなる、面白エッセイです。

 

 ホタルの木です。『2000年のノート』から。エッセイ)→考えさせられた話

 こちらも、例の制作ノートの中で見つけたパプアニューギニアに実在する、『ホタルの木』の話から始まるエッセイです。NHKのホームページでも見られるようなただの情報っぽい部分はなるべくはずし、そこから広がるさまざまな考察やエピソードを、軽いタッチで書いてみました。そう、日本の商社がホタルの木を、年間50 万本も伐り倒してるというような‥‥。楽しみながら、少し賢くなれる、と思います。

 

 (受賞童話作品ガイド) 

ロードムービー童話 

  『北のカリヨン』(第11回 家の光童話賞 佳作)→童話

 原稿用紙10 枚程度の童話ですが、ちょっと変わった仕掛けがしてあります。女の子が拾った小さな金色のベルが次々に人の手に渡り、各地を転々としながら、ベルを手にする人々と、短いエピソードが生まれる。そのエピソードがまた次のエピソードに繋がってゆく、いわばロードムービー童話です。

5才で天国に行った小さな女の子のお話

   『あっちゃん バイバイ』(ほたる出版 第一回ほたる賞受賞)→童話

 これも原稿用紙10 枚の童話。筆者が子どものころ実際にあった話がずっと心に残り、それを童話という形に仕立てたもの。5歳で死んだあっちゃんと、それを取り巻く子どもたちとの、ひと夏の物語。しみじみとしたストーリーです。 

男の子とお父さんの切ない約束の物語

 『父さんの フェニックス』(第二回「言葉の町お話コンクール」三重町民賞受賞)→童話

 原稿用紙10枚の童話。これも筆者が子どものころ、周辺に居たある少年の実話を素に、童話という形に仕立てたもの。父親の事故を超えて急激に成長したクラスメートへの感動が、この作品を創らせたと思っています。

 推理ファンタジー

  『雪の日の リリィ』(第七回「ゆきのまち幻想文学賞」 佳作)→推理童話

 原稿用紙10 枚の、小さな推理仕立てのファンタジー小説です。ストーリー通り読んでいただければ、多分最後まで、仕掛けのタネは見破れないはず。他にも、原稿用紙100枚程度の、中篇の児童向けファンタジー小説の受賞作があるのですが、横書きのブログで読むにはいささか無理がある、と判断したので掲載は見送ります。どうしても読みたい、と云う方は、コメントで脅迫を。私は脅しには弱いので(笑)

 <トピックス > 

 ファンタジー作品『雪の日のリリィ』に、4月14日、突然イラスト挿絵がつきました。描いてくれたのは、高校2年の sasuke さん。彼女が高校に入学したばかりの春、ほんとに偶然に、このso-net ブログで知り合い、お願いしたのです。以前この作品を見た方、初めての方、一度覗いてみてください。そして彼女にぜひ応援コメントを! 

sasukeさんのこれまでのブログURLhttp://blog.so-net.ne.jp/jumpingjack/ 

お報せ→彼女は下記のURL にお引越ししました。引き続いて応援を!

       http://jumpingjack-192.way-nifty.com/blog/

高校2年生のイラストレーターsasukeさんのイラストと日記をお楽しみください。

 爆笑SF童話

  『オジイチャンのヤリナオシ・カプセル』

(教育総研「創作ファンタジー・創作童話大賞」創作童話部門 佳作)→SF童話

  これは少し長め、原稿用紙で20 枚の小学生向け童話です。でも、大人が読んでも楽しい” 笑えるSF童話 ”だと、自分では思っています。むかし子どもだったあなた、ぜひ一度読んでみてください。なかなか悪くない気分になれると思いますよ。いや、ほんとは、小さい子どもたちに読み聞かせしてもらえると、嬉しいんですけどね。

 

(聞き書き話、写真、他)  

 『これが”ピンポンパール”。あまりの可愛さに大爆笑です。(写真レポート)→見た話

 これは、たっぷりのカラー写真を駆使した、大爆笑ピンポンパール展覧会。公開したとたん入場者がどっと押しかけ、紹介したこちらもびっくり。まあ、私の記事がどうこうというより、まん丸金魚のピンポンパールが可愛いすぎなんでしょうけど(笑) 

4/6 公開 「カッパ・ピア」は抱腹絶倒遊園地! →トリビアな話

 これはもう無くなってしまった幻の遊園地の記録です。

 これはある人が見つけた大爆笑間違いなしの情報のご紹介です。少しばかり面倒な手続きはありますが、お休みの日などに、徒然なるまま、試してみる価値はあると思います。世の中には、こんなこと(場所)があったんですねぇ。

カッパピア→ http://ibaragiya.web.infoseek.co.jp/minor/kappapia/pia_a/pia_a1.html

(写真詩ガイド)

 詩にはなじめない、とおっしゃるあなた、私もそうでした。

 なぜ馴染めないのだろう、と考えた結果、あなたや私の、人間としての日々の生き様や悩み、考え方を、写真詩と云う形で表現してみよう、と考えたのです。

 写真は、so-net で1、2を争う人気ブログ主催者の方々の作品の中から、テーマにふさわしい絶品をお借りしましたので、ご覧になる皆様は、私の拙い詩と共に、四季折々の素晴らしいフォト・アートを楽しめるというわけです。

 その結果ここは、一度の訪問で2度楽しめる、美味しいページになったのではないか、と密かに自負しています(笑) ぜひ一度お試しを。

 なお、コラボレートしている方々のブログネームとURLは各作品ページごとにご紹介してありますので、それをご参照ください。詩作の背景にも、少し触れてあります。また以下の各タイトルにはリンクを張ってありますので、クリックしていただければ、すぐに入れます。

  コラボレートしていただいている『ドン亀日記』のドン亀さん季節の移ろいを肌で感じています』のbaldhead さん『気ままにブログ』のsilvermacさんそれぞれのトレードマークとURLも、あわせてご紹介させていただきますので、私のブログを経て、どうぞ一度訪問されることをお奨めいたします。

 <詩のタイトルと冒頭部分の紹介> 

「四月の雨」 枝から落ちるひとしずくの雨に 心を切り裂かれることがある‥‥

 ☆小枝に、バラの葉の葉先に、小さく光る一粒の水のしずく。その透明な丸い鏡に映るさまざまな風景。そんな小さな世界に宿る想いを詩に込めてみました。四月の雨の詩(うた)です。 

「野の花たちへ」→風が和らぎ 土が目覚めた 気づくものたちに春は微笑みかける‥‥

 ☆オキナ草、ワサビの花、見たことあります? 小さな野の花たちが教えてくれる春の訪れは、幸せの意味についてほんの少し、考えさせてくれるような気がするのです。

「春のノート」若いころの思い出は なぜかみんな 小さなかけらで できている‥  

 ☆過ぎていった日々はもう取り返せない。でもその日々の名残のあれこれが、大人になっても捨てきれない‥‥。こうした思い出のかけらたちは、いったいどう始末すればいいんでしょう。

                          

「旅に出た君へ」君が 町を出ると聞いた‥‥

 ☆春は別れの季節。友の旅立ちに伝えたいことはただひとつ。大丈夫、私たちはいつもあなたのそばにいる、そしていつも信じているから。春は人の気持ちを優しくする季節のようです。

 

「花嫁」白いモクレンが咲いたら あたしお嫁にいくの‥‥

 ☆都会でひとり暮らすあなた。誰にも言わない、言えないその胸の内には、一体どれほどの想いを抱えているのでしょう。人はみな一人では生きられない。なのにひとりで生きていかなければならない‥そう、誰かに、ほんとうに出会うまでは‥。

 

「風が止むとき」私はときどき 自分が見えなくなる‥‥

 ☆自分の迷いを、自分でどうすることも出来なくなったとき、一体どうすればいいのでしょう。大人になろうと背伸びをして、疲れきって‥そういう時、方法はきっとひとつしかないような気がするのです。

 

⑦ 「時の止まる場所」命を奪うほどの風が いつも吹いている場所を‥‥

 ☆高い山を目指す人は、いつも何を求めているのでしょう。一人で雲海の前に立って、一体どんなことを見聞きして帰ってくるのでしょう。その山に、私もいつか、登れるでしょうか‥。

 

 「風を聴く」山に入ると 自分の体から 少しづつ ニンゲンというものが 

          剥(は)がれ落ちて   いくような気がする‥‥

 ☆人間が、自分を人間だと感じるのは、自分の無力さを始めて知ったとき、ではないでしょうか。孤独と云う感覚こそ、人間が持つ最も人間らしい感覚だと思うのです。だから人は、山深く入っていくのかもしれない。自分が人間だということを確かめるために。

 

「月の秘密」恋をするとき 人は どうして 月を見上げるのだろう‥‥

 ☆誰かを好きになると、人は本当にどうして無防備になるのでしょう。老人は少年のようにはにかみ、少年は老人のように考え深くなる。そして誰もが無邪気に、「今」を信じてしまうのです。

 

「空」 ああ そうだ 旅に出よう 空を見て ふと そう思った‥‥

 ☆人が作った街。人が作った山。人が作った川。人が作り出す音の中で、人は自分という人を忘れてしまう。あまりにも当たり前すぎる毎日が続くと、人は「いつもそこにある何か」に、気づかなくなってしまうのではないでしょうか。

 

「大人になる日」沈みきった太陽のむこうに まだ光が残っている空は‥‥

 ☆人は、いつから子どもではなくなるのでしょう。いつから、自分はもう子どもではないと、思いはじめるのでしょう。恋はほんとうに、人を成長させるのかしら‥。

 

 ⑫「落陽」まだ 人生と云うものを 知らなかったころ‥‥

 ☆いま、走り始めた人、全力疾走している人、ふと立ち止まった人、じっとたたずんでいる人、走ることをやめた人、もう走れなくなった人‥‥そんな人たちが最後に気づくものについて。

 

 ⑬「子どもの時間」足の下を しゃらしゃらと 海が流れてゆく‥‥

 ☆足の下を流れていくのは、人生?苦しいこと、哀しいこと、楽しかったあれこれ、人生には数え切れないほどの出来事があったはずなのに、振り返ると覚えているのは無邪気な時間‥。

 

「ノスタルジー」ノスタルジー それは自分への旅‥‥

 ☆思い出の中の懐かしい時間は、どうしていつも、陽射しの中で輝いているのでしょう。明るくてまぶしいそんな時間が、いつも人を支えていてくれるのかもしれません。

 

極彩色思い出見世物小屋には 大人の匂いが満ちていた‥‥

 ☆大人が大人に見えた日。それは大人の秘密に触れたとき。大人たちの、大人にしかわからない時間の中に迷い込んでしまったとき、子どもはどきどきしながら、自分もなんだか少し大人になったような気になるのです。

 

「影」昨日と同じ 今日を 終わって いつもの道を‥‥

 ☆毎日が、まるで判を押したように単調で退屈だと思うときがあって。でもそんなとき、実はどんなことも同じものなど何ひとつ無いんだということに気づいたことがあります。仕事がたまたま早く終わり、夜遊びせずまっすぐ帰宅、の夕方の帰り道、いつもの電柱の長く長く伸びた影を見たときなど‥。

 

「桜散る路地」花びらに誘われて 見知らぬ路地に迷い込んだ‥‥

 ☆大人になってから、迷子になったことがありますか? この詩は「近所」という呼び方で、知り尽くしていたつもりだった場所を、本当はほんのわずかしか知らなかったことに気づかされたある日のできごとです。 

 

「春の石」冬寒の風の中に 暖かな石が立っていた‥‥

 ☆都会では見かけることなど出来ない神の石。でも実は、ほんの百年ちょっと前には、日本中どこにでも、人を見守り、導く、こうした神の石が点在していたのです。長い時間をかけてそれを造った人の思いを、体いっぱいに見せて。だから人はごく自然に、感謝の手を合わせたのでしょうね。

 

「はるのこども」おかあさん これ なあに これはね‥‥

 ☆冷たい雪の中からひょっこりと顔を現す、愛嬌たっぷりの福寿草。でも始めてそれを見た子どもは、いそいでお母さんに、こんな風に聞くのでしょうか。 その質問は、子どもが世界に興味を持ち始めるはじまりかも‥。

 『オルフェの月』

 人は時折、人の心を変えてしまうような神秘に出会うことがあります。私にとって、月はその最たるものです。人にとって「眠る」ということは、一種の一時的仮死状態。そのかりそめの死の中で、人は、いつもと違う夢を見るようです。

 21 『水のゆくえ』

 ドン亀さんから今回お借りしたのは「安曇野湧水群」の清流写真。ご存知の方が多いかと思いますが、この風景、実は黒澤明監督の作品『夢』の中で、水車の回る美しい水辺の風景として、使われています。

 この水辺を、亡くなられた名優の笠智衆さんが、祭りの衣装に身を包み、らっせーらっせ、と楽しそうに太鼓を叩きながら、「生きているということは、ほんとにええもんじゃよ」といわれた、あの名口調を思い出します。信州にやっと春がやってきました。

22  『はぐれてみる』

 仲間たちから「はぐれる」のは心もとなく、寂しいものです。でも、時には自分の意思で、いつもの仲間やいつもの生き方から、ほんの少し、『はぐれてみる』のも悪くないのではないでしょうか。silvermac さんのブログの中で、群れから離れて咲く一輪の蓮華草に出会ったとき、こうした思いが胸に浮かびました。日々を、群れて生きざるを得ない私たちの背中を、自然はときどき、そっと押してくれることがあるものです。

23 『はつこひ』

 旧仮名遣いは読みにくいかもしれませんが、この詩に関しては、どうしてもこの形をとりたかったので、あえて挑戦してみました。詩作の背景は作品下部に書きましたので、そちらもあわせてご覧になってください。でも一にsilvermacさんの、この上もなく美しく、愛らしい花の写真があってこそ生まれた詩、だと言えます。この詩は、当初漢字遣いで書きましたが、どうにも気持ちが一致せず、十数度の書き直しを経て、やっとこの形に落ち着きました。みなさまの忌憚なきご意見を聞かせていただけると幸いです。

24 『真夏の午後の夢』

 いつもは忘れている時の移ろいに、ふと気づくときがあリます。田舎の静かな夏の午後、午睡から醒めたとき。セミの声が消え、風も止まり、あまりの静けさに眠りを破られたときなどに・・・(以下略)。

 

コラボレート写真詩 番外編 別れの詩 『桜雨』→ 桜咲く日 友が逝った 物書く友だった‥‥

 ☆これは、生き急いで逝った友人への個人的鎮魂歌です。

 生ききらないうちに亡くなった友へ、哀悼の気持ちで書いた、全くプライベートなつぶやきです。まだ50 代。油が乗り切って、さあこれから、というときに逝ってしまうとは、惜しんで余りある才能の持ち主でした。名前を言えば、多分皆さんご存知の、ゲーム・ライターです。彼が残した作品は、今も市場の人気商品。作者は亡くなっても、作品は残って一人歩きしている。それが作家の宿命なのかも知れません。

彼は、私のかつてのシナリオの師匠・杉村升(のぼる)氏。その後、ゲーム制作の世界に入り、ゲームライターとして活躍されました。彼の代表作品は『鬼武者』、そして『バイオハザードⅡ』などなど。そのほかにも多数の作品を残されています。しかし彼は2005年2月20日、急性心不全により、急逝されました。享年56歳。

(彼に関しては、以下のURL(wikipedia)に詳しく紹介されていますので、こちらをどうぞ)

 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%89%E6%9D%91%E5%8D%87

 

番外編 写真詞 『しあわせな日曜日』 これは詩ではなく、歌詞です。

           ☆一、信号が青に変わり ぼくは道をわたる‥‥

 

 (ちょっと変わった映画情報)

 これが『ねずの番』 観なきゃ損!

 見方によっては、とんでもない映画。初めから終わりまで、と言ってもいいぐらい飛び交う、禁じられた四字熟語。だからTV放映はおそらく無理。TVを通じた派手な宣伝活動も、ほとんど無理。現に公開前の番組宣伝で、司会者たちはこの映画の内容をどう伝えたらいいのか、四苦八苦。ストーリーに触れようにも、言ってはならない言葉だらけ。でも内容は「粋」そのもの。今はもう、落語の世界にしか残っていない「艶な笑い」の大人の世界。ほんとうに、見なきゃ損な、大人だけの粋な世界のお話なんです。宣伝が難しいから、短期で公開を打ち切られてしまう可能性がある。だからみなさん、まず観て、大いに口コミを!

でもとてもそんな余裕は無いという方はとりあえず下記のURLをクリック、せめて予告編を!

      http://nezunoban.cocolog-nifty.com/main/ 

 ブラックな童話映画「ナニー・マクフィーの魔法のステッキ」

 いい子と善人ばかりが出てきて、たっぷりとヒーロー気分を味わい、「自分は何をやってもいいんだ」なんて危険な錯覚を起こしかねない子ども映画とは、少しばかり一線を画したイギリス映画。ディズニー映画にはない毒が、ほんの少し盛り込まれている、ファミリーな映画です。

 事件は大人にばかり起きるんじゃない、子どもだって日々の問題は、自分の力で解決していかなきゃいけないんだと、ナニーは子どもたちを突っ放します。魔法を使うのは、子どもたちが十分な努力をしたときだけ。世界一怖い魔女の家政婦が、子どもたちに威厳を持って向き合う、そういう映画です。スペクタクルなヒーロー・ファンタジーばかりでなく、たまには子どもたちに、彼らと等身大の、旧きよき時代のファミリーががんばる、こんな映画を見せてあげてほしいと願って、ここにご紹介するものです。お忙しい方は、とりあえず、下記のURLで予告編を!

             http://nezunoban.cocolog-nifty.com/main/ 

 

(これらの映画は終了しましたが、面白いホームページなので、まだ観られるなら、と、このまま残しておきます。よろしければどうぞ。私は笑うロバが大好きです!)

 

           ではどうぞ、お好きな作品をお楽しみください。

   witch-vill にようこそ    

       おっと、忘れるところだった!

         ちょっとした付録です(笑)

   あまりの危険さに放ったらかしにしている記事がひとつ 

『お奨めしかねる危険度です。わさび爆弾だもの!』

  これは実際に食べた話です。亀田製菓から売り出されていますが

         なかなかお目にかかれないので

            見つけた方はラッキー!

         では、今度こそ失礼。

 

(その他の記事はこちら。リンクを貼ってありますのでクリックしてお入りください)

 ★(NEW!)最新記事とダイジェストガイドをどうぞ。

   ※これまでの公開記事のダイジェストガイドです。目次としてご覧ください。

 『写真+詩で季節を詩う』(ダイジェストガイド ①~24)

 ★『受賞童話作品』とダイジェストガイドをどうぞ。

 

 

 

 


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『夜が明けたら』 ― 物書きの独り言13 [エッセイ]

           『夜が明けたら』 

この話は、mixiブログで展開している「物書きの独り言」と称するシリーズ読み物の中のエッセイ5連作の第一話です。1967年辺りから1970年代前半にかけ、20歳になったばかりの一美大生であった私が、文化人たちがたむろすることで有名だった新宿ゴールデン街片隅にあったバラック酒場「もんきゅ」でアルバイトをしていたころ。見聞きしたさまざまな人々の、さまざまな人生模様について語ってみたもの。アングラ全盛当時に寺山修司に見出され、一世を風靡した、浅川マキという歌手をご存知の方も、ご存知でない方も、あの頃の熱い日本に心を馳せてくださると幸いです。お読みになったあなたの感想をぜひお聞かせください。     

                                                  

                          
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(初めて読む方たちへ)
この作品に登場する人々は、ほとんどは実在した方々。 彼らと共に過ごした時間のあれこれは、こうやって振り返らない限り、記憶の底にいまも埋もれ続けていたでしょう。昔の酒場には、金が仇の今の世には望むべくも無い、ぶ厚い”義理人情”ってやつがあったような気がします。
初回の今夜は、私がアルバイトをしていたバー”もんきゅ”のプロフィールと、店主シュンさんとの出会いのあれこれ、高度成長期に突入し始めた時代の背景などに触れていきましょう。
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昔々、新宿ゴールデン街に、「もんきゅ」という小さな酒場があった・・・・・。

仏語で“可愛いお尻”という名前のこの酒場は、八番街と呼ばれる通りの中ほどに位置し、人一人やっと上れるくらい狭く、垂直に近い危険な階段を昇った2階にある、3坪あるかなしかの小さな店だった。

1960年代後半のゴールデン街は、新聞記者、雑誌記者、作家、役者、映画監督、演出家、詩人、デザイナーカメラマン、などなど、有名無名取りまぜた、いわゆる文化人達のたまり場で。

彼らは一箇所に200近い安酒場が群がるこの街を一軒づつハシゴして飲み歩き、あちらこちらで談論風発、大酒を酌み交わしながら夜を徹して文学や芸術、政治について語り合う。
ゴールデン街で飲み明かし、そのまま仕事に行って、夜また帰ってくる、なんて男達はザラに居て。

「もんきゅ」もまた、そういう男達の夜の集会所のひとつだった。

私はそのころやっと20歳になったばかり。
大学の友人に連れて行かれたのがきっかけで、生意気盛りの小娘だった私は、知的で無頼な大人たちが群がるこの店とこの街にどっぷりとハマり、ゲイのママやホステスさんや、いろんな文化人の方達に可愛がられながら、“背伸び”というやつを覚えていった。

戦後”青線”と呼ばれる売春地帯だった、新宿・花園にあるゴールデン街の、マッチ箱のようなバラック酒場に、面白半分で出入りしていた20歳のころ。
そこで見聞きしたちょっと風変わりな話のあれこれを、これから暫く書いていってみようと思っている。


■浅川マキの唄         

「もんきゅ」店主のシュンさんは、バー経営をしつつ、三島由紀夫が主宰する「浪漫劇場」という劇団に所属する俳優でもあった。
年齢は、30代後半ぐらいだったか。
背はそんなに高くないが、よく動く大きな目と、鼻下から頬、顎にかけて蓄えた、ロシア人のような、短い真っ黒な髭がよく似合う、シブい、好い男だった。
そして、こういう酒場のマスターらしく、ひどく無口で。
何年も通ってきてる、という常連たちでさえ誰も、マスターの過去は知らなかった。

「浅川マキ」という歌手を教えてくれたのは、そんな常連客の中でも特に酒癖の悪い、某有名週間誌の酔っ払い記者、”薔薇のトミー”。
トミーは真夜中、必ずぐでんぐでんに酔っ払ってやってくる。
もんきゅの傾いだスツールに辛うじて腰を落とすなり、大声で叫ぶ。
「マキをかけてくれ!」

シュンさんはしぶしぶ、好んでかけていた「M・J・Q」のレコードをターンテーブルから外し、カウンター脇にずらりと並ぶLPの中から、手摺れした一枚を抜き出して、静かに針を落とした。

と、濛々たるタバコの煙と、ワイン以外の全ての酒の匂いと、働き盛りの男たちの体臭・・・・・が入り混じって淀んだ安酒場の空気を、一層濃くするような、ブルース独特のかすれた旋律が流れ始め・・・・・。
そして奇妙な事が起きる。
それまで大声出して騒ぎ、掴みかからんばかりに口論していた男たちがいっせいに口を噤み、シン、と静まり返るのだ。


『夜が明けたら』

(セリフ)夜が明けたら一番早い汽車に乗るから
夜が明けたら一番早い汽車に乗るのよ
夜が明けたら 夜が明けたら

夜が明けたら 一番早い汽車に乗るから
切符を用意してちょうだい
私のために 一枚でいいからさ
今夜でこの街ともさよならね
わりといい街だったけどね

夜が明けたら 一番早い汽車に乗って
いつかうわさに聞いたあの街へ
あの街へ行くのよ
いい人ができるかもしれないし
ンーあの街へ行くのよ

夜が明けたら 一番早い汽車に乗るわ
みんな私に云うの
そろそろ落ち着きなってね
だけどだけども人生は長いじゃない
そう あの街はきっといいよ

夜が明けたら 一番早い汽車に乗るから
切符を用意してちようだい
本当 本当よ 一枚でいいのよ
いつだって身軽な私じゃない
そう・・・・乗るのよ

夜が明けたら 夜が明けたら
そう 夜が明けたら
夜が明けたら 夜が明けたら

浅川マキ作詩/作曲(注:作詞ではなく「作詩」は彼女の主張)
(1969年7月1日東芝音楽工業・現EMIより発売)

この唄は1968年、寺山修司に見出された浅川マキ(当時26才)が、新宿のアンダーグラウンド・シアター「蠍座」で、初のワンマン公演を                                          3日間にわたり催行、その後次第に口コミで広がっていった、とされている。

都会の夏の、真夜中の霧雨のような、気だるいメロディを、お聞かせできないのがとても残念・・・・。

浅川マキという歌手の唄には、激動する世の中を駆け巡り、夜を徹して仕事をするジャーナリストや文士達の、激辛の口を噤ませ、世間知らずの小娘の無知な目をも瞠らせる強烈なオーラと、何より威厳が、あったように思う。

初めて触れた浅川マキの唄の中でも、私が最も惹かれたのは、「かもめ」という、まるで一本の恋愛小説のように切なく、エロティックな内容の歌詞を持つ歌だった。
こちらはY―TUBUに公開されていたので、メロディと共にご紹介しよう。

『かもめ』 作詩/作曲 浅川マキ
http://jp.youtube.com/watch?v=Ms7rSLS7n2s (←クリックを)

おいらが恋した女は 
港町のあばずれいつも
ドアを開けたままで着替えして 
男たちの気を惹く浮気女
かもめ かもめ 笑っておくれ

おいらは文無し 惑ろって
薔薇買う銭もない だから 
ドアの前を行ったり来たりしても 
恋した女にゃ手もでない
かもめ かもめ 笑っておくれ

ところがある夜突然 
成り上がりの男がひとり 
薔薇を両手いっぱい抱きかかえて 
ほろ酔いで女のドアを叩いた
かもめ かもめ 笑っておくれ

女のまくら元にゃ薔薇の 
花が匂って二人 
抱き合ってベッドに居るのかと思うと 
おいらの心は真っ暗くら
かもめ かもめ 笑っておくれ

おいらは恋した女の 
安宿に飛び込んで不意に 
ジャックナイフを振りかざして 
女の胸に赤い薔薇の贈り物
かもめ かもめ かもめ かもめ・・・・
 

男と女の間にある、殺しあうほどに狂おしい想いの意味などまだ知らなかった私の胸に、浅川マキの唄は、ゴッホやベルメールの絵のような、強烈なパンチを叩き込んだ。
そしてもうひとつ。
私がいまも繰り返し口ずさむ、こんな唄もある。

『ふしあわせという名の猫』

ふしあわせという名の猫がいる
いつも 私のそばに
ぴったり 寄り添っている

ふしあわせという名の猫がいる
だから 私は いつも
ひとりぽっちじゃない

この次 春が来たなら
むかえに来ると言った
あの人の嘘つき
もう春なんて来やしない
来やしない

ふしあわせという名の猫がいる
いつも 私のそばに
ぴったり 寄り添っている

どこかのベンチに並んで座って、どこか遠くを見つめて、そっぽを向くように歌う彼女の歌が、そのころ両親と上手くいっていなかった私の耳に、まるで「わかってるわよ。でもさ、人生なんてそんなものよ」と言っているように聞こえたものだ。

☆浅川マキさんのオフィシャル・サイト
http://www.emimusic.jp/asakawa/main.htm

■激動期の1960年代

振り返ってみれば1960年代というのは、日本にとって大変な激動期の始まりの年代だったように思う。

東京タワーはこの前々年、1958年に出来ていたが、60年に入ってベトナム戦争が始まり、この戦争による特需景気で、日本は大変な高度成長期に突入する。

年頭にはフランスで初の核実験が成功し、カラーテレビの本放送が開始され、アントニオ猪木とジャイアント馬場がデビュー。
ソ連のボストーク2号が人類初の有人宇宙飛行を成功させ、大相撲では大鵬と柏戸が二人同時の横綱に昇進して柏鵬時代の幕が切って落とされ、日米安保条約改定が発効した。

62年には日本初のテレビアニメ「鉄腕アトム」が放送を開始し、ケネディ暗殺事件が起こり、チビっ子たちのヒーローだったプロレスラーの力道山が、暴力団員に刺されて死んだ。

64年には東海道新幹線が開通。
東京オリンピックが開催され、ジャイアンツの王貞治選手が年間55本の、史上最多ホームラン記録を樹立。

65年、米国が北ベトナムを爆撃し、日本の安保闘争は次第にエスカレートしていく。 
過激な学生運動が頻繁にニュース画面を賑わし、大学に入ったばかりの私の周りでも、大学闘争が激化していった。
しかし一方でミニ・スカートやアイビー・ファッションがブームになり、フォーク・ソングが流行し、平凡パンチやアンアン、ノンノといった週間誌やファッション誌の創刊ブームが巻き起こっている。

都電銀座線が廃止になり、霞ヶ関に日本初の超高層ビルが出現、日本中あちこちで公害問題が起き、68年には三億円事件も勃発して。

戦後15年たって、世の中は、他国の戦争による好景気に沸きかえり、アジア初のオリンピック開催に向けて、国中が全力疾走し始めていた。
何もかもが初めて、あれにもこれにも”日本初”という冠がついたような時代。

私の青春は、まるで洗濯機の中にいるようにめまぐるしく移り変わる、こんな時代の渦の、真っ只中で始まった。

新宿ゴールデン街。
八番街と呼ばれる通りに乱立する、バラック酒場と呼ばれる酒場たちは、今でも現存している。
http://www.hanakin-st.net/ (新宿・花園ゴールデン街のホームページ)

そのひとつだった、小さな酒場『もんきゅ』。
ここであったさまざまな出来事を、個人的ながら、これから五夜にわたってお話ししていこうと思う。


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『薔薇のトミィ』 ― 物書きの独り言14 [エッセイ]

          『薔薇のトミィ』

この話はmixiブログで展開している「物書きの独り言」と称するシリーズ読み物の中のエッセイ5連作の第二話です。1967年辺りから1970年代前半にかけ、20歳になったばかりの一美大生であった私が、文化人たちがたむろすることで有名だった新宿ゴールデン街片隅にあったバラック酒場「もんきゅ」でアルバイトをしていたころ見聞きした、さまざまな人々のさまざまな人生模様。登場する週刊誌のルポライターだった「薔薇のトミィ」は既に故人となりました。彼が好きだった長谷川きよしという盲目の歌手が歌った「別れのサンバ」という、当時の大ヒット曲をご紹介してありますので、そちらもお楽しみください。お読みになったあなたの感想を聞かせていただけると幸いです。

                           

 夜のゴールデン街  今は無きゴールデン街名物 Bar『まえだ』       

物書きの独り言12 に出てきた、薔薇のトミィについて。                  http://mixi.jp/view_diary.pl?id=612140606&owner_id=14340455

彼はある有名週間誌の記者。                                          160㌢ち ょっとの私の、肩ぐらいまでしかない、かなり小柄な男性。 

トミィという仇名の由来は、姓が冨田何某、というだけのことで。もちろんイケメンなどではないし、お洒落な人でもなかったけれど、夜のゴールデン街では誰知らぬものが無い、名物酔っ払いだった・・・・・。                                                “薔薇の・・・”という辺りについては、諸説紛々。                                「彼女ができると必ず薔薇の花束を贈るんだ」とか、「赤い薔薇一本贈られて女に振られたんだ」なんて、みんな無責任に噂し合っていたけど。                                     私としては、「浅川マキの“かもめ”に出てくる、港町のあばずれに惚れた男に、自分をなぞらえてるのさ」という説に、一番シビれた。                                      

 「トミィさんって幾つ?」                                                  「さぁ、たしか30代半ばだと思うけど・・・・」                                      「ふうん、もっとうんと年上かと思ってた」                                  「・・・・・・」 

 BAR”もんきゅ”のマスター、シュンさんはとっても無口な人。                                  お客の噂話なんかする人じゃない。                                              それは“もんきゅ”に限らず、ゴールデン街のどの店でも。                               ママもマスターも、お客さんたちも、お互いの身の上話なんか、決してしなかった。

だから、誰かが急に来なくなっても・・・・・。                                           「どうしたのかしらねぇ」                                                  「死んだんじゃない」                                                         で、片付けられてしまう。

 この街はさすらい人の集まる街。                                               流れては去っていく塵芥の行方を心配してもどうにかなるもんじゃない。

でもそれは関心が無いんじゃなくて。                                       関心というなら、お互いあり過ぎるほどあって。                                      だから優しさもまた溢れるほどあって。                                            誰もそれを口に出しはしないだけ。                                              ここには、“本人が言わないことは誰も聞かない”とか、“飲んだくれの話は誰もが聞き流す”、みたいな不文律がある。                                                       だからみんな、安心して醜態をさらけ出せた。

今考えると、ゴールデン街を漂流している人たちはみんな、“言っても仕方がない何か”を、山盛り背中に背負っていたような気がする。                                             薔薇のトミィもそんなひとり。                                               そしてトミィと私との間には、今も忘れられない、ちょっとした事件があった。

今日はそのことも含めて、この街のあれこれを書いてみようと思う。

 ■十ヶ月だけの約束で・・・・・。                                              シュンさんには、ものすごく美人の奥さんが居た。                                      もと日航のスチュワーデス。                                               スタイル抜群、英語はペラペラ、お客さんへの応対も見事、ほんとに文句のつけようが無いほどの才女。                                                               この奥さんと、ロシアの小熊みたいなシュンさんが、どこでどうやって知り合って結婚したのか、もちろんみんな知らなかったし、誰も聞こうともしなかった。                                その奥さんに赤ちゃんが出来た。

 で、ある晩の事。                                                  店が終わった夜中の3時過ぎ、いつものように最後まで居残って、片付けなんかを手伝っていた私を、二人が食事に誘ってくれた。                                                 そこでシュンさんが切り出したのは・・・・・。                                        「ドガ (と呼ばれていた)、ウチのヤツが子どもを産むまでの十ヶ月だけ、店を手伝ってくれないか?」

びっくりした。                                                        だって私はまるっきりの下戸。                                                薄い薄い水割り一杯を、一晩中ちびちび舐めてるような女の子だったから。                                    お客さんにおごらせて店の売り上げに貢献する、なんて芸当はとても出来ないし。                               新聞記者やら作家やら、百戦錬磨の大人の男たちをさりげなくあしらう、奥さんのように上手な応対も、とても出来はしない。

 「いいんだ。そういうのは俺がやるから。ドガは居てくれるだけでいい。ちょっとしたおつまみを作ったり、洗い物を手伝ってくれるだけで」 

考え込んだ。                                                          その頃の私はまだ美大の大学生。                                            学校の合間を縫って、ある出版社で編集のアルバイトを始めたばかり。

駆け出しだったから、夜8時ぐらいに仕事は終わる。                                 だから毎晩のように“もんきゅ”に入り浸り、大人気分を味わっていられたんだけど。

奥さんは、そんな私を、凄く可愛がってくれていた。                                     「ドガちゃん、お願い」                                                     その奥さんに頭を下げられると、                                         「じ、十ヶ月だけなら・・・・・」

断れなかった・・・・・・というより、好奇心に負けた、というのが本音。                        夜の酒場には、世間知らずの小娘を惹きつける、摩訶不思議な魅力があったのだ。

特に、当時のゴールデン街には・・・・・。

 ■事件だらけのバラック酒場                                                 お客として遊んでいた時と比べ、働く、となったら、酒場はなかなかきつい職場だった。                              編集部の仕事というのは、与えられたノルマをきちんとこなせば、出退勤はけっこう自由で。                          〆切間際の数日を別にすれば、昼頃出て4時には姿を消しても、誰にも文句は言われなかった。

“もんきゅ”の仕事を引き受けたお陰で、私の仕事能力は飛躍的にパワーアップしていったように思う。

“もんきゅ”は7時開店。                                                      それまでには、仕込みを全部終えていなければならない。                           編集部の仕事をとっとと終えると、5時か5時半には店に駆けつける。                                      昨晩洗い残したコップやお皿を片付け、買出しに行っておつまみや突出しを作り、ざっと掃除をして、シュンさんが来るのを待つ。                                                 実家が料亭だったせいで、突き出しやおつまみ作りはお手のもの。                          最初はもたもたしていたが、慣れるに従ってだんだん楽しくなってきた。

だってこの街には毎晩、突拍子もない“サプライズ”が起きるんだから・・・・・。

 「ちょっとーっ、ウチの”コミ”、そっちに行ってるでしょっ」                                 働き始めてまもなく、突然の電話。                                           「ばー まえだ」のママからだ。                                                  「行ったら、掴まえといてっ!」                                                返事を返すヒマも無く、電話は一方的に・・・・・切れた・・・・・!                                「ばー まえだ」というのは、今も語り草になっているゴールデン街伝説の文人バー。

                           「まえだ」

 ここには五木寛之や野坂昭如、村上龍、中上健次、唐十郎、中山あい子、半村良、佐木隆三、立花隆、田中小実昌、色川武大、夏文彦といった一流作家たちが集い、それを取り巻く編集者や記者、ジャーナリストといった人たちが、夜な夜なたむろしていた。

 詩人の谷川俊太郎や、大島渚、深作欣次、高橋伴明、伊丹十三、山本晋也、大林宣彦、今村昌平、山田洋次、鈴木清順といった映画監督さんたちも、頻繁に顔を出す。

 また、田中裕子、吉行和子、渡辺えり子、高田順次、原田芳雄、松田優作、西田敏之、菅原文太、山崎努、中尾彬といった、錚々たる顔ぶれの役者さんたちが、夜の街を気ままに闊歩していた。

クリエイターでは、横尾忠則や黒田征太郎、漫画家のはら・たいら、まだ大学生だった黒鉄ヒロシ、赤塚不二夫、松本零士・・・・・。

音楽関係ではミッキー・カーチス、内田裕也、小室等、森田童子、松崎茂、野球選手では、掛布、江夏、田淵、江本、山本浩二等が集まる店もそこここに散在していた。

 そして・・・・・「ばー まえだ」のママが怒りも露わに探していたのは、直木賞作家の田中小実昌、通称コミさん。                                                                    まえだのママとコミさんがどういう関係にあったのか、そのときの私は知らなかったけれど、いつもクールなシュンさんが慌てだした。                                                   「かかっ、片付けてっ、そこらにある、投げやすいもの、ゼンブッ!」                             言われるまま、そこらに出ていたものを片っ端から片付けていったが。                                      時すでに遅し、で・・・・・。                                               何も知らないコミさんが、まーるい顔にトレードマークの毛糸の帽子を被り、すっかり酔っ払って、ニコニコ姿を現したのとほとんど同時に、ダダダダダッと急階段を駆け上ってくる足音がして・・・・・・バンッと“もんきゅ”の扉が開いた!                                                       「コミーッ!」                                                             「うわァッ」                                                              ママはいきなり、コミさんに向かって投げつけた!                                     うっかり片付け忘れた、ブ厚くて大きなクリスタルの灰皿を!                              「ひゃぁぁぁぁぁっ!」                                                  灰皿は当たらず、壁に当たって砕け散ったけれど、ママはそのまま、コミさんに武者ぶりついて、叩くわ、蹴飛ばすわ、引っ掻くわ!                                                   私は生まれてこの方、中年をはるかに過ぎた男と女の、あんなにもの凄い痴話?ゲンカ、というのは見たことがない!                                                        周りの客はもちろん総立ち!ママを羽交い絞めにする人、手や足を押さえる人、コミさんを何とか逃がそうとする人・・・。                                                    客が10人も入れば立ち飲みするしかない、という、猫の額より狭い店の中は、それこそ上を下への大騒動になった。                                                     でも小柄なコミさんは、うまく隙をつき、修羅場からスッ飛んで逃げ出した。                                         ダダダダダダーッ!                                                         よくあの急階段から転げ落ちなかったと、今でも思うくらいの素早さだった。                                      「はーっ、はっはっ離せーっ!」                                           それを見届けた客が、バタバタ暴れるママを羽交い絞めにしていた手を離す。                                   間髪を入れず、バタンッ、ダダダダダーッ!                                   ママの素早さもコミさん以上だった。                                        さすがバラック酒場の主、と感心するヒマもない、その間、わずか数分の出来事。                                  そして店内は、まるで何事も無かったかのように、元に戻って。                       「マスター、ジン・ロックお替り」                                          「オレ、ビール」

「だだだ、大丈夫なんですか、あのまま放っといて!」                                          焦っているのは私ひとり。                                                      「いい、いい、いつものことだから」                                                   シュンさんも、お客さんたちも、誰も何にも気にしていない。                                       そして、ホントにいつものことだったのだ、こんなことは・・・・・。

 垂直に近い急階段から、酔っ払って転げ落ちる人なんてしょっ中だったし。                                          あるときなんか、真夜中に、ズダダダダーッともの凄い音がして。                                閉店間近で客も帰り、ぼんやり留守番をしていた私は、何事かと階段を覗きに行こうとしたら。                             いきなりドアが開いて、顔中血塗れの男がぬうっと入ってきた!                                  ぎゃっ、と叫んで後ずさった私なんかに目もくれず、その男の人はカウンターのスツールに平然と腰を下ろし、「水割り・・・・」                                                                壁際にヘバりつく私。                                                            「あっあっあのぉ、かか顔が、血だらけ、ですよ・・・・」                                          「ん、途中で落ちた」                                                             「そそそそそれにもう、へ、閉店なんですけどっ」                                           「あぁ、そう・・・・・」そのまま、ふらふらと立ち上がり、外へ出て行ってしまった。                                        帰ってきたシュンさんに、青くなって報告すると、                                           「顔とか頭とか、かなり出血するから。それに酔っ払いは痛くないから、ほっとけ」                                        「でででも・・・・・」                                                                 「歩けるぐらいなら、たいしたこたぁない。ほっとけ」                                        「・・・・・・・!!!」                                                               近所でも事件は多発。                                                           ゲイバーのホステス(?)さんが、お客を取り合って、路上で取っ組み合いの大喧嘩、なんて、珍しくも無かったし。                                                                   180㌢をゆうに越すゲイバーのママさんが、日本髪の鬘をつけて、芸者姿のまま、薄暗い路地で立ちション・・・・なんていうのも見慣れてしまった。                                                                                            ヘンなクセのある客が来たこともあって。

最初は大人しく飲んでいるから、愛想よくしていると。                                       すっかり酔っ払っていいご機嫌になり、大きな声で歌を歌いながらトイレに入ったまま、なかなか出てこない。                                                                        ゼンゼン、出てこない。                                                         まるきり、出てこないーっ!                                                         「シュンさんっ・・・・」                                                             「ほっとけ」                                                                    それでも放っておけず、トイレのドアを叩いて。                                                   「お客さん・・・・・お客さんっ、大丈夫ですかっ」                                                  「だーいじょーぶーっ、あーっはっはっは」                                                   「・・・・・・・・・!」                                                                  そのまま30分・・・・・うそだろーっ!                                                        やっと出てきた、と思ったらっ!                                                               靴と靴下以外、全部脱いで、真っ裸!                                                         そのまま外へ出て行こうとするのを、だーれも止めようとしない!                                         「シッ、シッ、シュンさんっ」                                                           「ほっとけ」                                                                    お客はやんやの拍手喝采、大笑い・・・・・。                                                 慌ててトイレを覗いたら、脱いだ服がきれいに畳まれて置いてあった!                                         その人は結局そのまま帰ってこなくて。                                                      タクシーで帰ったのか、それとも警察に取ッ捕まってしまったのか。                                       翌日も、翌々日も、脱いだ服を取りにはこなかったし・・・・。                                           「恥ずかしいから取りに来ないのかなぁ」                                                           「なに、店を覚えてないのさ」                                                                      なるほど・・・・・。                                                               一応服とか財布とか、全部警察に届けたんだけど、あの結末がどうなったのか、今でも知りたい。

ちょっと飲みにきて、何時間か居て、そのまま帰っていたころとは違って、開店から閉店までカウンターの中に居ると、出入りする酔っ払いたちの、信じられないような光景を、目にすることになる。                   笑い上戸や泣き上戸、怒り上戸などは序の口で。                                                   ぼやき上戸や愚痴上戸、ウンチク上戸に相手かまわずのカラミ上戸・・・・。                                    酔うほどに女言葉に変ってしまう某放送局のディレクター。                                           「おシッコーッ」と立ち上がり、その場でチャックを下ろす役者!                                     カウンターの中に入り込んで、勝手にバーテンダーを勤めてくれる、某企業の重役サン。                                   いきなりストリップティーズを始める有名女優。                                                 年中女にフラれて泣いている、美男俳優・・・・・。                                                        ハシゴ酒とはどういうものかを思い知ったのも、ここでだった。                                            「おーっ、ドガちゃん、久しぶりーっ」                                                       (ふん、夕べも来たくせに・・・・)「いらっしゃーい」                                                     「ジン・ロックねっ、氷少なめでっ」                                                         (どーせ飲まないんだろっ)「はーい、どうぞー」                                                    「あーっ、シュンさーん、どうなのー最近、舞台の方はーっ」                                       「・・・・・・・・・・・・・」                                                                 「ドーガーちゃんっ、カレシできたっ?」                                                      (バカのひとつ覚えみたいに、夕べも聞いただろーがっ)「まーだーですぅ」                                          「そうかー、オレでどう?オレオレ」                                                        (だーれが、このヘッポコ記者めっ!)「ホントー、うれしいですぅ」                                             「あっ、いけねっ、オレ行くわ。ロックこのまま置いといてっ、すぐ帰ってくるからさっ」                                 (帰ってくるわきゃねーだろ、毎晩、毎晩、同じこと言いやがってっ。ラップして取っとくぞっ、明日のためにっ)                                                                                滞店時間は約10分。                                                                        コイツはこうやって一晩に数十軒の店を渡り歩く。                                                何が楽しいんだろ                                                                  。ま、コミさんも、トミィも、多かれ少なかれ、この街に来る人たちはみんなそう。                                    たった一度でも顔を見せた店には、律儀に全部顔を出して歩く。                                            ひと晩かけて、毎晩、毎晩。                                                                                                                                         まるで、親兄弟や親戚中に、挨拶回りしているみたいに。                                          だから、ひとつの場所に10分、なんてことになる。                                                 義理堅いのか、アホなのか。                                                          飲みたいのか、淋しいのか・・・・・。                                                         大人たちの、こんな酔っ払いぶりを毎晩見ていると、この世にまともな男や女はいないんじゃないか、と思えてくる。                                                                         それでも慣れとは恐ろしいもので。                                                              たいていの事には驚かなくなり、 “もんきゅ”の仕事にもすっかり慣れたころ。                                     私の身の上に、ちょっとした変化が起きた。

 ■家出と・・・・・薔薇のトミィ                                                               別に隠していたわけではないけれど、朝出かけると明け方まで帰ってこない、という私の生活に、両親が不信感を持った。                                                              当然といえば当然なんだけど、別に後ろめたいことなんかなかったし、放っておいたのがいけなかった。

 私の家は赤坂の料亭で、アルバイトに飲み屋の仕事をしている、そのことについては、さほどの驚きは無かったようだ。                                                                         しかし、場所がいけなかった。                                                                  もと青線と呼ばれた売春地帯のゴールデン街。                                                    聞いたとたん、父親の顔色が変った。                                                           いくら、今はもう違うんだと説明しても、聞き入れようとはしない。                                            シュンさんの奥さんの妊娠中だけだと言っても、十ヶ月だけのお手伝いだと言っても、まるで聞く耳なんか持たない。                                                                         毎日のようにもめているうち、私はとうとう我慢が切れて、家を飛び出してしまった。

“もんきゅ”で知り合った女友達が渡米すると知り、その住居をそのまま借り受けることになったが、これがシュンさんの住処の隣り部屋。                                                                      一軒家の各部屋に、さまざまな人たちが住む、ヘンな住み方だったけれど、背に腹は変えられない。    身の回りのものを少しづつ運び出す形で、私は代々木・参宮橋で、生まれて初めての四畳半、ひとり暮らしを始めることになった。                                                              そして、あの夜が・・・・というほどのことではなかったけれど。                                        世間知らずの私の目がいっぺんに開く、こんなことが起きた。

 酔っ払いだらけの“もんきゅ”の客の中でも、薔薇のトミィの酔っ払いぶりは、相当なものだった。                              カラんだり、ハダカになったり、なんていう妙な酒癖は無かったが、お酒の飲み方が半端じゃない。                               ビール、ウィスキー、日本酒、焼酎、ラムやらジンやらブランデー、テキーラからウォッカに至るまで、とにかくお酒なら何でもいい、という飲み方。                                                    “もんきゅ”には不定期にちょこっと姿を現すが、そのあとは、顔見知りの店に万遍なく顔を出しては飲み歩く。                                                                                                例のごとく、典型的なハシゴ酒。                                                                             それもほとんど毎日、明け方近くまであちらこちらの店を飲み歩いたあと、たまに最後に“もんきゅ”に帰ってくるのだが。                                                                            そのときはもう、たいてい、ぐでんぐでん。                                                              仕方が無いのでタクシー乗り場まで、私が肩を貸して連れて行く、というのが習慣のようになっていた。                          そしてある日、珍しく夕方、素面で姿を現したトミィは、滅多に着ないスーツ姿。                                        「明日は大事な取材があるんだ。今日はそんなに飲めないわ」                                  と、ビールを一杯飲んで、店を出て行ったのはいいのだが。                                             そこから結局またあちらこちらとハシゴして飲み歩いたらしく、夜中の3時過ぎ、再び店に現れたときは、ほとんど意識を失いかけていた。                                                              「どうすんだろ、こんなになっちゃって」                                                          「そっちの隅にでも寝かせとけ。いくらか酔いも醒めるだろ」                                         しかし、すっかり後片付けを終えても、トミィは目を覚まさない。                                          このままでは店を閉められないし・・・・・。                                                           「困ったな・・・・」                                                                     シュンさんは、口癖の”ほっとけ”を言わなかった。                                                                  「仕方ないから、ウチに連れて行く」                                                         「まあ、ドガがいいと言うんなら・・・・・」                                                      「その代わり、今夜は私をシュンさんの部屋に泊めてね」                                              「ああ」                                                                        シュンさんと二人で、正体を失ったトミィを担ぎあげ、タクシーで参宮橋の部屋に向かう。                                      トミィが小柄で、ホントによかった。                                                           とりあえずシュンさんの部屋に着いて・・・・・。                                                   「シュンさん、寝かせる準備するから、ちょっと待ってて」                                                   私の耳には、酔っ払う前に言っていたトミィの言葉が、引っかかっていた。                                           「明日は政治家に会うからな。一応きちんとしなきゃな・・・・」                                            他意はなかった。                                                                            ただ、その言葉が気になっていただけなのだ。                                                    私も一応編集部の端くれで、取材経験だってあったから。                                               私はシュンさんにトミィのスーツを脱がしてもらい、それを持って部屋に入った。                                       まずズボンを丁寧に伸ばし、布団の下に敷きこんで寝押しをし、そこにトミィを寝かせた。                                      それから、シュンさんの奥さんにアイロンを借り、よれよれになった上着のシワをできるだけ丁寧に取り、ハンガーに掛け、まくら元に水を入れた小さなヤカンとコップを載せたお盆を置いた。                           これだけ、だったのだが。                                                                              翌日、目覚ましをかけておいたためか、部屋はもぬけのカラ。                                               やれやれ遅刻はしなかったらしい、と胸を撫で下ろし、私も編集部へ。                                      そしてその夜・・・・・。

 いつものように店を開け、お客が立て込んできた8時ごろ、突然トミィが現れた。                                 真っ赤な薔薇を、両手一杯に抱きかかえて・・・・・・!                                                   昨晩のお礼?                                                                          いや、そうじゃなかった。

それから毎晩、真っ赤な薔薇の花束を抱えたトミィが!                                                    「シュンさん、どうしよう!」                                                                  「ほっとけ」                                                                          トミィは、別に何を言うわけでもなかった。                                                       毎晩、赤い薔薇の花束を持って現れ、カウンターの上にポイッと置くと、いつものように飲んだくれるだけ。                                                                                 でもあの日から、トミィが飲み始める最初の一軒目が”もんきゅ”になり、最後は必ず”もんきゅ”に帰ってくるようになっていた。                                                                     15歳以上も年上(多分・・・・)の男の人から、赤い薔薇の花束を、毎晩のように贈られるなんて、生まれて初めての経験だった。                                                                嬉しいよりも、とまどいと怖さが先に立った。

 “もんきゅ”の狭い店内はたちまち薔薇だらけになり、花瓶はもういっぱい。                                         トイレにも、洗面所にも、薔薇の香りがむせ返った。                                                 「シュンさん、ってば・・・・」                                                                   「ドライフラワーにしとけ」                                                                      「でも・・・・」                                                                       「気持ちに応えてやる気はないんだろ。だったら、ほっとけ」                                                 シュンさんは、怒ってなんかいなかった。                                                               ただ、なんとなく寂しそうで、少し哀しそうに見えた・・・・。

 トミィの薔薇がいつまで続いたのか、はるか昔のことで、もう記憶は定かではない。                                  ただずっと後になって、いつも来る常連さんから、こんな話を聞いたような気がする。                                     「トミィ、本気だったらしいぜ。あんな女が居たんだなぁって、えらく感激してたし。でもなぁ、15も年上だし、いろいろ事情も抱えてたらしいから、結局、何も言えなかったんだろうな」                                     いろいろな事情・・・・・・。                                                             その事情の意味を知ったのは、それから30年以上もたってから。

あるとき、何気なく買った文芸誌をパラパラめくっていると、目次に「薔薇のトミィ」というタイトルが!                       まさか・・・・とページをめくったら、作家の中山あい子さんがこんなことを書いておられた。

 「新宿ゴールデン街に、薔薇のトミィと呼ばれた男が居た。                          トミィには、トミィを育てるために長い間苦労した病弱な母親が居て、その母親のために、彼は結局生涯、結婚というものをしなかった。                                          トミィは、病気で長い間寝たきりになった母親の面倒を見続け、その母親を養っていくため、全力あげて仕事をした。 ○○の取材記者として、体を張った突撃取材をし、書いて、書いて、書きまくり、必死で稼いでいたが、それでも足りないとぼやいていた。                                 本当は作家になりたかったんだと、一度だけ聞いたことがある。でも無理だよな、と笑っていた。トミィは自分のことは誰にも言わなかった。知っていたのは、本当に親しい、わずかな友達だけ。         トミィは何十年も母親のそばに付き添い、黙って懸命に世話をした。                     母を見送った後は、本当に溺れるほど飲んで、飲んで、飲みまくり、結局最後に体を壊し、病院で一人、死んでいった。まだ50代だったのに・・・・・」

今回、トミィのことを書こうと、取っておいたはずのその文芸誌を、懸命に探した。                                        しかし、どこにも見あたらず、だからここに書いた中山あい子さんの記事の内容は、おぼろな記憶の欠片である。                                                                          わずかな記憶の中の、確かな部分だけを書いたつもりではあるが、トミィは、実際にはもっと多くの、もっと大変な事情を抱えていたようだ。                                                       中山さんはそのことを、心込めて肌理細やかに書いていらしたように思う。                                       トミィの、長年の飲み仲間だった中山さんの、暖かな悲しみ。                                            誰にも、何も言わなかったトミィの、胸の奥の痛み。                                                 それを、彼が死んだ同じ年代になって初めて知って、胸が潰れ、涙がこぼれた。                                 いつかあの雑誌を見つけて、ここに書いた内容を、もっと丁寧に、きちんと加筆訂正したいと思っているのだが、今はこのまま、そっとしておくしかない。

人生には、ほんとうにいろんなことがある。かなう夢、かなわぬ夢。                                         乗り越えられることや、乗り越えられぬこと。                                                        すれ違う人の想いや、若さゆえの傲慢と過ち。                                                   ゴールデン街は、同じ場所にまだあるが、既に「まえだ」は無く、”もんきゅ”の看板も無くなってしまった。

あのころの私も、シュンさんも、薔薇のトミィも、もういない。                                                          だから私はここで、昔ある酔っ払いに貰った沢山の赤い薔薇の花束の話を、ちょっと書いててみたかっただけなのだ。

最後に、トミィが好きだったもうひとつの歌を見つけたので、あのときの赤い薔薇のお礼に、心をこめて彼に贈りたい。                                                                        言えなかった”別れの言葉”の替りに。                                                                      長谷川きよし、という盲目の歌手の歌う、『別れのサンバ』を。

http://jp.youtube.com/watch?v=wSFrDiURf0M (Y―TUBUより )                                『別れのサンバ』  長谷川きよし 作詞/作曲                                                        何にも 思わず涙も 流さず                                                             あなたの 残したグラスを みつめて一人                                                         みんなわかっていたはずなのに                                                            心の奥の淋しさを ああ                                                                わかって あげれば                                                                       別れも 知らずにすんだの                                                              きっと私を強く抱く時も                                                                  あなたは一人 淋しかったのね                                                            あなたの 愛した                                                                       この髪さえ 今は泣いてる                                                            今は泣いてる                                                                     今は泣いてる

 ※長谷川きよしさんは今も現役。以下に彼の公式サイトをご紹介しておきます。 http://www.kiyoshi-hasegawa.net/

 


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『エロスの酒場』―物書きの独り言15 [エッセイ]

          『エロスの酒場』

この話は、mixiブログで展開している「物書きの独り言」と称するシリーズ読み物の中のエッセイ5連作の第三話です。1967年辺りから1970年代前半にかけ、20歳になったばかりの一美大生であった私が、文化人たちがたむろすることで有名だった新宿ゴールデン街片隅にあったバラック酒場「もんきゅ」でアルバイトをしていたころ見聞きした、さまざまな人々のさまざまな人生模様。第三話では、生まれて初めて、大人の禁断の性愛の世界に触れて、びっくり仰天した私の話。でもそうした世界に触れたことで、エロティックな世界にも、三大哲学のひとつ「美学」というものがあることを知り、文学の世界に足を踏み入れるきっかけにもなったのでしょう。三島由紀夫の自決事件は、本当に衝撃でした。お読みになったあなたの感想を聞かせていただけると幸いです。

                
              新宿ゴールデン街

新宿ゴールデン街の酒場は、どれも2階・3階建て。
火をつけたら、一瞬のうちに燃え尽きてしまいそうな、“バラック酒場”。
そういう表現がぴったりの、安普請のマッチ箱みたいな店が、今もズラリと並んでいる。
そういえば、今どき珍しい三階建ての酒場など、昔の“青線”の名残が色濃く残っていて。
店が立て込んでくると上げられる3階部屋など、まことに怪しげな雰囲気なのである。
まず、天井が低すぎて、常に腰を曲げていないと頭がぶつかる。
つぎに、窓がない。
冬は暖かくていいけど、夏は地獄だったんじゃないの、ねぇママ。

「昔はさ、1階、2階でちょいと飲んで、それから3階に上がって、座布団引いて、チョンの間、遊ぶんだからね、そこは横になれればいいんだよ。窓なんかあったら、女の子が逃げちまうよ」

そんな歴史を持つ街にあるBar “可愛いお尻”・・・・・。
“もんきゅ”で私が、一年あまりアルバイトをしていたときのお話第3夜。
そして今回は、この店で手に入れた、お金では買えない宝物の話も少々・・・・・。

     
■パリの女郎屋とSMの話

3坪あるかなしかのちっぽけなこの酒場には、店主シュンさんの悪趣味がそこここに紛々と臭って、パリの裏町の女郎宿のような雰囲気が漂っていた。
まずゴールデン街名物の垂直に近い階段を、手すりに掴まりながら昇り切り、ドアを押し開ける・・・・・。

と、眼と鼻の先の正面の壁に、男性用の便器がデン。
便器には、怪しげな店につき物の枯れた薔薇の花束
上からは小さなスポットライト。
その光の中に、向こう向きにひざまづき、お尻を高く持ち上げてこちらにグイと突き出している、女性の下半身が・・・・。
つまり壁の中に上半身を埋め込まれた金色の“もんきゅ”が、スポットライトの光の中であなたをお出迎え、という趣向。
初めは真っ赤なハイヒールを履かせていたそうだが、あまりにしょっ中盗まれるので、終に裸足になった、という曰くつきのシロモノ。
この壁に沿って洗面所があり奥が本物のトイレ、とここまでは、さほど珍しくも無いありきたりの店舗演出、なのだが。
凄いのは実は入り口入って左手のカウンター
太くて重い鉄の脚の付いた、赤いビニールのスツールが7つ並ぶ、このガラス敷きのカウンターには・・・・・!

「(げっ)・・・・・・・・・!!!」

「気にするな」
気にするって!だってそのガラスの下には・・・・・。
「ここ、これ、ワイセツブツチンレツザイに引っかかるんじゃ・・・・・」
「未成年なんかこないから」
「た、確かに・・・・」
「警官も来ないから」
「そ、そうかなぁ」
「気にするな」
いわゆるSM写真・・・・それも全く修正なしのハードなヤツが、カウンターの端から端までズラリと貼り込んである。
ただし、その全てが「明治・大正・昭和初期」のモノクロ写真。
「いいだろ」
「い、いい・・・・って」
感想なんか言えませんとも。
このヒトとあのヒトのカラミ具合がいい、なんてっ!
「色っぽいだろ」
「え、まぁ・・・・・・」
「芸術だろ」
(えーっ)
私は生まれて初めて、超ハードな「SMポルノ写真」というものを見た。
この初体験が余りにも強烈だったので、ショックを受けた頭の中の水分が、喉が渇いたときみたいにすっかり干上がり、キシキシ鳴っていた。
(こっちの足とあっちの足が、そっちに行ってて、手がこうで・・・・足がああで・・・ん、何でこんなとこと、あんなとこに、そんなものが?????)
拒否反応、なんてものは無かったが、あまりに魂消て混乱したことは間違いない。
つまり私は“そういう世界”に、ろくな予備知識も、免疫もないまま、リアルな実感から入ってしまったのだ。
そんな私の反応をじっと見ていたシュンさんがひと言言った。
「ドガは調教次第だな」」
えーっ、それってどういう意味ですかっ!
「ノーマルだからな。資質は半分づつ持ってるってこと」
半分って・・・・?!
「ちょっとしたきっかけで、50㌫は70㌫になる」
うそっ! 70㌫ってすっごい数字のような気がする・・・・!!!
「まあ、もう少し刺激してみるか」
ぎゃっ、やめてーっ!
ま・・・・軽くカラカわれた、ってことですか。

しかし、シュンさんの趣味の世界は、こんなものではなかった。


■責め絵に緊縛、シュールレアリズム!

                              伊藤晴雨/画

「これ、知ってるか」
「げ、何これ!」
妊娠中の女の人が、腰巻一枚で梁に吊るされ、ザンバラ髪で悶え苦しんでいる浮世絵!
もちろん1枚や10枚じゃない。
「明治の浮世絵画家、伊藤晴雨」
「・・・・・・・!」
「責絵だよ」
「せ、セメ絵・・・・ふっ、ふっ、ふーん・・・・」
「モデルはお葉さん。知ってるだろ、美大生なら」
「はァ????」
「ずっとあとで、竹久夢二の恋人になった」
「えーっ、夢二のあの“黒船”のモデルのお葉さんが、セセ、セメ絵のモデルッ!」
黒猫を抱いた、睫毛の長い、楚々とした美人のお葉さんが、腰巻ひとつで縛られている・・・・!
「お葉さんが晴雨と結婚したのは12歳ぐらいだったそうだ」
「12歳・・・・!」
また頭の中が、ヒートして、ショートした!

シュンさんは、いちいち魂消る私をからかうのが面白いらしく、客が途切れると、ヒマ潰しに次々といろんなものを見せ、聞かせ、ついでにレクチャーもしてくれる。
別に頼んでなんかないのにさ・・・・・。

基本、無口な人だから、言葉数は決して多くないし、唐突だし、ブッキラボーだったし、シュンさんの趣味の世界に、一方的に偏ってはいたけれど。
インターネットなど無い時代、普通の大学生の変り映えしない日常生活では、到底お目にかかることも、触れることも出来ない、男と女の金襴緞子の世界が目の前に広がってゆく。

「これ」
差し出された写真集は・・・・・・ぎくっ!
「団鬼六」  


「※※※※!※!×!※!×?※?×?××××」
「緊縛作家」
つい最近、杉本彩の主演で評判になった『花と蛇』の原作者である。
そんなもの、あることも知らなかった女子大生の目の前に、さあこれでもか、とあらゆる縛られ方のあられもない姿で悶えている、裸の女性たちの写真!
もちろん無修正!
「ボ、ボボ、ボンレス・ハムだね!」
一応、平気なフリ・・・・・。
「そこがいい」
「痛そう・・・・」
「それがいい」
「シュンさんは、エロジジイだっ・・・・」
「エロティシズムと言い直せ」
(似たようなもんじゃんっ・・・・・怒!)

シュンさんには妙な下心なんか全く無い。
どんなに際どいものを見せても、際どいことを言っても、サラリとしていて透明で、照れることも、恥じることも無く、堂々としている。
だからこっちも同じように、照れることなく聞いたり、見たり出来るのだが。
でもその内容たるや、R18指定どころの騒ぎじゃない。
男と女の間の、それこそ引っ繰り返りそうな話を、微に入り、細に穿ってされるのだけれど、どんな話も、まるで大学の講義を受けているみたいだった。
(それでも、その内容は、とてもここでは話せない・・・・・すみません。)

せいぜい、こんなもんでお許しを・・・・。
「シュンさんも・・・・・こんなのやるの?」
「やる」
「へっ!」
(あの綺麗な奥さんと?????)
シュンさんはカンが鋭い。
「女房とはやらない」
「あ、はぃ・・・・・(頭の中が見えたのかぃっ)」
(じゃあどこで、誰と“ヤル”んだろう?)
「気にするな」
「うわっ、はぃ・・・・・」
(恐っ!)
純真な女子大生の頭の中には、とてつもない妄想が広がっていったとさ。
当然だけど。

ただし、シュンさんの名誉のために言っておかなくてはいけない。
彼の話は決して、こういう卑猥なものばかりではなかったことを。
「シュール・レアリズム、知ってるか」
「ジャン・コクトーとか、キリコの絵とか、ルネマグリットやダリの絵とか?」
曲がりなりにも現役美大生。
いつも負けっぱなしではない。あらん限りの知識で食い付いていく。
「フン。阿部公房読んだか」
「“砂の女”とか“箱男”は読んだ」
「フフン、漫画は?」
「漫画、好きじゃない」
「つげ義春の“ねじ式”を読め。シュールだ」

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%A4%E3%81%92%E7%BE%A9%E6%98%A5#.E3.80.8E.E3.81.AD.E3.81.98.E5.BC.8F.E3.80.8F.E4.BB.A5.E9.99.8D.EF.BC.881970.EF.BD.9E.E7.8F.BE.E5.9C.A8.EF.BC.89

いま私の本棚には、“ねじ式”を始め、つげ義春作品のいくつかが並んでいる。
そして、こんな話をするのは、シュンさんばかりではなかったのだ。

“もんきゅ”の常連さんたちには、映画評論家や哲学者、大学教授、作家、文芸評論家、新聞記者、劇作家、役者、画家といった多彩な顔ぶれが揃っている。
そういう人たちの話題は、広くて、深い。
お酒が入り、興が乗ってくると、それぞれの得意分野を土台にした、それこそあらゆるジャンルの話が飛び出してくる。


■知の横綱たちとの一夜

あるとき、東北大の心理学の教授と、映画評論家の佐藤重臣さんと、作家の澁澤龍彦さんが、性愛に関する男女の異常性心理について激論を戦わせたことがあった。
無論、お三人にとっては、お酒を飲んだ上での、ただの雑談だっただろうけれど。
ただの雑談の中身が・・・・・凄い!
その知識の広さ、深さ。
分析の確かさ。
比喩の巧みさ、
論理の見事さ。
いくらへっぽこ女子大生でも、これがどれほどのレベルの話なのか、わからないはずがない。
これほど凄いメンバーの、こんなに凄い討論会は、後にも先にもこれ一回きりだったけれど、私はこの夜、この一流討論会の場に朝方まで居られたことを、一生の宝物として、胸の奥に大切に仕舞い込んである。

横綱は、ぐでんぐでんに酔っ払っても横綱である。
素人が束になってかかっても勝てるものではないし、横綱の相手は、横綱でないと務まらない。
あの夜の土俵には、全員『知の横綱』が登場したのだ。
一人でも大関や関脇クラスの人間が混じっていたら、ああした展開にはならなかったと思う。
私は、この世には本当に、横綱という人たちがいるのだということを、骨身に沁みて思い知らされた。
ただ聞いているだけだったのに、たった一晩だけだったのに、私の目から、何百枚もの鱗が落ちた。
それは、一流の仕事をしている、一流の大人たちの頭の中身が、どれほど凄いものかということを思い知った、本当に得がたい体験の一夜だった。

            澁澤龍彦


私は、ゴールデン街の中の、小さな酒場の片隅で、仏文学者であり小説家であり美術評論家であった澁澤龍彦を知り、
日本のシュールレアリズムの先駆者、詩人であり美術評論家だった滝口修造を知り、
日本の民俗学・国文学の研究者であると同時に”釈沼空”という名前の詩人でもあった折口信夫を知り、
『黒い雨』を書いた脚本家の石堂淑郎とその舞台を、
死とエロスをテーマにした作家で評論家でもあったジョルジュ・バタイユや、天才詩人アルチュール・ランボーや、『肉体の悪魔』を書いて20歳で夭折したレイモン・ラディゲを、
             アルチュール・ランボー

            レイモン・ラディゲ

そして凄まじい性愛小説『悪徳の栄え』を書いたために、ナポレオンに精神病院に閉じ込められて死んだフランスの作家で侯爵でもあったマルキ・ド・サドや、
心理学者フロイト、詩人アポリネール、ジャン・ジュネ、といった、普通の人とはちょっと違う世界に住む、芸術家たちの存在を知り、
後日、彼らの著作のほとんどを読むことになった。

          マルキ・ド・サド侯爵

でも何より一番大きい収穫は、論理学、倫理学と並ぶ哲学の三大部門のひとつである、美や芸術、あるいは趣味の世界を追求する「美学」を認識させられ、なおかつそれが実際どういうものであるかを、それを生業にしている人々から直接レクチャーを受けるような形で、しっかり学べたことだった。

門前の小僧で、多少習わぬ経が読めるようになった私は、こうした知識が増えるにつれ、シュンさんの話す男と女の間の特殊な出来事のあれこれが、次第にエロとは全く関係の無い、真面目な話に聞こえるようになっていた。

「男と女の間には正上位しかないわけじゃない」
「ふう・・・・ん・・・・」
「世間の常識以外はみんな異常、なんて考えの方が、よっぽど異常」
「う・・・・・・・・・・・・」
「ま、そのうちわかるさ」
シュンさんはいつも、こんな風に抽象的なものの言い方をしたが。
周囲の大人たちのお陰で、彼が語っているのは“性愛の美学”、『エロティシズム』という哲学らしい、というぐらいには、受け止められるようになっていた。
もちろん20代前半の私では、性愛の本質などはまだ判りようも無く、精一杯に背伸びした、小賢しい自己解釈に過ぎなかったのだろうけれど。

■三島由紀夫と浪漫劇場

“浪漫劇場”は、1968年、三島由紀夫によって創立され、新宿・紀伊国屋ホールでの公演を主として、1972年の解散まで7回の公演を行っている。
前の章で書いた通り、シュンさんは、この“浪漫劇場”の劇団員だった。

だから、というわけではないけれど、シュンさんの口から聞く三島のあれこれや、常連さんたちの口の端に昇るその噂話などで、三島由紀夫という作家は、私にとって本屋の本棚で見かける、どこか遠い存在の人ではなくなっていた。
リアルで人間の匂いのする、少し身近な芸術家、という感覚があった。

私が“もんきゅ”に入り浸っていた、1967年から1972年ごろにかけての三島由紀夫の活動を見てみると・・・・・。

三島由紀夫は1965年から、遺作となった「豊饒の海」の執筆に取り掛かった。
そして5年の歳月をかけ、1970年11月25日、最終章『天人五衰』を脱稿。
直後の午前11時頃、三島は主宰する「盾の会」隊員四名と共に市谷陸上自衛隊東部方面総監部に乗り込み、檄を飛ばしたが結果を得ず、隊員森田必勝の介錯を受け、自決した。
事件の内容が内容だけに、関連する資料は多いが、某資料によると、短刀を臍下4㌢のところに突き立てた三島の介錯をする筈だった森田は、次に自分が切腹する予定だったため動揺したのか、三度刀を振り下ろし、三度とも失敗。終には剣道の心得のある古賀浩靖に介錯を代わってもらうことで、やっとその目的を果たしたと言う。

            自決当日の三島由紀夫

この翌年、三島演出による『サロメ』が、“浪漫劇場”の第七回追悼公演として、新宿紀伊国屋ホールで上演された。

この演劇は、三島がサロメ役の女優・森秋子に、劇中全裸になることを要求し、日本の演劇史上でも、主役女優が、舞台で初めて全裸になったということで知られている。
私は、シュンさんに頼み込んで、舞台稽古と、舞台裏を見せてもらいに行った。
そのとき・・・・・。

舞台稽古が始まり、薄暗い舞台裏に居た私の周りで、ふっと人通りが途絶えた。
舞台袖への通路がわからず、うろうろ探していると、大きな木製の装置の上に、銀色のお盆に乗った“何か”がこっちを見ている。
何だろう、と目を凝らしたら・・・・それは人間の生首!
血にまみれた怨めしそうな顔で、こちらをじっと見詰めていた!

さすがに声は挙げなかったものの、暗い舞台裏でそこだけが、ぽっ、と明るんでいたことで、背筋が凍りついた。

資料によると三島は、前年の自決前から、翌年自身の追悼公演になるであろう第七回公演の演目に、この『サロメ』を熱望していたと書かれている。
銀のお盆の上に、自分の愛を受け入れなかった恋人ヨカナーンの、血の滴る首を乗せ、七つのベールを次々に脱ぎ捨てながら踊り狂うサロメ・・・・・。

自決直後、ある写真週刊誌に載った、三島の遺体写真を見たとき、胴体と切り離されて、床の上に置かれた三島の首が、サロメの舞台裏で見たヨカナーンの首に重なって、背中に悪寒が走ったのを、今でも生々しく思い出す。
完璧主義の三島が、自身の人生の終演に仕組んだ演出だとしたら、その執念の凄まじさに鳥肌だつ思いがする。


“もんきゅ”のカウンターの中に入り、水割りを作り、おつまみを作って、せっせと大人の方たちの応対をしたのは、正味一年とちょっと。
あとはまた気楽な常連客のポジションに戻ったのだが。
私の20代前半は、夜の新宿ゴールデン街抜きには思い出せない。
だからもう少し、この話を続けてみようと思う。
次は、素敵なゲイのおネエさまたちとのエピソードなど、語ってみようかな(笑)


では、恒例の唄のプレゼント。
今回はY―TUBUでは見つからなかったので、BGMと歌詞のセットでご紹介します。

歌をご存知の方は歌詞を参照しながら歌ってみてください。
唄そのものを知らない方は、あきらめるか、周辺50代以上の方に聞けば何とかなるかも・・・・(笑)

そうそう、ちょっと作詞者の名前にご注目を。
1967年、『火垂るの墓』『アメリカひじき』で直木賞を受賞した作家・野坂昭如氏が作詞を担当し、三島由紀夫自決の翌年大ヒットした「黒の舟唄」です。

1972年、大学紛争はやや下火になりかけてはいたが、セクト間で学生同士が殺しあう内ゲバが続き、2月には連合赤軍が「浅間山荘事件」を引き起こし、5月には日本赤軍がイラクのテルアビブで銃乱射事件を起こして24人の死者を出した。

米大統領ニクソンの陰謀・ウォーターゲート事件が起き、ハイセイコーが大井競馬場でデビュー、カシオが世界初の電卓を発売し、アメリカはやっとベトナムから地上勢力を撤退させた。

田中角栄の手で日中国交が正常化に向かい、上野動物園にパンダのランランとカンカンがやってきて、事件を起こしたニクソン大統領が再選を果たし、横浜に市営地下鉄が開通した。
いまから、たった35年ほど前の出来事・・・・・。


ではこの年のヒット曲、「黒の舟唄」をどうぞ。
http://www.fukuchan.ac/music/j-folk2/kuronofunauta.html
『黒の舟唄』1972年(長谷川きよし)
作詞:野坂昭如  作曲:桜井順:

男と女の 間には
深くて暗い 川がある
誰も渡れぬ 川なれど
エンヤコラ 今夜も 舟を出す
Row and Row
Row and Row
振り返るな Row Row

お前が十七 俺十九
忘れもしない この川に
二人の星の ひとかけら
流して泣いた 夜もある
Row and Row
Row and Row
振り返るな Row Row

あれから幾年(いくとせ) 漕ぎ続け
大波小波 ゆれゆられ
極楽(ごくらく)見えた こともある
地獄(じごく)が見えた こともある
Row and Row
Row and Row
振り返るな Row Row

たとえば男は あほう鳥
たとえば女は 忘れ貝
真っ赤な潮(うしお)が 満ちるとき
なくしたものを 思い出す
Row and Row
Row and Row
振り返るな Row Row

おまえと俺との 間には
深くて暗い 川がある
それでもやっぱり 逢いたくて
エンヤコラ 今夜も 舟を出す
Row and Row
Row and Row
振り返るな Row Row

(付録)

長谷川きよしさんの、朗々たる歌声とは似て非なるものがありますが。
たまたまY-tubuに、「ガンフロンティア」という方たちの歌う「黒の舟唄」を見つけましたので、ここに載せてみます。
あまりにも違う歌い方なので、どうしようかと悩みましたが、「黒の舟唄」そのものを知らない方たちのために、歌詞とメロディの参考として載せますが、もっとしみじみとした、深い唄だったのよォ・・・・・。

http://jp.youtube.com/watch?v=6FGB7MTrAGk
          


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『私は泣いています』― 物書きの独り言 16 [エッセイ]

           『私は泣いています』

この話は、mixiブログで展開している「物書きの独り言」と称するシリーズ読み物の中のエッセイ5連作の第四話です。1967年辺りから1970年代前半にかけ、20歳になったばかりの一美大生であった私が、文化人たちがたむろすることで有名だった新宿ゴールデン街片隅にあったバラック酒場「もんきゅ」でアルバイトをしていたころ見聞きした、さまざまな人々のさまざまな人生模様について語ってみたもの。天涯孤独の身の上の辛さを乗り越え、17歳で100万枚の大ヒットを飛ばしたリリィという歌手のことを懐かしく思い出される方のために、Y-tubuに紹介されていた、表題『私は泣いています』の唄をご紹介してあります。あなたの感想を聞かせていただけると幸いです。
                                 夜の新宿ゴールデン街
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(初めて読む方たちへ)

この作品は、1960年代後半から70年代前半に、文人・文化人たちが夜な夜な徘徊していた”新宿ゴールデン街”を舞台に、一アルバイト女子大生として過ごした筆者20代の目を通して綴る、悲喜劇エッセイ5連作中の第4話。登場人物たちは仮名にした方も居ますが、ほとんどは実在した人々。


彼らと共に過ごした日本の青春時代の中で起きた、悲喜劇のあれこれを、できるだけ忠実に、面白く、かつしみじみと語っていきます。[物書きの独り言 13]から始まったこの連作エッセイも、次回最終話。当然ながら、私をゴールデン街に引きずり込んだ、バー”もんきゅ”のマスター、シュンさんを中心に、と考えてはいますが、当時私と同年代でありながら、家族・親族の反対を押し切って、単身米国へと旅立っていったある女子大生のお話も、書いておきたいと思っています。お楽しみに。

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何処かから東京に流れ着いて、さすらって、いつの間にか居なくなった、女が居た。

彼女は・・・・・実は「彼」。
「彼」なのに「彼女」として生きて。
「彼」なのに「母親」になって。
「愛した」のに「愛されなくて」。
それでもいつも、笑っていて。
いつのまにか、どこかに行ってしまった。
だからここに、書いておきたい。

彼女が居たのは、いまから40年も前の、新宿ゴールデン街。
ぐつぐつ煮え立つ鍋の中みたいだった1960年代後半から70年代にかけての日本の、東京の片隅。
結構賑やかに生きて、派手に泣いて、派手に笑っていたっけ。
もうきっと、誰も覚えていないだろうけれど。


■ある夏の夜・・・・。

酒場の客は気まぐれ
ウィークデー、しかも普段はヒマな月曜日だってのに、客がワンサと押しかけてくるときがある。
こちらはもちろん油断しているから、たちまちあれやこれやと足りなくなって。
そんなとき、ゴールデン街の酒場仲間の付き合いは暖かい。
ほとんどなーんでも貸してくれる。

「シュンさんっ、ビール無くなった!」
「借りてきて」
「おつまみが足りなくなったっ」
「借りてきて」
「タバスコが無いっ」
「借りてきて」
「米、味噌、醤油、石鹸パンツとブラジャーも・・・・!」
「借りてきて」
まさか・・・・・(笑)
でも、ほんとになんでも、嫌な顔ひとつせず貸してくれたのだ。

バー"もんきゅ"のこの夜も、そんな異常事態から始まった。
開店と同時にどんどん客がやってきて。
カウンターはもちろん、店の奥にしつらえてある、靴を脱いで座って飲める、カーペット敷きの小さなフリー・スペースまでたちまち満杯。
座れても3人が限界なのに、顔なじみの気楽さで「詰めて、詰めて!」
二畳も無い空間に、4、5人がギューギュー、スシ詰め状態。
しかも、いつもなら、そんな状態を見ると、みんなとっととハシゴ酒をしに行くのに。
今日はどうしたことか、みんな居座って、じっくり飲む構え。

小さな酒場には、小さな冷蔵庫しかない。
ビールなんかは、足元の金ダライに、ブッカキ氷を入れて冷やすのが基本。
小さな酒場は、氷代だってバカにならないから、仕入れはカンが頼りなのだが。
その日は月曜日、しかも給料日前、しかも雨・・・・これか、客が動かない原因は。
いつもなら開店早々は閑古鳥が鳴く、ってくらいヒマでヒマで。
シュンさんも私も9時過ぎあたりまでずーっと本を読んでヒマ潰し、のはずだったから・・・・・たっぷり油断した。
8時過ぎには壁に寄りかかって立ち飲みする連中まで出て、シュンさんも私もてんてこ舞い。
当然、真っ先に氷が足りなくなった。
「ドガ、借りてきてっ」
「はいっ」
コンビニなんか無い時代だから、ブリキの洗い桶を持って店を飛び出したものの・・・・・・。

その夜はどうしたことか、どの店も満員御礼状態。
行く先々で「ごめん、ウチも足りないのよォ」
仕方がないから、いつもなら足を向けない遠くの店まで走ったけれど、どうしても氷は手に入らない。
近所の店はとっくに閉まっているし、ああ、もう、どうしよう!と困り果てたとき・・・・・。
「どうしたの?」
声をかけてくれたのが、バー「小紫」のママ。
名前からお察しの通り、ゴールデン街名物のおカマ・バーのひとつ。
しかも180㌢はある巨体に日本髪の、例のママさん・・・・小紫というより大紫だ。

酒場のバイトには慣れたけれど、世間知らずの小娘は、おカマさんたちの居るバー近辺はなんとなく恐かった。
いつの間にか顔なじみになった客引きのおカマさんたちとは、顔が合えば行き帰りの挨拶ぐらいはするようになっていたけれど、人間、知らないものは恐い、のが常。
おカマさんたちの存在自体、今ほど世間に認知されていなかったから、正直、どう接していいのかわからなかったのだ。
でも今夜は非常事態。
「こっ、ここ、氷が足りなくて・・・・・」
「あーら、繁盛ねェ」
「い、いえ月曜日だし。こんなことになるなんて、私もシュンさんも予想してなくて」
「いいわよ」
「えっ」
「ウチは今日はヒマ。取っといたって溶けるだけだし、持ってらっしゃい」
「ほんとにっ!よかった」
「こっち、来て」
ギィッときしむドアを開け、初めて入ったおカマ・バー・・・・・。

それはそれは派手で・・・・キンキラキンでゴージャスで・・・・すす、凄い!
ゴールデン街に、こんなにお金のかかった店があるなんて!
「夢の世界にはねえぇ、この世のものならぬ演出がいるのよォ」
ママさんも、この世のものとは思えないけど・・・・・。
漆みたいな黒塗りに金縁のカウンター。
よくわからないけど、ふわふわした、濃い紫色の毛が生えた壁紙なんて初めて見た。
足元には、絨毯が・・・どたばた足音が響く“もんきゅ”の板張りの床とは大違い!
グラスもなんだか高価そうでピカピカしてて。
「みっちゃーん」
「はーい」
ひ、えぇぇぇぇぇぇ・・・・・。

そりゃまあ、ママさんが芸者姿だから、考えてみりゃ当たり前の展開なんだけど。
出てきたみっちゃんは、舞妓姿!
しかも、しかも、すっごーい・・・・・・・・・ブス・・・・・・・・・・。
しかも、しかも、すっごーい・・・・・・・・・デブ・・・・・・・・・・。
しかも、しかも、すっごーい・・・・・・・・・チビ・・・・・・・・・・。
その、この世のものならぬみっちゃんが、でっかい氷の塊を「ハイ」
洗い桶の中にドスン、と入れてくれて。
「あああ、ありがとうございますっ」
「いいのヨー」
ニコニコ笑った顔がおカメの面みたい・・・・・・やだ、すっごく可愛い!
おカマさんにも、笑顔美人っているんだ。
ちょっと感動しながら“もんきゅ”に帰ってきた。
その夜お店を閉めたあと、片付け物をしながら、シュンさんに今日の氷事件を話した。
「小紫のママさんって、気前がいいんですねー」
「おカマだから」
「おカマさんって、気前がいいんですか」
「おカマだからな」
返事になってないって。
帰り道、バー「小紫」の看板の灯は消えていて、お礼も言えなかった・・・・・。

翌日、いつもより早めにお店に出た私は、いつもの倍ぐらいのお通しを作った。
量があって、安く出来て、お客さんに好評な・・・・・高野豆腐の煮付けと、人参やこんにゃく、ひじきや鶏肉、ねぎといった具沢山の卯の花、つまりおから。
これに、茗荷のセン切りを山盛り別の入れ物に入れ、どっこいしょと持っていった。
バー「小紫」のドアをトントントン。
「あら、昨日の・・・・・」
ひゃあぁぁぁぁぁぁぁぁママさん、今日は毛皮のマリーだ!
美輪明宏ばりのメイク、ぐゎっと胸の開いた紫色のロングドレス、から、ン・・・・胸毛?
ということは・・・・・・。
「おーはーヨー」
ふわぁぁぁぁぁぁぁぁぁ、みっちゃん、今日はプリンセスッ?!
「ま、毎日着替えるんですか?」
「アタシたちってェ、夢の世界の住人だからァ」
はぁ、なるほど・・・・・。
「あのう、これ、昨日のお礼で、えっと、お客さんに出したらどうかなって、これ結構評判のいいお通しで・・・・その、お礼、考えつかなくって、す、すみません」
ママさんがじぃっと私の顔を見た。
「これ、あんたの自前?」
「えっ、ああ、はい」
「この大鉢も?」
「あのっ、安物で、す、すみませんっ、カウンターに置けるかなって思って、その、お店の雰囲気に合わなかったら、捨ててもらってかまわないですから」
「ふうん」
ママはそのまま、ありがとう、と受け取ってくれた。

それから2、3日して。
シュンさんが何やら立派な箱を持って店に入ってきた。
「ドガ」
「あ、はい?」
「お前、小紫のママに何かしたか?」
「いえ、別に何も・・・・」
「そうか、これ、ママからだ」
「へ? 私に?」
開けてびっくり玉手箱!
「こっ、こっ、ここここここれ」
「ニワトリかお前は」
「メッ、メッ、メメメメメメメメッ」
「ヤギだったか」
「メロンじゃないですかっ!しっしっしかもッ!」
今だって数万円はする、最高級の、 日本橋千疋屋の箱に入った、マスクメロン。
「ななな何でこんな高価い果物を、私なんかにっ」
「だから何かしたのかって聞いただろ」
「してません!何もしてませんってばっ」
そのまま店から飛び出した!
いくらなんでも、ラッキー!なんかで済ませられるものじゃない。

「ママーッ!」
「あら、また氷?」
「こっ、ここれっ」
「ん、美味しそうでしょ」
「い、いただけません、こんな高価いもの、いただく理由が・・・・・」
「あんたのお通しでさ、儲かったのよ」
「どど、どういう意味、ですか?」
「ウチ、お通し3千円なの」
ぎぇっ・・・・・ぼったくりだっ!!
言っておきたい、当時の大卒初任給は、せいぜい三万円前後だったことを。
ラーメンは一杯150円ぐらいだったか・・・・。
そこから今の経済感覚に換算すれば、たかが酒のつまみが2万円、ということになるのだ。
「あのっ!? お通しってサービスじゃ・・・・?」
“もんきゅ”は当然サービスである。
「夢のお値段よぉ」
「えーっ」
「それ、分け前ね、あんたの取り分」
「えーーーーーーっ、いっ、いただけませんっ、そんなのっ」
「ガハハハハハハ、ジョークよぉ、バカねぇ」
奥の椅子でみっちゃんもクスクス笑っている。
「大丈夫よォ、それ、お客さんからママへのプレゼントだからァ」
なんだ・・・・・よかった。
「小紫」のママさんとは、こんな風に知り合いになったわけで。


■真夏の夜の・・・・・悪夢!

他の街は知らないけれど。
ゴールデン街には、商売仲間の仁義、というようなものがあって。
どれも小さな店ばかりだから、自分の店が客で満杯になるとハミ出した客を仲間に廻す。
仲のいい他の店を紹介し、そちらに行ってもらうのだ。
マスターやママがよく知っている店だから、店の雰囲気や客層が似ていて、紹介された客は安心して飲める。
度重なれば、客はあちこちになじみの店が増え、いつの間にかハシゴ酒の仲間入り、ということにもなるわけだ。
「小紫」のママからは「うち、満杯なのよぉ、頼むわねー」
ちょくちょく電話が入るようになり、小ナスのみっちゃんが、いそいそ客を送ってくる。

「気に入られたな」
「え、誰に?」
「小紫のママ」
「そう、なの?」
「あのママ、苦労人だからな」
苦労なんて言葉はおよそ似つかわしくない、天真爛漫のおカマさんのように見えますが?
「人間、外からはわからないもんさ」
「ふーん」
そう、本当にわからないものだった、人間って・・・・・。

夏真っ盛り、連日30度を越す真夏日が続き、熱気でウンザリするようなある雨の夜のこと。
「ママ、そっちに行ってない?!」
みっちゃんが、悲鳴のような声で電話をかけてきた。
どうしたんだろう?
シュンさんが様子を見に行き、留守番をしていると。
しばらくして帰ってきたシュンさんは怖い顔で「ちょっと出かけてくる」
そのまま、帰ってこない。
12時を過ぎ、1時を回り・・・・2時を少し過ぎたあたりだったか・・・・。
店の電話が鳴って「ドガ、客を帰せ」
「え、でもまだ・・・・」
「いいから、店を閉めろ!」
あわてて店を閉めて待っていると・・・・・。
「ドーガーちゃぁぁぁん」
わっ、ママ! そんなに酔っ払って、ずぶ濡れでっ。
小柄なシュンさんが、脇の下に埋もれるような格好で支えながら、キラキラドレスのママを連れて帰ってきた。
しかも・・・・・・。
「ママッ、どうしたのーッ」
顔を上げたママの左眼の周りは、すっごい青アザ!
まぶたもお岩さんみたいに腫れてるしっ!
それによく見ると、鼻の下にうっすらと青い髭・・・・いや、鼻血の跡が!
「ケンカしたんですかッ」
「たーいしたことないわよォ、こんなことォ」
そのままヘナヘナ座りこむ!
取りあえず奥のフリースペースに寝かせ、氷水で冷やしたお絞りをアザの上に乗せて。
シュンさんが電話をかけている。
しばらくして、みっちゃんが、ママの荷物を抱え、階段を駆け上がってきた。
しかしママはフリースペースで高いびき。
その顔を見たみっちゃんが、
「ママーッ」
わっ、と泣き崩れた!

怖い顔のシュンさんと、泣きじゃくるみっちゃんが、カウンターの隅でぼそぼそ話し込んでいる。
事情の見えない私はどうすることも出来ず、ひたすらママのお絞りを換え続けた。
「ドガ」
「うわっ、はいっ!」
「みっちゃんを送っていけ。それから、今日はそのまま帰っていい」
「・・・・・は、い・・・・・」

ゴールデン街を出て、区役所通りを左折して、甲州街道の大通りに出る。
明け方近い雨の夜、不夜城新宿の人通りは結構あり、みんなが私たちをジロジロ見る。
だってみっちゃん、今日は金髪のカツラに真っ赤なカクテルドレス・・・・。
まだおカマさんそのものが珍しかった時代に、どう見たって女性風の男性、だもの。
みっちゃんはうなだれて歩きながら「ドガちゃん、お茶、飲まない?」
「あ、はい・・・・いいですね」
事情はわからないけど、みっちゃんだけでも慰めてあげたい、本気でそう思った。
珈琲館という、今でもまだある深夜喫茶に入った。

「びっくりしたでしョ」
「まァ・・・・・」
ケンカして、怪我して、正体不明に酔っ払ったおカマさんを見たのは初めてだったから・・・・。
みっちゃんが、深い、深い、ため息をついた。
「ママね、息子に殴られたのよ」
「えっ」
大きな目から、ぽろぽろ涙がこぼれる。
「息子ったって、血は繋がってないんだけどサァ」
「よ、養子、ってことですか」
「でもないのよォ」
「?????」
「迷子、なの」
あー、うっとうしいわァ、とみっちゃんが、涙を拭きながら、付けまつ毛をバリバリ取った。
「家出してきた子。高校生らしいんだけど」
家出・・・・高校生・・・・らしい・・・・・!?
「アタシは止めたのにィ、ママって、ほら、母性本能が強いヒトだからァ」
ぼ、母性本能、ねぇ。
「アタシもそやって拾われたのよ。もともと、コッチの世界に憧れてたんだけど」
そうなんだ・・・・。
「いまほら、ピーターってコがデビューしてサ、評判じゃない」

ピーターこと池端慎之介がデビューしたのは1968年(昭和43年)。
『夜と朝のあいだに』で、翌年のレコード大賞新人賞を貰っている。

      17歳のピーター(1968年)


「“ヨイトマケの唄”の丸山明宏サンも、寺山修司サンの、ほら“天井桟敷”って劇団で主演したりしてサ、頑張ってるでショ。アタシもこンなだからサ、何とかなるかもしれないって田舎から出てきたんだけどォ。ダメなのよォ、音痴だからさァ」
みっちゃん、他の理由で無理だってば・・・・・。

          美輪明宏


「新宿で食い詰めて、女の格好してフラフラしてたら、ママに会ってサ。ウチへおいでって・・・・・」
「じゃあ、その、息子さんも・・・・・」
「ううん、あのコはノーマル。だけどすっごいグレててサ」
「不良なんだ」
「そんなもンじゃないわョ。シンナーとか、クスリとか、もうメチャクチャ」
でも何でそんなコに・・・・・血も繋がってないのに・・・・・?
「ママさァ、昔、子供と別れたのよォ、別れさせられたっていうか」
ママに子供が!、でもママって、おカマさんじゃ・・・・。
「あのね、突然目覚めることってあるのよ。アタシたちの世界って」
「とと、突然おカマさんになるんですか!」
「うん、ドンデンがくるっていうんだけどネ。なんかヘンだなァって思いながら、でもほら、体はオトコでしょ」
「う、ん」
「普通に結婚して、子供も出来て、でも何かヘンで」
「それで急に女になっちゃうんですか」
「アタシも詳しくは知らないんだけどォ。田舎の祭りの晩、急にイイ男に出会ったんだって。一目ぼれってやつね。で、どうしようもなくなって」
「どど、どうなったんですか」
「カケオチ」
えーっ!子供もいるのに!
「そういうモンなのよ、おカマの恋ってさァ」
男の人と、男の人が、カケオチしてしまうほどの・・・・恋????
「結局、捨てられちゃったんだけどサ。そンとき置いてきた息子に、似てるらしいんだ」
「その、家出してきたコが・・・・・?」
「腐れ縁みたいなもんね。何されたって、放り出せやしない」
やたら複雑な気分になってきた。
「ママにしたら、罪滅ぼしみたいな気持ちなんでショ」
「本当の息子さんに会いにいけばいいのに」
「もう死んだことになってるんだってサ、ママ」
「・・・・・・・・!」
「ママは何とかしてやりたいって一生懸命なんだけど。あいつ、ホンマモンのワルだから」
ホンマモンのワル、というのがどういう人なのか、私にはわからなかったが。
ぼろぼろにされたママの、「たーいしたことないわよォ、こんなのォ」という声が耳に蘇ってくる。
「人生ってさ、どうしようも無いことばっか・・・・・」
よ、よくわかりません・・・・・けど、みっちゃん、泣かないでょ。
「あのコもサ、親にかなりヒドイ目に合わされてきたらしくて。もう元に戻れないぐらい、ヒン曲がっちゃってるのヨ。誰も信じられないぐらい」
私なんか、とても受け答えできない世界の話だった。
「殴って、殴って、これでもかってぐらい反抗して。ママの気持ちを確かめてンのよネ。これでも俺を捨てないか、ってサァ」
・・・・・・・『たーいしたことないわよォ、こんなのォ』・・・・・・。
溶けたマスカラと涙で真っ黒になったみっちゃんのハンカチを見てると、なんだか胸が抉られる・・・・。
どんな言葉も、出てきやしない・・・・。

「雨、止んだみたいネ。帰ろっか」
「あ・・・・・はい・・・・・」
“人間、外からはわからないもんさ”
もしかして、シュンさんも、そうなんだろうか・・・・・。
そんな風には、一度も考えたことがなかったけど。
私は、いつも外側からしか、人を見たことがないのかもしれない・・・・。

         新宿の夜景 


■身を捨てて浮かぶ瀬もあれ花筏・・・・・

ママは、翌日から、とっても元気だった。
アザが消えるまで、片目にカラフルな眼帯をかけて。
「そんな眼帯、どこで売ってるんですか!」
「自分で染めたのよぉ、ドレスに合わせて」
「お、おしゃれですね」
「ドーガーちゃァん」
げっ、みみみ、みっちゃんも殴られたのっ!
「お付き合いよォ、ママの」
バー「小紫」は、しばらくずっと、片目のママと、片目のみっちゃんが、この世のものならぬサービスを展開していた、らしい。

私は、ママばかりでなく、ゲイのお姉さんたちにも、ずい分と可愛がってもらった。
お姉さんたちは大変な物知りで。
美味しいものやファッションや、お化粧やお肌の手入れ、その頃はまだまだ知られていなかった世界中のブランド品や、細やかな気配りのあれこれ・・・・・。
客引きに立つお姉さんたちと、よく立ち話をしたものだ。
そして、“外からは見えない世界”のあれこれの話を、よく聞かせてもらった。
「あの人はね、アタシたちと同じ世界の人なのよ」
びっくりするような、ゲーノー人や有名人の方々の秘密、なんかも・・・・・。

遠い、遠い、40年も昔の、ゴールデン街の片隅で。
入れ替わり、立ち代り、現れては消えていった、この世のものならぬ世界の住人たち。
体は男だけれど、並みの女たちよりずっと賢く、情深く、濃やかで女らしい心の持ち主たちばかり。
みんな、みんな、優しくて、哀しくて、明るくて、淋しい人たちだった。
あの人たちに出会わなかったら、私は人間の見方がもう少し狭く、恥ずかしい考え方を、平気でしていただろう。

人のことは、人から学ぶものだけれど、本当に触れ合わなければわからないものがある。
すっかり大人になって、仕事でどれほど大変な肩書きの人に出会っても、私の心の中には、いつもシュンさんの言葉がリフレインしていた。
“人間、外からはわからないもんさ”

もう、バー「小紫」の看板は無い。
ママも、みっちゃんも、もういない。
あの頃のお姉さんたちも、誰もかも。
そういう人たちが確かに生きていたのに、そんなことはきっと誰も覚えていないのだろう。

私を、内側からも育ててくれた新宿ゴールデン街。
戦後、身を売る女の人たちがここに集まり、どこかに消えていったというこの街もまた“外からはわからない”沢山のあれこれを秘めた街だった。

そんな街で、こんな唄が流行ったことがある。
戦後、米兵を父として生まれ、帰国してしまった父とは生き別れ、母とも、兄とも死別して、天涯孤独の中でがんばって生きた17歳の、ハスキーボイスの少女が歌い、100万枚の大ヒットを飛ばした、少し哀しい唄・・・・・。

 

         17歳でデビューしたリリィ 


『 私は泣いています 』唄:りりィ 作詞・作曲:りりィ(昭和49年・1974年)

http://jp.youtube.com/watch?v=3qFhFGjOxSA

私は泣いていますベッドの上で
私は泣いていますベッドの上で
あなたに会えて幸せだった
昼も夜も帰らない
あなたがいたからどんなことでも
なりふりかまわずあるいてきたの

私は泣いていますベッドの上で
私は泣いていますベッドの上で
あなたにとって愛のくらしは
とてもいやなことばかり
あなたに言われて気づいたことも
そんなところはなおしてみます

私は泣いていますベッドの上で
私は泣いていますベッドの上で
あなたは言うのもう終りだと
まさかそれはうそでしょう
あなたの言葉が私のまわりで
嵐のようにうずまいているの

※私は泣いていますベッドの上で
私は泣いていますベッドの上で
あなたの幸せ願っているわ
私だけはいつまでも
あなたの幸せ願っているわ
私だけはいつまでも

注:バー「小紫」の名前も、みっちゃんの名前も、仮名にしてあります。
  もし生きておられたら、もう一度会いたい人たちですが。


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『灰色の瞳』― 物書きの独り言 17 [エッセイ]

           『灰色の瞳』

この話は、mixiブログで展開している「物書きの独り言」と称するシリーズ読み物の中のエッセイ5連作の最終話です。1967年辺りから1970年代前半にかけ、20歳になったばかりの一美大生であった私が、文化人たちがたむろすることで有名だった新宿ゴールデン街片隅にあったバラック酒場「もんきゅ」でアルバイトをしていたころ見聞きした、さまざまな人々のさまざまな人生模様。この最終回では、夢を追ってアメリカに飛び出していったある女の子の話と、私をゴールデン街という不可思議な街に引きずり込んだ「もんきゅ」のマスター・シュンさんが、最後に堕ちていった地獄の恋のお話。人が、生きていたそれまでの人生を全て捨ててまで追う夢や恋とは、いったい何なのでしょう。このエッセイを書くことで、世間知らずの小娘だった私の胸に、今も残るあの人々の人生ドラマが蘇ってきました。そしてこのシリーズ・エッセイを締めくくる唄のプレゼントは、椎名林檎長谷川きよしデュエットで贈るフォルクローレ。ペルーはアンデスの山々にこだまするあの”コンドルは飛んでいく”を作った”ウナ・ラモス”の作詞・作曲による『灰色の瞳』です。読後、あなたの感想をいただけると筆者は喜びます。

         

『昔々、新宿ゴールデン街に、「もんきゅ」という小さな酒場があった・・・・・。
フランス語で“可愛いお尻”という名前のこの酒場は、八番街と呼ばれる通りの中ほどに位置し、人一人やっと上れるくらい狭く、垂直に近い危険な階段を昇った2階にある、3坪あるかなしかの小さな店だった・・・・・・』
こういう書き出しから始まった物書きの独り言13。
その「新宿ゴールデン街物語」も今回で最終話。
最終回には、やはりマスター、シュンさんのことを、と思ったけれどその前に、この店に出入りしていたある女の子のことを、どうしても書き留めておきたい。


■アッコと呼ばれた女の子

アッコさんは私と同い年・・・・だったと思う。
真っ黒な艶々した髪をおかっぱに切り下げ、大きな、まつ毛の長いパッチリした眼を、しっかりと相手に見据えて話す、超美人の女子大生。

そんな彼女が、宮城の東北大学で「異常性心理学」を専攻している、と聞いたときは、ほんとに驚いた。


当時の私は、国立大学にそんな学問を学ぶ場所がある、というだけで目を瞠ってしまうほど世間知らずな、タダの美大生だったから。
彼女と私は、そんなに深い付き合いはなかった。
店に来ればなんとなく話をし、その内容も、今はほとんど覚えていないくらい、ごくごく普通の、同世代の他愛ない会話。
彼女にとって私は、さほど興味を引く相手ではなかったのだろう。


シュンさんのポリシーは「本人が話さないことは聞くな」
だから私は、彼女にあれこれ聞くこともなかったし。


彼女が“もんきゅ”に顔を出すのは、大学が休みのときだけ。だから、なんて気まぐれで神出鬼没な女の子だ、ぐらいに思っていた。
記憶に少ない「彼女が話した話」を思い出してみると・・・・・。
「ジュウシンがね、遊びに出て来い、ってシツッコク言うからさ」

 

彼女がジュウシン、と呼び捨てにしていたその人の名前は故・佐藤重臣(しげおみ)。
それは、実はトンでもない人で。
アヴァンギャルド、アングラ、カルト、インディーズ映画を紹介・評価し続け、1926年から75年まで50年の歴史を持つ「映画評論」の編集長を十年間勤め、また「黙壷子(もっこす)フィルムアーカイブ」という上映会で『ピンク・フラミンゴ』や『フリークス』等のカルト作の上映活動を行ったりしていた、当時、最前衛の映画評論家。

        映画評論

http://homepage3.nifty.com/ccp/eigabon/eigabon184.html

「現代日本映画論体系」という大著や、さまざまな映画評論の著作をモノし、『佐藤重臣は、映画を面白がることの名人だった。敢然と独自の評価を打ち出し、映画の中に隠れた宝物を探し出す評論家』と評されるような人物。


足立正生や唐十郎さんたちと「メケ分化とマニエリスム――胎内回帰から俯瞰願望まで、ホモ・セクシアルから両性具有の世界をまさぐる!」とか、作家・野坂昭如さんと「焼跡の中のセックスから」とかいう対談をしょっ中していて。
澁澤龍彦さんや、暗黒舞踏家の土方巽さんたちとの交友が深いことでも知られていた。

     澁澤龍彦

そういう人を、ジュウシン、と呼び捨てにし、彼に呼ばれて宮城県から東京に遊びに来る。
しかも、憧れの澁澤龍彦さんからも、ひどく可愛がられていた女子大生、アッコさんって、いったい何者!
でもシュンさんは「本人が話さないことは何も聞くな」と緘口令を敷くので。
アッコさんに聞きたいあれこれは、全て我慢せざるを得なかった。

 

よく考えてみれば、最初の項で書いたように“もんきゅ”は、店主のシュンさんの、趣味・嗜好が色濃く打ち出されている店。
それは店の装飾ばかりでなく、出入りする客に対しても「シュン好み」は反映されていて。
ごく自然に、性愛のあれこれへの差別意識など持たない、知的文化人たちが多く出入りするようになっていた。

そんなある晩、アッコさんが私に、突然こんなことを言った。
「私ね、家を捨てようと思うの」
えーっ、どど、どういうことよ、それ!
「アメリカに行く」
いっ、いっ、いつっ!
「近いうち」
でっでででも、何も家を捨てなくても・・・・・。
「理解してもらえるわけ無いもん」


彼女がぽつり、と話してくれたのは、彼女の家は実は大変な旧家で。
厳格な家柄に育った彼女は、身動き取れないほどの、親や親戚の支配の中で、ほとんど窒息しかけているという話。
確かに、そういう時代ではあったけれど。
「私の人生だもしさ」
そ、それは、そうだけど・・・・・。
         ニューヨークの夜景       

まだ20代前半の女子大生が、自分の持っているもの全てを捨てて、単身アメリカに向かう、というのは、まだまだ経済後進国だった当事の日本の世相から言って、大変な決心だった。
何しろ、1ドルの交換レートが360円という、大円安の時代。
アメリカに関する情報も少なく、どんな社会で、どんな暮らし方をしている国なのか大まかなイメージしか沸かないほど、まだはるかに遠い国だったから。
家を捨てる、つまりは親も家族も捨てる、という彼女の決心は、両親との確執にあえぎながら、自立する決心もつかないまま悩んでいた私には、眩しいほどの生き方に見えた。
そして、その決心をさせた何か、を見つけた彼女に、強い羨望感を抱いたものだ。
いったい何が、自分と同年代の彼女の心を、こんなにも強く衝き動かしているのだろう・・・・・。

彼女からこんな話を聞いてまもなく、私のほうにも事件が起きた。
物書きの独り言14『薔薇のトミィ』で書いたように、新宿ゴールデン街という、もと青線でのアルバイトに、両親が激怒したのだ。
そして、さんざんなやり取りの末、私は家を出る決心を固めた。

「だったら、私が出たあとの部屋に入ればいいよ」
アッコさんはさらりと言ってのけた。
東京に出てきたときのために借りていた、一軒家の四畳半の一部屋。
シュンさんの住む部屋の隣り。
生まれて初めての一人暮らしへの決心には、アッコさんの生き方からの影響が、多大にあったと思う。
アッコさんの決心に比べれば、アリンコのようにちっぽけな冒険だったけれど。
「その代わり」
アッコさんは言った。
「敷金、礼金は払わなくて済むように、大家さんには私の従妹だと言っとくから。私の親のこと、頼まれてね」
えっ、何の話?
「親には黙って行っちゃうから、きっと私を訪ねてくる」
ンなな、なにっ!
「こう言ってくれればいいのよ。もう、日本には居ません、って」
えぇっ・・・・・・・・・!?
「後の祭り、ってやつ」
!!!!!!

クリスマス・イヴの夜、“もんきゅ”は大入り満員になった。
ちっぽけな店中が、人だらけ。
かなりの人が立ち飲みしている間をかいくぐって、水割りやロック、ハイボールなどを配って歩く。
そこへ・・・・・。
「おーっ、アッコッ、久しぶりだなーっ」
私とアッコさんの間の打ち合わせはほぼ終わり、2、3日中には、とりあえず私の荷物を運び込む、という手はずが整っていた。
知っているのは、私とアッコさんと、シュンさんとシュンさんの奥さんだけ。
アッコさんは、私に、ちょっとウィンクし、何も言わなかった。

夜が更け、店にはますます人が増えていく。
私はカウンターの中で、懸命にお客さんのオーダーに応えていた。
「おい、アッコ、大丈夫か」
見ると、かなりの酒豪のはずのアッコさんが、上体をふらつかせている。
「だ、大丈夫?」
「だーい、じょー、ぶよー」
ロレツも怪しくなっている。
「すす、座って、座ってっ、アッコさんっ」
「出ておいでよォ、ドガちゃぁん、ちょっとだけサァ」
シュンさんが目配せを送ってきた。
私はあわててカウンターを飛び出し、壁際で上体を揺らしているアッコさんの体を支えた。
「ドーガーちゃぁん」
アッコさんは私にしがみつき、いきなり・・・・・・。

      

私は、生まれて初めて、女性にキスされた。
それは、なんとも不可思議な感覚だった。
男性のそれとは、全く違う、柔らかな唇。
性愛の感覚とは全く違う、なんだか安らぐ、同性とのキス・・・・・。

私とアッコさんは、かなり長い間、唇を合わせていた。
周りの人々は、まるで気にしていない。
ワイワイ騒ぎ、ぐいぐい飲んで、私たちをチラリとも見ない。
私のほうも、周りの反応など、気にもしていなかった。
私は、気づいていたのだ。
アッコさんが泣いていることに・・・・・。
体中が、震えていることに・・・・・。

私はアッコさんを強く、強く抱きしめ、誰の眼も気にせず、長い長いキスを続け、アッコさんもそれを、じっと受け止めてくれていた。

それから2日後、アッコさんは行ってしまった。
みんなの話では、誰にも言わず、ジュゥシンさんにも、渋沢さんにも別れを告げず、たった一人で、当時国際空港だった羽田から、飛び立っていったという。

「アッコらしい」
シュンさんがポツリと呟いた。
私も、そう思った。

でもあの夜、大騒ぎのクリスマス・イヴ。
私の腕の中で、体中を震わせて泣いていたアッコさんを、私は知っていた。
アッコさんは多分、悲しくて泣いたのではないと思う。
抱きつく相手も、きっと私でなくともよかったのだと思う。
彼女はただ、別れを告げたかったのだ、何かに。

未知な何かに挑戦するというのは、本当に怖い。
何の予測もつかず、成功なんて思いもよらない。
それでも、そうせずには居られない何かに気づいたとき。
そうするのだと自分に決めたとき。
人は震えながら、その一歩を踏み出す。
私も、それから何度も、そういう経験をして。
人生には、そうせずには居られないときがあるということを知った。

それはきっと、誰にもわかってはもらえないもの。
自分ひとりで闘ってでも、と思わせる何か。
それをすれば成功するとか、それをすれば何かがうまくいくとか、そういうものではない何か。
ただ、そうせずには生きられないのだと、確信してしまう何か。

そういうものにぶつかるたび私は、私の腕の中で泣いていたアッコさんを思い出した。
敢然と、ひとりで旅立っていったアッコさんを。

あの夜から40年という月日が流れ、アッコさんの消息は全くわからない。
折節の風の噂は、ニューヨークのフィフス・アベニューで画廊のオーナーになったとか、トルコ人だかアラブ人だかのTVプロデューサーと結婚して、離婚して、今は豪邸に住んでいるだとか、確かめようも無い消息を伝えてくるけれど。
何があろうとアッコさんは、今も敢然と、自分の生き方を貫いているに違いない。


■シュンさんの恋

シュンさんの隣の部屋に住み始めてから、時間のあるときは近所の喫茶店にお茶を飲みにいき、奥さんと三人で、取りとめの無いおしゃべりをすることがよくあった。
でも考えてみればそれもまた、本当にどうでもいい雑談ばかりで。
「猫を飼ってたことがあってね。真っ白なペルシャ猫。シュンの恋人」
シュンさんが苦笑いしてる。
「私たちが小鯵かなんかのおかずでご飯食べるときでも、ブランには赤身の牛肉。それも最高級のよ」
ブラン・・・やっぱりフランス語なんだ、普通にシロって呼べばいいのに。

          

「シュンはもうもうベタ甘で。何でも、いくらでも許しちゃうの」
贅沢三昧させた結果・・・・・もの凄い巨大猫に育ってしまったらしい。
「それがね、あるときどうしても用事があって、二人とも出かけなきゃいけなくなってね」
シュンさんは、何故かそっぽを向いた。
「家中に鍵かけたんだけど。シュンが、窓だけは開けといてやりたい、って言うもんだから」
窓の張り出し部分に座って、外を眺めるのが好きな猫だったらしい。
「そんなに長くは出ていなかったんだけど」
あっ、シュンさんどこ行くの?シュンさんっ、シュンさんってば!
「まだ引きずってるのよあの人。脆いとこあるし、自虐的だし」
うそォ!だってシュンさん、女を裸にして縛りあげる伊藤晴雨とか、ゴムスーツの女の人ムチでシバきあげる団鬼六とか好きなんじゃん。
シュンさんもやるの?って聞いたら、「やる」って即答だったし。
「何考えてるの、ドガちゃん?」
えっ、ああ、いや、なーんにも。
「帰ってきて真っ先にブランを呼んだんだけど、どこにも居なくて」
窓から、逃げ出したんじゃ・・・・・。
「ううん、シュンが長い紐を首輪につけといたから。でも、つけなきゃ良かったのよね」
なんで?
「首、吊ってたの・・・・・張り出しの鉄柵からブラ下がってた・・・・・」
えーっ、可哀想に。
「それ以来猫の話はウチではタブー。シュンは相当ショックだったらしくて未だに抜け出せないの。いい年して子供みたいなとこがあるから」

シュンさんはもの凄くモテた。
いろんな女の人が、それこそ入れ替わり立ち代りアタックしてきて。
でも、そういう女の人たちとヘンな関係になったことは一度もなかった。
 少なくとも、私が見ていた限りでは。
「チャラついた女は嫌いだ」
やっぱねぇ、奥さんみたいなシャキッとした女の人がいいんだ。 
「シュンは私なんか愛していないのよ。芝居以外は要らない人だから。私なんか、いつ捨てられるか・・・・」
まさか! 子供まで生まれたっていうのに。
「私が強引に作ったようなものなのよ。シュンはしぶしぶ」
あははは、と笑った奥さんの目は・・・・・でも笑っていなかった。
奥さんの話では、奥さんのほうが、舞台に出ていたシュンさんに一目惚れしてしまったんだそうで。
私、押しかけ女房なのよ、って話に、またびっくり!
私から見たら、シュンさんのほうが奥さんに惚れてるように見えるのに、ほんと、夫婦って、わかんないもんだなぁ。
それが初めて、そしてたった一度だけ聞いた、シュンさんの裏話。

最終回だから何とかシュンさんについて書こうとしたのに、いくら思い出そうとしても、こんな話しか出てこない。
一年ちょっと彼の店で働き、 一年ちょっと隣の部屋で暮らして。
どこの生まれで何をしていたか、親兄弟はいるのか居ないのか、どうしてそんなにお芝居に夢中なのか、ほんとはいろいろ聞きたかったのに。
シュンさんはいつも、霧のカーテンの向こうで笑っていた。
シュンさんが私に何か聞く、なんてこともほとんど無かったな。
「本人が話さないことは何も聞くな」
頑固なくらい言行一致の人、自分にも、他人にも・・・・・。
小娘だった当時はそれを、なんて変わり者、ぐらいに思っていたが。
それからの私の人生で、大人の代表、的位置に座り続けた人だった。
40歳を過ぎた辺りから、あの人は何故ああだったんだろう、と考えるようになり、50歳を過ぎると、人には言えないことや言わないことが実に沢山あると納得させられ、物を書くようになって「寡黙」と「沈黙」の微妙な違いに拘るようになったのは、シュンさんの存在が大きい。

新宿ゴールデン街のバラック酒場“もんきゅ”で一年ちょっとアルバイトをしていた世間知らずの小娘は、やがて大学を卒業し、某経済専門誌の編集部でしばらく働き、できちゃった結婚をして子供を二人産み、たちまち離婚してシングルマザーになり、社会の荒波と戦いながら子育てをし、いつの間にか物書きになって、かれこれ40年の月日が流れた。
その途中で一度だけ、人生が壊れかけたことがある。

40代後半、飲めない足でふらふらと、ゴールデン街を彷徨い歩いた。
酒場街の面影はさほど変っておらず、あの場所に“もんきゅ”の看板を見つけたときは、胸震わせて階段を駆け登ったのだが。
店の内装は大きく変り、店主もまた見知らぬ人。
代替わりの激しい酒場街のこと、シュンさんが居たことも知らない人々の賑わいから、逃げるようにまた外に出て。
ふと見ると、どこか見覚えのある名前の看板が・・・・。
BAR「NOV」という、その看板を頼りに店に入ったら。
「うわぁーっ、ドガちゃんっ?」
“もんきゅ”に、毎晩のように飲みに来ていたノブちゃんの店だった。
「いつからやってるの?」
「う~ん、かれこれ10年ちょっとかなぁ」
「そんなに! 知らなかった・・・・・」
「少しは飲めるようになった?」
「相変わらず下戸だけど、まあ、あの頃よりはほんの少し、ね」
取りとめのない世間話をした後で。
「シュンさん、いまどうしてるか、知ってる?」
「ああ、シュンさんねぇ・・・・・」
ノブちゃんはほんの少し沈黙し、低い声でこんな話をしてくれた。
「奥さんと別れて子供も捨てて、ヘンな女とどこかに逃げちゃった」
えーっ!
・・・・・私だって、いつ捨てられるか・・・・。
「どうしようもない酒乱の、ヒドイ女でサ、飲んでは客と大喧嘩。止めたら店中のものを手当たり次第ブッ壊すし。シュンさん、包丁で刺されたこともあったんだよ。そンときは、怪我ぐらいで済んだけど」
なっ、何でそんな女と!
「さァ、男と女だからねェ。シュンさん、どっぷり溺れこんでたねェ。一度なんか、店が終わって飲みにいったら・・・・・」
ノブちゃんは、なんとも言いようのない表情で黙り込んだ。
「な、何があったの?」
「・・・・・シュンさんがさァ、モップで店の床を拭いてンのよォ。そこら中、すンごい臭いで・・・・・」
 「・・・・・・!?」
「酔っ払って客の目の前でオシッコしたンだって。店の奥で大いびきかいて寝てたけどあの女。ありゃぁ手負いの山猫だね、男も女も、近寄るヤツはみんな、食い殺されちまう」
「手負いの・・・・・・」
突然、私の頭の中で、何かが、音をたてて弾けた。

見知らぬ家出少年を引き取り、その子に殴られ、顔中アザだらけになってた小紫のママ。
その後、みっちゃんから聞いたあの話・・・・。
「あのコ、親にかなりヒドイ目に合わされてきたらしくて。もう元に戻れないぐらいヒン曲がっちゃってるのヨ。誰も信じられないぐらいに」
ママが必死で面倒見ていた、人間不信の男の子。
自分への気持ちを確かめるため、ママを殴って殴って、反抗し続けた高校生・・・誰かを傷つけずにはいられない自分を、どうすることもできない彼のほうが、きっと誰より深く傷ついていたに違いない。
もしかしたら、その女も、どこかに深い深い傷を負ってて・・・・・。

自分にもわからない自分、自分でも驚くような自分、どうすることも出来ないほど凶暴な自分が、突然自分の中から飛び出してくる・・・・・。
それはそのまま、その当時の私自身の姿だった。
自分が起ち上げ、理想に燃えて築いた会社、人生の大きな夢。
何年もかけて集め、十分な話し合いを重ねて集めた仕事仲間。
一千万円を切る小さな売り上げから、バブル期の波に乗って一気に数十億の売り上げに伸びたとたん、心から信頼していたその仲間たちに乗っ取られ、身ひとつで追い出され・・・・・。
耐え切れないストレスを忘れるため、ギャンブル依存症に陥っていた。
誰にも会いたくない、誰とも話したくない、何も考えたくない・・・・。
轟音鳴り響くパチンコ店に終日閉じこもる、荒んだ生活の中で、凄まじい人間不信と絶望感にのた打ち回っていた。
なのに表面は平然と、こんな風に酒を飲む・・・・。
そうでもしなかったら、突っ張らなかったら、人生も子供も、自分の命も全て投げ出し、もっとラクな世界へと崩れ落ちていきそうだった。

シュンさんも芝居に命を賭けていた・・・・・本当に一途に、懸命に。
何があっても芝居を続けようと、毎晩明け方近くまで働き、芝居以外には目もくれなかった。
そうやって全てを賭けて飛び込んだ劇団、三島由紀夫が起ち上げた浪漫劇場が、三島の自決で崩壊してしまった。
壊れてしまった夢、もう若くない自分、妻も子供もいる。
何もかも投げ出したくても耐えるしかなくて、耐え続けるしかなくて。
そんなとき、自分よりボロボロの女に出会ったら・・・・。
シュンさんの中から、いったいどんな獣が飛び出してきたんだろう・・・。
「あの女のせいで客足が遠のいてサ。それでも飲んで暴れ続ける女と別れられなくって。結局追い詰められて、二人して居なくなっちゃった」
・・・・・「たーいしたことないわよォ、こんなことォ」・・・・・・ 
シュンさんも小紫のママさんも、逃げ込んだんだろうか。
自分よりもっと傷つき、もっとボロボロになっている人の中へ。
人は、本当に傷ついたとき、自分よりもっと傷ついているものしか信じられなくなるから・・・・・。
「シュンさん、いまどこに?」
「さァ、ねぇ。誰も知らないんじゃない」

会話らしい会話はほとんどなく、付き合いといえるほどの付き合いも、なかったけれど。
今も私の胸の奥深く、青春という名前の部屋に住み着いている人たちが居る。
その時代を振り返れば必ず顔を出し、その人たち抜きには語ることのできない、終わってしまった時間の共有者たち。
そのうちの何人かは既に長い旅に出て、そのうちの何人かは行方不明、そのうちの何人かは、今でも会うことができる。
でも誰も、もう二度と、あの時間の中に戻ることはできない。
「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例なし。」
高校時代に習った「方丈記」の一節が、あの頃にはわからなかった意味を伴って、胸に迫ってくる。

当初は、ふとした思い付きから、懐かしさを追って書き始めたこのエッセイだったが。
書き進み、書き終わろうとしている今、そう、第2話目辺りから、それぞれのエピソードが、当初の意図とは微妙に違う方向に動き始めていたことに気づいた。
私は、過去を書いていたのではなかった。
いまここに在る私の「今」の意味を問い直し、見詰めなおすために、かつて触れ合った人々を呼び出し、改めて話し合っていたのだ。
そして、気づかされた・・・・・私が向き合った人々と共有した時間は、実は相手にとっても人生の中のひとつの時間。
私がこうしてあの時間を懐かしむように、相手もまた、そのひと時を、どこかで懐かしんでいるかもしれないことに。
私がシュンさんを懐かしむように、シュンさんもまたどこかで、私を思い出してくれているに違いない。
このエッセイを読んでいるあなたのことを、いまどこかで誰かが懐かしんでくれているように。
 
互いの思いは、たぶんもう届かない。
昔のように熱く語り、触れ合うことはもう適わないけれど。
私がいたことを知っている誰か、あなたがいたことを知っている誰かの胸の中に、あなたも私もきっと、ずっと生き続けることだろう。

13話から17話まで、勝手なことをホザき続けた私のエッセイ。
それを読み続けてくださったあなたに。
これを読むためにあなたが私にくださった、あなたの人生の時間に。
深く感謝します。
そして最後に私からあなたへ。
こんな唄をプレゼントし、この長旅を終わらせていただくことにします。

         

『灰色の瞳』 1974年(長谷川きよし&椎名林檎)
http://jp.youtube.com/watch?v=Urk0QFgTc-I (←クリックを)
作詩:Mariano-Una-Ramos・Alberto Veliz
作曲:Mariano-Una-Ramos・Alberto Veliz

枯野に咲いた 小さな花のように
なんて淋しいこの夕暮れ
届かない想いを抱いて
なんて淋しいこの夕暮れ
届かない想いを抱いて

私の大事な この笛の歌う唄を
あなたは聞いているのだろか
どこかの小さな木の下で
あなたは聞いているのだろか
どこかの小さな木の下で

澄んだ音色で 響くこの笛
あなたは聞いているのだろか
泣きくたびれた笛の音を
あなたは聞いているのだろか
泣きくたびれた笛の音を

山は夕暮れ 夜の闇が忍び寄る
あなたは何処に居るのだろか
風の便りもいまは途絶え
あなたは何処に居るのだろか
風の便りもいまは途絶え

山の坂道 一人で歩いて行った
あなたは今も歌っている
彼方の空に声が聞こえ
あなたは今も歌っている
彼方の空に声が聞こえ

一人ぼっちで 陰を見詰める
あなたは何処に居るのだろか
風の便りもいまは途絶え
あなたは何処に居るのだろか
風の便りもいまは途絶え

ラララララ・・・・・・・・・・・


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別れの詩『桜雨』あるゲームライターの死に捧ぐ。 [詩]

 

                             

            『 桜 雨 』

 

        桜咲く日 友が逝った

        物書く友だった

        夭折 とまでは云えないが

        まだこれから という齢だった

 

        無名ではないが 著名でもなかった

        誰もが知る作品を

        彼が成したとは知られぬまま

        残していった

        二人の妻と別離れ

        子をひとり残していった

 

        酒を愛し 芸術を愛し

        大法螺をふき 磊落(らいらく) だった

        あまり誠実ではなかったが

        大嘘つきでもなかった

        小心ではあったが

        正直ものでもあった

        夜を徹して机に向かい

        朝

        そのまま冷たくなっていたという

 

        逝く春を惜しむように

        花冷えが続いたが

        たったひと夜の桜雨で

        花は散ってしまった

 

        流水の上に

        ひととき浮かぶ花筏(いかだ)のように

        短く生きて 去った友のために

        私も空も 泣いている   

                           (photo by mama-witch)

 

 彼は、私のかつてのシナリオの師匠。その後、ゲーム制作の世界に入り、ゲームライターとして活躍されました。彼の代表作品は『鬼武者』、そして『バイオハザードⅡ』などなど。2005年2月27日、急性心不全により、急逝されました。

(故・杉村升(のぼる)氏に関しては、以下のURL(wikipedia)に詳しく紹介されていますので、こちらをどうぞ)

 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%89%E6%9D%91%E5%8D%87

 

(その他の記事はこちら。リンクを貼ってありますのでクリックしてお入りください)

 ★(NEW!)最新記事とダイジェストガイドをどうぞ。

   ※これまでの公開記事のダイジェストガイドです。目次としてご覧ください。

 『写真+詩で季節を詩う』(ダイジェストガイド ①~21)

 ★『受賞童話作品』とダイジェストガイドをどうぞ。

 

  

 


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『しあわせな 日曜日』コラボレート番外編 写真歌 [コラボレート]

 これは「詩」ではありません。歌の歌詞として創ったものです。もちろん曲もついています。でも今回は歌詞と写真だけでお楽しみください。(譜面は作曲者と打合せの上、そのうち載せるつもりですので、それもお楽しみに。)

 

           (photo by ドン亀+詩:mama-witch)

        

       『しあわせな 日曜日』

 

   一、信号が青に変わり ぼくは道をわたる

     空は今日も 晴れて青く

     風もない さわやかな 日曜日

 

  二、かけ足のぼくの背中に あたたかい朝の光

     今は大丈夫と つぶやいてみても

     ぼくの右手から 消えたぬくもりは 還らない

 

          あれからもう ひと月たって

          今頃あの娘は どうしているだろう

          とても泣き虫な 人だったけど

 

  三、すべては昔のこと 過ぎていった夢の時間

     信号は青に変わり ぼくは道をわたる

     風もない しあわせな 日曜日

                    日曜日‥‥

        

 (メッセージ)

 これは、実は、私mama-witchが20歳のころ創った歌詞。そのころ私は、M美大に通っていて、気のあった仲間と、フォーク・グループを組んで歌っていました。私の受け持ちはヴォーカルとパーカッション。そして、仲間の歌う歌のほとんどを、創っていて。某コンテストに優勝し、某TV局からデビューのお誘いを受け、でも若すぎてその意味もよく理解しないまま、お誘いを断ってしまって。日々を楽しむことに夢中になっていたあのころ。遠い、遠い、懐かしい青春の思い出のかけらです。


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『写真+詩で季節を詩う』(ダイジェストガイド ①~23) [コラボレート]

( 初めまして mama-witch です。)

 ここは、現在公開中の23の『写真+詩』をガイドする、いわば目次のページです。以下に紹介してあるタイトルをクリックすれば、それぞれの詩のページに入れるようになっていますので、興味のある方はどうぞお立ち寄りを。

 詩にはどうもなじめない、とおっしゃるあなた、ここでは、あなたや私の、人間としての悩みや日々の生き様を、写真+詩と云う形で表現してあります。だからこれらの詩の中には、もしかしたら、"  あなた自身の今 "、が見つかるかも知れません。

 写真は、so-net で1、2を争う人気ブログ当主の方々の作品の中から、テーマにふさわしい絶品作品をお借りしましたので、ご覧になる皆様は、私の拙い詩と共に、四季折々の素晴らしいフォト・アートを楽しめるというわけです。

 一度の訪問で2度楽しめる、美味しいページを ぜひ一度お試しを。

 なお、コラボレートしている方々のブログネームとURLは各作品ページごとにご紹介し、それぞれの詩作の背景にも少し触れてあります。また各タイトルにはリンクを張ってありますので、クリックしていただければ、すぐに入れます。

(その他の記事もあります。下記は目次のページです。それぞれリンクを貼ってありますので、興味のある方は、クリックしてお入りください)

 ★(NEW!)最新記事とダイジェストガイドをどうぞ。

   ※これまでの公開記事のダイジェストガイドです。目次としてご覧ください。

 ★『受賞童話作品』とダイジェストガイドをどうぞ。

   ※受賞した童話作品の案内ページです。それぞれ10枚前後の小作品ですので、興味のある方はお気軽にどうぞ。

(photo by baldheadさん「お空+おまけ」のカテゴリーより アネモネ)

 ここは、コラボレート写真詩それぞれのタイトルと詩の冒頭部分を少々切り取ってご紹介する目次ページです。

  コラボレートしていただいている『ドン亀日記』のドン亀さん季節の移ろいを肌で感じています』のbaldhead さん『気ままにブログ』のsilvermacさんそれぞれのトレードマークとURLも、あわせてご紹介させていただきますので、私のブログを経て、どうぞ一度訪問されることをお奨めいたします。

トピックス!>

  『詩』をヴィジュアル化する、と云う全く新しい形のプレゼンテーション方法で 詩を見る実験を始めました。これは「読む」というより 『観る』 という形で詩を楽しむ方法です。文字で読む私のページと、映像と共に楽しむ詩と、両方を見比べてみるのも一興です。

 実験室は、ドン亀さんのブログのサイドバーの中。場所はカレンダーの下。「コラボレート写真詩」のURLをクリックすれば入れます。

 制作にかなり時間がかかりますので、現在はまだ4つしか出来上がっていませんが、ぜひ一度ご覧になって、感想をお聞かせいただければ幸いです。 詩を『観る』実験に、ぜひあなたもご参加ください。

 ドン亀さんのURL http://blog.so-net.ne.jp/trout/  (『ドン亀日記』)

↓<現在掲載中の実験詩のタイトル>

    1. 「ノスタルジー」

    2. 「桜散る路地」

    3. 「はるのこども」

    4. 「影」

 

 <詩のタイトルと冒頭部分の紹介> 

 NEW!

4/26 公開 コラボレート写真詩23 『はつこひ』

(冒頭部分) ひざしのなかにたつひとは うすべにいろのはるのゆめ

        あまりにあはき はかなさに・・・・・・

旧仮名遣いは読みにくいかもしれませんが、この詩に関しては、どうしてもこの形をとりたかったので、あえて挑戦してみました。詩作の背景は作品下部に書きましたので、そちらもあわせてご覧になってください。でも一にsilvermacさんの、この上もなく美しく、愛らしい花の写真があってこそ生まれた詩、だと言えます。この詩は、当初漢字遣いで書きましたが、どうにも気持ちが一致せず、十数度の書き直しを経て、やっとこの形に落ち着きました。みなさまの忌憚なきご意見を聞かせていただけると幸いです。

4/26 公開 コラボレート写真詩22 『はぐれてみる』 

(冒頭部分) ある朝 道ばたに ひとり咲く おまえを みつけた

        野を覆う にぎやかな仲間から離れて 

        ひとり のんびり空を見ている おまえは

                  なにを考えているのか‥‥  

 仲間たちから「はぐれる」のは心もとなく、寂しいものです。でも、時には自分の意思で、いつもの仲間やいつもの生き方から、ほんの少し、『はぐれてみる』のも悪くないのではないか。silvermac さんのブログの中で、群れから離れて咲く一輪の蓮華草に出会ったとき、こうした思いが胸に浮かびました。日々を、群れて生きざるを得ない私たちの背中を、自然はときどき、そっと押してくれるようです。

 

4/22公開 コラボレート写真詩21 『水のゆくえ』

(冒頭部分) 橋のない川の 岸辺で とりとめのない時間をすごした

        水のなかで ゆるい陽ざしが  やわらかくわらっている

        平和なある午後のこと‥‥

 ドン亀さんから今回お借りしたのは「安曇野湧水群」の清流写真。ご存知の方が多いかと思いますが、この風景、実は黒澤明監督の作品『夢』の中で、水車の回る美しい水辺の風景として、使われています。

 この水辺を、亡くなられた名優の笠智衆さんが、祭りの衣装に身を包み、楽しそうに太鼓を叩きながら、「生きているということは、ええもんじゃよ」といわれた、あの名口調を思い出します。信州にやっと春がやってきました。

4/15公開  コラボレート写真詩⑳「オルフェの月」

(冒頭部分)  ふり返ってはいけない 

        それでもふり返らずにはいられなかった

        それはオルフェの罪だろうか‥‥

この写真詩は、ギリシア神話「オルフェとユリディス」の物語に着想を得て創った作品です。死んだ妻を追って黄泉の国にたどりつき、やっとユリディスを取り返したものの、悪魔に約束をさせられます。地上に帰り着くまで、決して妻をふり返ってはならぬ、と。二人の乗った船はゆっくりと黄泉の国の出口に向かいますが、オルフェは、あまりにも静かな妻の気配に耐え切れず、水鏡に映る妻を、ついついふり返ってしまうのです。一度は取り返した愛するユリディスを、再び失ってしまうオルフェ。その姿は、よるべない人生をふり返り、ふり返り生きていくわたしたちの人生に似ていると‥‥。

 番外編 別れの詩 『桜雨』→ 桜咲く日 友が逝った 物書く友だった‥‥

 ☆生き急いで逝った友人への個人的鎮魂歌です。

 生ききらないうちに亡くなった友へ、哀悼の気持ちで書いた、全くプライベートなつぶやきです。まだ50 代。油が乗り切って、さあこれから、というときに逝ってしまうとは、惜しんで余りある才能の持ち主でした。名前を言えば、多分皆さんご存知の、ゲーム・ライターです。彼が残した作品は、今も市場の人気商品。作者は亡くなっても、作品は残って一人歩きしている。それが作家の宿命なのかも知れません。

彼は、私のかつてのシナリオの師匠。その後、ゲーム制作の世界に入り、ゲームライターとして活躍されました。彼の代表作品は『鬼武者』、そして『バイオハザードⅡ』です。2005年2月20日、心筋梗塞により逝去されました。享年56歳。

「四月の雨」 枝から落ちるひとしずくの雨に 心を切り裂かれることがある‥‥

 ☆小枝に、バラの葉の葉先に、小さく光る一粒の水のしずく。その透明な丸い鏡に映るさまざまな風景。そんな小さな世界に宿る想いを詩に込めてみました。四月の雨の詩(うた)です。

 

「野の花たちへ」→風が和らぎ 土が目覚めた 気づくものたちに春は微笑みかける‥‥

 ☆オキナ草、ワサビの花、見たことあります? 小さな野の花たちが教えてくれる春の訪れは、幸せの意味についてほんの少し、考えさせてくれるような気がするのです。

 

「春のノート」若いころの思い出は なぜかみんな 小さなかけらで できている‥  

 ☆過ぎていった日々はもう取り返せない。でもその日々の名残のあれこれが、大人になっても捨てきれない‥‥。こうした思い出のかけらたちは、いったいどう始末すればいいんでしょう。

                          

「旅に出る君へ」君が 町を出ると聞いた‥‥

 ☆春は別れの季節。友の旅立ちに伝えたいことはただひとつ。大丈夫、私たちはいつもあなたのそばにいる、そしていつも信じているから。春は人の気持ちを優しくする季節のようです。

 

「花嫁」白いモクレンが咲いたら あたしお嫁にいくの‥‥

 ☆都会でひとり暮らすあなた。誰にも言わない、言えないその胸の内には、一体どれほどの想いを抱えているのでしょう。人はみな一人では生きられない。なのにひとりで生きていかなければならない‥そう、誰かに、ほんとうに出会うまでは‥。

 

「風が止むとき」私はときどき 自分が見えなくなる‥‥

 ☆自分の迷いを、自分でどうすることも出来なくなったとき、一体どうすればいいのでしょう。大人になろうと背伸びをして、疲れきって‥そういう時、方法はきっとひとつしかないような気がするのです。

 

⑦ 「時の止まる場所」命を奪うほどの風が いつも吹いている場所を‥‥

 ☆高い山を目指す人は、いつも何を求めているのでしょう。一人で雲海の前に立って、一体どんなことを見聞きして帰ってくるのでしょう。その山に、私もいつか、登れるでしょうか‥。

 

 「風を聴く」山に入ると 自分の体から 少しづつ ニンゲンというものが 

          剥(は)がれ落ちて   いくような気がする‥‥

 ☆人間が、自分を人間だと感じるのは、自分の無力さを始めて知ったとき、ではないでしょうか。孤独と云う感覚こそ、人間が持つ最も人間らしい感覚だと思うのです。だから人は、山深く入っていくのかもしれない。自分が人間だということを確かめるために。

 

「月の秘密」恋をするとき 人は どうして 月を見上げるのだろう‥‥

 ☆誰かを好きになると、人は本当にどうして無防備になるのでしょう。老人は少年のようにはにかみ、少年は老人のように考え深くなる。そして誰もが無邪気に、「今」を信じてしまうのです。

 

「空」 ああ そうだ 旅に出よう 空を見て ふと そう思った‥‥

 ☆人が作った街。人が作った山。人が作った川。人が作り出す音の中で、人は自分という人を忘れてしまう。あまりにも当たり前すぎる毎日が続くと、人は「いつもそこにある何か」に、気づかなくなってしまうのではないでしょうか。

 

「大人になる日」沈みきった太陽のむこうに まだ光が残っている空は‥‥

 ☆人は、いつから子どもではなくなるのでしょう。いつから、自分はもう子どもではないと、思いはじめるのでしょう。恋はほんとうに、人を成長させるのかしら‥。

 

 ⑫「落陽」まだ 人生と云うものを 知らなかったころ‥‥

 ☆いま、走り始めた人、全力疾走している人、ふと立ち止まった人、じっとたたずんでいる人、走ることをやめた人、もう走れなくなった人‥‥そんな人たちが最後に気づくものについて。

 

 ⑬子どもの時間」足の下を しゃらしゃらと 海が流れてゆく‥‥

 ☆足の下を流れていくのは、人生?苦しいこと、哀しいこと、楽しかったあれこれ、人生には数え切れないほどの出来事があったはずなのに、振り返ると覚えているのは無邪気な時間‥。

 

「ノスタルジー」ノスタルジー それは自分への旅‥‥

 ☆思い出の中の懐かしい時間は、どうしていつも、陽射しの中で輝いているのでしょう。明るくてまぶしいそんな時間が、いつも人を支えていてくれるのかもしれません。

 

極彩色思い出見世物小屋には 大人の匂いが満ちていた‥‥

 ☆大人が大人に見えた日。それは大人の秘密に触れたとき。大人たちの、大人にしかわからない時間の中に迷い込んでしまったとき、子どもはどきどきしながら、自分もなんだか少し大人になったような気になるのです。

 

「影」昨日と同じ 今日を 終わって いつもの道を‥‥

 ☆毎日が、まるで判を押したように単調で退屈だと思うときがあって。でもそんなとき、実はどんなことも同じものなど何ひとつ無いんだということに気づいたことがあります。仕事がたまたま早く終わり、夜遊びせずまっすぐ帰宅、の夕方の帰り道、いつもの電柱の長く長く伸びた影を見たときなど‥。

 

「桜散る路地」花びらに誘われて 見知らぬ路地に迷い込んだ‥‥

 ☆大人になってから、迷子になったことがありますか? この詩は「近所」という呼び方で、知り尽くしていたつもりだった場所を、本当はほんのわずかしか知らなかったことに気づかされたある日のできごとです。 

 

「春の石」冬寒の風の中に 暖かな石が立っていた‥‥

 ☆都会では見かけることなど出来ない神の石。でも実は、ほんの百年ちょっと前には、日本中どこにでも、人を見守り、導く、こうした神の石が点在していたのです。長い時間をかけてそれを造った人の思いを、体いっぱいに見せて。だから人はごく自然に、感謝の手を合わせたのでしょうね。

「はるのこども」おかあさん これ なあに これはね‥‥

 ☆冷たい雪の中からひょっこりと顔を現す、愛嬌たっぷりの福寿草。でも始めてそれを見た子どもは、いそいでお母さんに、こんな風に聞くのでしょうか。 その質問は、子どもが世界に興味を持ち始めるはじまりかも‥。 

4/14 公開  コラボレート写 真詩⑳ 『オルフェの月』

 人は時折、人の心を変えてしまうような神秘に出会うことがあります。私にとって、月はその最たるものです。人にとって「眠る」ということは、一種の一時的仮死状態。そのかりそめの死の中で、人は、いつもと違う夢を見るようです。

4/22公開 コラボレート写真詩21 『水のゆくえ』

 ドン亀さんから今回お借りしたのは「安曇野湧水群」の清流写真。ご存知の方が多いかと思いますが、この風景、実は黒澤明監督の作品『夢』の中で、水車の回る美しい水辺の風景として、使われています。

 この水辺を、亡くなられた名優の笠智衆さんが、祭りの衣装に身を包み、らっせーらっせ、と楽しそうに太鼓を叩きながら、「生きているということは、ほんとにええもんじゃよ」といわれた、あの名口調を思い出します。信州にやっと春がやってきました。

4/24公開 コラボレート写真詩22  『はぐれてみる』

 仲間たちから「はぐれる」のは心もとなく、寂しいものです。でも、時には自分の意思で、いつもの仲間やいつもの生き方から、ほんの少し、『はぐれてみる』のも悪くないのではないでしょうか。silvermac さんのブログの中で、群れから離れて咲く一輪の蓮華草に出会ったとき、こうした思いが胸に浮かびました。日々を、群れて生きざるを得ない私たちの背中を、自然はときどき、そっと押してくれることがあるものです。

4/26 公開 コラボレート写真詩23 『はつこひ』

 旧仮名遣いは読みにくいかもしれませんが、この詩に関しては、どうしてもこの形をとりたかったので、あえて挑戦してみました。詩作の背景は作品下部に書きましたので、そちらもあわせてご覧になってください。でも一にsilvermacさんの、この上もなく美しく、愛らしい花の写真があってこそ生まれた詩、だと言えます。この詩は、当初漢字遣いで書きましたが、どうにも気持ちが一致せず、十数度の書き直しを経て、やっとこの形に落ち着きました。みなさまの忌憚なきご意見を聞かせていただけると幸いです。 

番外編 写真詞 『しあわせな日曜日』 これは詩ではなく、歌詞です。

           ☆一、信号が青に変わり ぼくは道をわたる‥‥

 

<コラボレート・パートナーのご紹介>

←ドン亀さんのプロフィール http://blog.so-net.ne.jp/trout/  (『ドン亀日記』)

 ←baldhead さんのプロフィール http://blog.so-net.ne.jp/hage1010/(『季節の移ろいを肌で感じています』)   

←silvermacさんのプロフィールhttp://blog.so-net.ne.jp/ryofu/(『気ままにブログ』) 

 

(その他の記事はこちら。リンクを貼ってありますのでクリックしてお入りください)

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   ※これまでの公開記事のダイジェストガイドです。目次としてご覧ください。

 『写真+詩で季節を詩う』(ダイジェストガイド ①~21)

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『遅すぎたラブレター』写真小説 1 [写真小説]

(はじめに)

  多忙のためなかなか時間が取れず、ほぼ、一ヶ月ぶりの更新となりました。すみません。3月にブログを立てて約3ヶ月。昨日(5月16日)アクセスが3万人を超えました。nice&コメントを下さった皆さま、そして通りすがりに立ち寄ってくださった皆さま全てに、心からの御礼を申し上げます。

   この小さな物語は、写真詩でコラボレートしている「ドン亀」さんへの、ささやかなオマージュです。登山が好きで、自然が好きで、東京から信州の山形村に、奥さんと共に移住して12年になる、多分少し頑固者のブログ・メイト。まだ一度もお会いしたことは無いけれど、だからこの物語の主人公のモデルではないけれど、彼の発表したモノクロ写真から受けたイメージを紡いで創りあげた全くのフィクションではあるけれど、私の中にうっすらと浮かび上がるドン亀氏のイメージに向かって捧げる、心からの贈り物。彼の、筋の通った写真がなかったら、紡げなかった物語です。お読みくださる皆様の、率直な感想をいただければ幸いです。

  ドン亀氏のURL → http://blog.so-net.ne.jp/trout/

 

       『遅すぎたラブレター

 

 

            元気ですか。僕は今、山にいます。

 

  

 

 あの夜、お互い振り向かずに歩いていこうと言っておきながら、僕は結局、振り返ってしまった。君はきっと振り向く、と思ったから。

 半ばは君のために、と振り返ったんだが、僕のそんな傲慢さを見透かすように、君は見事に一度も振り返らず、あの街の雑踏の中に、消えていった。

 君の中の、そんな強さを、僕は知らなかったということだね。

 

 それにしても、七年という歳月は、僕らには長すぎた。

 あれほど愛おしかった君の笑顔が、いつのまにか空気のような生活の一部になってしまったのは、いつからだったんだろう。

 変化の無い日々に、新しい何かがほしくなって、僕がときどき、遠くを見つめるようになったのは、いつからだったのか。

 君は、どうだったのだろう。

  

 僕は山が好きだ。霧の中を細く、長く続く草の道を、ひとりで黙々と歩くのが好きだ。でも二人で居るころ、そのことを君に話したことは一度もなかった。

 多分、怖かったんだろうな。ひとりで、という僕の言葉を、君に誤解されることが。

 いま僕は、その草の道を歩いている。君と暮らした、七年の日々を考えながら。

                     

 霧の中の道は僕を安らがせる。行く先も、来た道も見えないことが逆に、今ここに在る自分、と云う奴を感じさせてくれるから。

 僕は、まるで水の中に居るように、自分の重さを忘れて歩く。自分の足元だけを見つめ、自分の歩幅と、自分の歩調で。

 そして、気がついた。

 僕の歩き方が、もう、昔と同じではないことに。

 僕は、君の足取りに合わせ、君も、僕の歩調に合わせてくれて、七度の春と夏と、秋と、冬を、一緒に歩いた。そして僕らはいつのまにか、どちらの歩き方でもない、二人の歩き方で、あの年月を歩いてきたんだと思う。

 君もいつか気づくだろうか。小さなことなんだけれど。

 僕はこれから、以前の僕とは違う新しい歩幅と、新しい歩調で、新しい人生を歩いてゆく。

 君に貰った新しい歩き方を、僕は大切にしようと思っている。

 

  一方的な僕の思い出話を、少ししてもいいかな。

 僕は君が好きだった。君と居ると安心できたし、安らげた。

 でも君は違ったようだ。

 君は、僕と居るとき、いつも不安そうだった。

  僕が、君と同じ気持ちでいるかどうかを確かめたがったし、僕の本当の気持ちを、知りたがった。

 それが何故なのか僕にはわからなくて、君の、繰り返される質問に、答え続けることが苦痛だった。

君が覗いた僕のスケッチブック。

そこに君の姿が無いことを、君は悲しんだけれど、僕には描く必要が無かったんだ。君はいつも僕の心の中に居たから。

 あのころは確かに・・・。

 

 いつかきっと抜け出そう、と話し合った僕らの部屋。

 夏は西日が当たって蒸し風呂のようだったし、冬は隙間風に苦しめられた。

 でも僕は、実は気に入っていたんだ。

 僕のTシャツだけを身につけた君が、狭いキッチンで淹れてくれる紅茶や、ふくら雀のように重ね着して、小さなストーブの側でうたた寝している君と一緒に居た、あの部屋が。

 

 覚えているかなぁ、僕らの自転車。中古だったけど乗り心地は良かったじゃないか。二人でよく夕食の買い物に行って、日曜日は遠くの公園までサイクリングし、暇さえあれば後ろに君を乗せて、近所中を乗り回した。

  

 僕らは何も無いなりに、二人の時間を楽しんでいたよな。

 どうして、あの生活が色あせてしまったんだろう。

  

 初めてのバイトで君に買ってあげたハムスター。

 可愛かったけどちっとも懐かなくて。関心を失くしてしまった僕とは反対に、君はムキになって世話をしてたっけ。

 

 三年ほどであいつが死んで、そのころ僕らは卒業して、就職して・・・。

 

 帰りに毎日待ち合わせた駅のプラットフォームで、君は、君より少し遅い僕を待ちながら、いつも文庫本を読んでいた。本棚がいっぱいになるほどの君の本のタイトルを、僕はいま、ひとつも思い出せない。

 

 あのころはよく散歩した。金が無かったこともあったけど、古い家の写真を撮ることが好きだった僕の我儘な撮影旅行に、君は無理して付き合ってくれたのかもしれないな。

 君は写っていないけど、あの頃僕が撮った写真には、どれも君が居るよ。

 笑ったり、怒ったり、すねたり、疲れたと座り込んだり・・・。

 僕にしか見えない、君のポートレートだ。

 

 古い一軒家を撮っているときの事を覚えているか?

『子どもが居ないと、洗濯物って少ないのよね・・・』

 君のつぶやきに、僕はなんて答えたんだろう。

 

 家の裏手にあったブランコを見つけた君は、ヘンにはしゃいで、こんなことを言ったよな。

『まだ使えるわね。もし子どもが出来たら・・・』

 その後を飲み込んだ君の心の奥の言葉が、僕にはちゃんと聞こえていたのに、聞こえない振りをした。僕は、あまりに若すぎて、君を喜ばせる言葉を口にする勇気が無かった。黙るしかなかったんだ。

 

 道が途切れた。

 この沢を渡っても、もとの道には戻れないかもしれない。

 君が居たら、とめるだろうな。そして僕の頑固さに、また泣くんだろうな。

 でも僕はこの道を行く。この道を信じたいんだ。

 

 新緑が僕を包む。

 信じろ、と言う。

 道はまだ見つからない。            

 

 苦しい・・・。

 でも、もう少し、あと少し、頑張ってみたい。

 僕は、僕の力の限界を知りたい・・・。

 

 君の側に居た頃、僕はこの無謀さを、胸の底に押し込めていた。

 それほど、君を好きだったから・・・、君を失いたくなかったから・・・。

 でも所詮それは嘘だった。

 最後には我慢できなくなるほど、僕は僕でしかなかったんだ。

 嘘をついて、僕ではない僕を愛してもらうより、僕は、ありのままの僕を、君にわかってもらう努力をすべきだった。それが君に通じなくて、別れることになったとしても、僕はその結果を、納得して受け止められただろうから。

 どんなに言い訳したって、最後の夜、結局振り返ってしまった僕は、君に嘘をついていたということだ。

 君は振り返らなかった・・・それが君の、僕への向かい合い方だったんだ。聞きたいことを懸命に聞き、知りたいことを必死で確かめようとした。たとえその結果、僕に疎んじられるようになったとしても。

        

 君は恐れなかった。

 どんな姿であれ、ありのままを見せようとした。

 君のほうが、ずっと正直で、誠実だった。

 なのに僕は君に、僕と同じ嘘つきになることを求めていたのか・・・。

 

 道に・・・出た。

 この橋を渡っても、道は頂上に続くとは限らない。

 でも、僕はこの道を行こう。

 霧に包まれて自分を確かめることなど、もうしない。

 頂上には、きっと答えがある。今日の僕の答えが。

 

             元気ですか。僕は今、山にいます。

 いま、やっと霧から抜け出しました。見えなかった峰々が姿を現しています。

 山を下りたら、出すつもりの無かったこの手紙を、君に出すつもりです。一箇所の訂正も、修正もせず。

 遅すぎたかも知れないけれど、君に、振り返ってもらうために・・・。

 

 

                             ― 完 ―           

 

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